狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

山陰本線貨物の思い出

2024年10月08日 10時14分17秒 | 国鉄・JR 中四国
電関人が足しげく山陰本線に通っていた
70年代後半から80年代前半頃には
同線の貨物列車輸送は下降線を辿っていたようだ

特に西部地区では数両の貨車を仕立てるのみで
この列車もワフ、ワラにホキ2両にヨと
工臨なのか貨物なのか?
地域間の少量輸送で
寂しい列車が秋雨に打たれ通過していった
1982?年 霜月 山陰本線 仁万 Nikon F2photomicSB
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ヨンマルと大山

2024年08月24日 12時17分33秒 | 国鉄・JR 中四国
大山山麓に位置するこの界隈は
肥沃な土地で農地が広がるが
9号線が線路に近く
海側からサイドに撮影するのが難しい
少し目線を上げて広がる田園と
おそらく山陰本線敷設時から存在するであろう
線路をくぐる水路と
農業用取水口を入れて
奥に雲間の大山
界隈の営みがわかる構図に
ヨンマルを置いてみた

2024年水無月 山陰本線 大山口~名和 Nikon D5
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石州瓦の朝

2024年07月27日 07時15分03秒 | 国鉄・JR 中四国
島根県波根
石見の国のほぼ東端に位置し
古くは一帯を支配した尼子氏の頃から栄え
その後街道筋の宿場町

そして何よりこの町の特色は
漁港としての町ではなく
石見銀山の銀を積み出した積み出し港として栄え
街道筋には様々な店が立ち並ぶほど
道理で街を形成する家々の構えが大きく
装飾も近代的で美しいものが多い
そこにこの地域特有の石州瓦が町並みをさらに整える
日本には希少な
寧ろ欧州のような街並みが朝陽の中に輝く
画像はスキャンコンディションがいまいちで
そこは愛嬌で
1982年 葉月 山陰本線 波根 Nikon EL2 KR
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餘部集落の生業

2024年07月23日 07時35分36秒 | 国鉄・JR 中四国
本日はやや涼しげなカットをあげることに

6月訪問時に地元住人から聞いた話だが
もともと餘部集落の住民に漁業従事者はいないのだとか
写真のようにかつては波打ち際の護岸にいた数隻の小さな船は
今は全く居なくなってしまっている

辺りはぐるりと急峻な山に囲まれていて
駅は高台にあって一本ホームで積み出しなどできる設備もない
現在では一般道は途中大雨によって長らく通行止めとなって
山陰道の餘部出入口が唯一外部から同地区へのアプローチ手段
昭和の頃は国鉄の列車による小荷物扱いはあっただろうが
正月の松葉ガニは香住から
軽トラの業者が各家庭を回っていたのが記憶に残る
本当に漁業従事者がいない地区だったとすれば
あの波打ち際の小舟は生計を立てる生業というより
地区住人自らが食すほどを取りに行くためだったのか

昔此処で定宿にしていたあまるべY.H.は
夏場は海水浴客
冬は画家の卵と我々のような酔狂なカメラマンだけが客で
宿泊料に1000円足すとかにスキ鍋を出してくれた
1980年 弥生 山陰本線 餘部 OLYMPUS OM-1 kodacolor-Ⅱ


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追想 微笑む大山

2024年06月23日 13時00分17秒 | 国鉄・JR 中四国
長野の師匠の影響もあって
鉄路沿線の名山を愛でるのが大好きな電関人
わが第二の故郷山陰本線の中では大山が一番

美しいその姿がクリアに見えた時
自身が抱かれそのパワーに全身が満たされる
1981年弥生? 山陰本線 米子~伯耆大山 Nikon F2photomicSB コダカラーⅡ
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