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フィルムのビネガーシンドローム対策として
遅まきながら我が写真庫にも接写システムを導入した
早速セッティングしてポジのコンテナを開封
露出ギリマイナスのエクタクロームから2点
EF5820号機が下関運転所から出て駅に入る連絡線を上がって来 駅構内進入信号待ちで一旦停止
その寸暇でバルブするのでヒヤヒヤもので罐が動き出す前にSSと露出を割り出して
うーーんとアンダーなカットはスキャナーでは左側のエッジが出なかったのが何とか蘇った
ちなみにこの日の20号機(広)は荷物列車運用
次は143号機(宮)でこの日はブルトレ運用
信号停止位置が微妙に違いマウントに食われて左が超ギリ
ほぼほぼ適正露出も若干ブレてる
罐が動いたのかカメラが何かの振動でブレたのか?
テストデジタライズだったけどスキャナーより手軽に作業できるのが良い
掲げた2点ともゴハチがいよいよブルトレ運用から外れる最後の夏の思い出
1979年7月 山陽本線 下関駅
NO WAR NO VIOLENCE
世界中の争いごとが無くなりますように祈ります
電関人がOM-1を入手してまだ日が浅い頃のテストの一枚のよう。
恥ずかしいド日の丸な写真で、現在の鹿児島本線春日駅駅端辺りから出島・弓張号をシュート。
長崎・佐世保と博多、小倉を結んでいた気動車急行いなさ・弓張は改正で出島・弓張に名称変更。
画面向かって右にはコンクリート塀を挟んで、旧進駐軍のベースがあり、
左には懐かしい板塀の日本家屋。実際にはこの日本家屋周辺には進駐軍の家族が住んだ「ハウス」と称する
戸建て住宅が犇めいていた。
何とも昭和な地元の景色。
1975もしくは1976年 鹿児島本線 白木原~南福岡
大正生まれの古豪ながら、
粘り強い足腰が買われ、北海道や九州の炭鉱でヤマの火が消えるまで働き続けた9600型。
梅小路庫外展示(煙突後ろの電柱と電線はデジタル処理済)の9633
何も格好をつけない無造作な機器類はの配置は、
大正の質実剛健そのもので機械美すら感じる。
庫内で永遠の眠りにつく9633
筑豊で見た現役の姿は、決して恰好が良いものではなかったが
梅小路でみる9633の磨き込まれた黒鋼の躯体には惚れ惚れとした。
梅小路 上、1981年3月、下、1978年8月それぞれ撮影