綻び始めた桜の花は中々咲きそろわず。
そんな中、いよいよ都営7000系は改造車を除き引退の悲報。
いつかそうなるとは分かっていたものの、ウーウー唸り乍ら飛鳥山の急勾配を登って行く
旧性能車が一掃されるのはやはり昭和鉄男児にとって悲しいものである。
まだ少しお別れの猶予があるようなので、
桜の花で7000系を送り出してあげよう。
2012年 飛鳥山付近にて 都営7022
昭和の頃は、十年ひと昔とよく言ってたが
今は五年ひと昔かもっと早いくらいではと常々思う。
五年前は、貨物のPFも1000番代だったしホンモノの赤プレ原色機が走っていたし、
貨車もタキ38000が現役で懐かしい黒っぽい編成が見られたものだった。
JR化30周年を迎え果たしてその功罪やいかに・・・。
2012年4月 8179レ
高校当時のネガからほぼフルサイズで一枚。
少し日が長くなりかけの時季の上りはやぶさを近所の踏切で見送る。
何の変哲もない日常の或る夕暮れ時
いつもと変わらぬ夜の帳に辺りの雑然とした風景が覆い隠される寸前、
一本の蒼い矢の如く通過していくはやぶさ。
それは、未だ見ない将来への希望と不安が綯交ぜになった自身の気持ちを
目の前の現実から進むべき未来へ誘う道標のようにも思えた。
1979年2月 4レはやぶさ
東京機関区が無くなって以来首都圏で中心的な存在となってきた田端区。
最初に記憶している田端区といえば、脇の側溝というか小川で多くの釣人たちが竿を出している写真でゴナナが写っていたような一枚。
貨物の操車場が新幹線の車両基地に生まれ変わり、
そして、隅田川が整備されて以来貨物機の駐機が無くなりめっきりと寂しい景観となった。
レールが複雑に交錯する広い構内に機関車溜りがある
昭和の風景はそろそろ終わりを告げようとしている。
2010年2月田端区にて
まだ35ミリ一眼を使い始めて間もない頃、
狙いは、ナナゴ限定運用の花形5050レとびうお号。
ファインダーの向こうに現れたのはトップナンバー牽引の彼の列車。
画面上部の邪魔な電線をトリミングしているが、
痛恨の早切りで、パンタの一部はポールに掛かり最後尾のフの部分がポールの陰に隠れるように抜け切れず。
こんなヘボな写真を量産したあの頃ではあったが、今となっては夢のような被写体が目白押し。
1976年5月 ED75301 5050レ 鹿児島本線 二日市~水城