昨日を持って、地上デジタル放送の電波は東京タワーからの発信を終えた。
今後も在京局の予備塔としての役割を担うが、基本的には東京スカイツリーにその役目をバトンタッチした。
去る2010年2月。
この月を持って東京運用から引退した500系を撮りに行った際の一齣。
今となっては、東京タワーも300系もその役目を終えた者同士。
東京タワーが昭和33年、東海道新幹線が昭和39年に開業。
そして電関人はその間の昭和36年生まれ。
団子っ鼻の0系の正統な流れを汲む300系も今や過去の存在だし、そして昨日東京タワーも電波出しを終えた。
妙に懐かしい風景になってしまったこの写真を眺めながらも昭和36年生まれはこれからも仕事に趣味にまだまだ現役!
2010年2月27日 東海道新幹線 東京~品川
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近鉄で運転されていた珍しい列車に鮮魚列車というのがあった。
宇治山田から上本町まで、鮮魚の行商用に運転された専用電車。
電関人は惜しくもその看板付きの写真が無いけどそれに使われていた旧型車を2種類ほどカメラに収めていた。
その一つが、先日エースカーの記事の写真に少し写っていたもの。
近鉄の前身の一つ参宮急行の2200系に準じてつくられた大阪電軌の1400系のモ1406とモ1411⇒モワ12+モワ15である。
張り上げ屋根が特徴で往年の関西私鉄名車の正統な流れを汲むスタイルが良い。
1977年3月 近鉄大阪線 高安 モワ12モワ15
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昨日関東地方も梅雨入り宣言が出された。
今週末から約1月半、電関人の誕生日くらいまでジメジメと闘いながらもこの時期しか撮れない絵作りに勤しみたい。
中坊から高校自分、電関人は6年間写真部所属。
小生意気にも季節感を演出する写真をどう表現するかを真剣に考えて写真を撮っており特にこの梅雨時の列車は失敗作が
山積み状態。その中から比較的まともなものをピックアップした。
最後尾が雨に煙る解結貨物。
この今は春日駅ができてしまった南福岡~旧 白木原(現 大野城)間のストレートは、電関人の写真人生の中で電関人ストレートとも
言って良い写真道場の代表格だった。
ホキを先頭にワラ、ワム、トラ等がごちゃ混ぜの典型的な貨物扱い駅を丁寧に回る解結貨物の組成がよく判る。
1976年6月 鹿児島本線 南福岡~白木原 ED761016 解結貨物
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間隔が随分空きましたが、近鉄特急回顧録第2弾でエースカーです。
エースカーの写真は、2枚ほどしかありません。
一枚目は、懐かしい湯の山特急のエースカーです。
写真にはさらに懐かしい大鉄の車両も写っています。きっと鮮魚列車で使用されていたのでしょう。
小さな行き先板が光っていてよくわかりませんが辛うじて湯の山温泉と読めます。
特急サインが古い10400系みたいに古いタイプです。
そしてもう1枚は、鳥羽特急です。
流石にこちらはメインの観光地行きでその編成も長いです。
特急サインも大型のものです。この時期どんどんスナックカーが増強されていてビスタカーとエースカーは少数派になりつつあったようです。
近鉄といえば、電子タイフォンで駅構内ではビービーというバイクのクラクションみたいな音と普通のファーンとなるタイプの2種類あって
それも好きでした。
1977年3月頃 近鉄大阪線 高安駅付近
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勤め先で飲み会があり、程好くいい感じであるのでそのつながりで、懐かしいダイニングカーの話。
今でこそ一部の夜行列車に残るのみといっていいほどとなってしまった。
しかし、汽車旅が本来スローライフの最たるものであるのだからその車内で食事をするのは半ば当たり前の行為。
駅中や、駅周りの買い物事情がすこぶる良くなったことを理由にその車内販売も止めた鉄道会社もあるが、
それはナンセンスだと電関人は強く主張したい。
食堂車を利用できた時代にアルコールをいただける年齢には達していなかったが、そこでお酒を煽りながらそして食事をしながら
眺める車窓は格別なものであり、それを極々一部の旅人しか味わえないのはこの国の鉄道旅行を台無しにしているとしか
言いようが無いのである。
サシ481。
この車を種車にしたトワイライトの食堂車もあるが、唯駅弁を食べたり、コンビニのおにぎりを頬張るのとは明らかに違う旅の醍醐味が
其処には圧倒的に存在するのである。
これから新幹線とういう或る意味この国の社会リズムを瓦解させてしまった乗り物のさらなる発達により、
在来線ダイヤがスカスカになった上で、おそらく営業利益至上主義の鉄道会社が色んな列車を新たに走らせると思うが、
是非、このスローライフにおける食事の重要性を再認識して欲しいものである。
1976年6月 鹿児島本線 特急有明
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