いよいよ渓谷部に分け入る。
まだまだ雪深いとはいえ、山肌に随分と春の気配を感じる。
雪を切り裂くような黒い尾根は、何とも力強い棟方志功画伯の版画を見ているよう。
2018年弥生 会津水沼 D5
大学2年時のこと。
倶楽部のメンバー三人で真夜中の奥多摩へ。
終電後の静まり返る駅傍のヤードに居並ぶ古豪たち。
信号が開き次第、順次山を下っていく。
ホッパー車の轟音が止むと、
再び静寂が訪れ赤色信号が老体の顔を怪し気に浮かび上がらせる。
1982年奥多摩 KR
今では様々な理由で夜中の車庫は静まり返っている。
高校に入って最初の冬に企てた、未明のチャリ撮影ツアーはこうだった。
自宅⇒南福岡電車区⇒竹下客車・気動車区⇒貝塚車庫⇒香椎操車場。
確か廣田さんの写真だったかと思うが、何条にも敷かれたヤードのレールが緑銀に照らされる中
たった一両の緩急車のみが佇んでいる風景。そんな風景を探しに香椎界隈へ真夜中にチャリ旅敢行。
残念ながら、往きの駄賃を欲張り過ぎて香椎に着く前に夜が明けてしまった。
そんなロングラン自転車撮影行の中から、「始業前」の構内の風景を2題。
421、423、481などそれぞれのMG音が夜明前の構内に響き渡る。
一方、竹下では82系のおおよどが車内灯も煌々と仕業前点検に余念が無い。
その傍で、同僚のまつかぜはまだ夢の中。
アクセルオンでおおよどの紫煙がゆっくりと夜空に立ち上る。
一番列車始業前の各区構内には、電関人をわくわくさせてくれる空気が漲っていた。
1978年冬
朝陽に輝く森からヨンマルが顔を出す。
冬、完全なモノトーンに支配されていた木々は
やがて冬芽を膨らませ仄かに色彩を帯びてくる。
もうそこまで春がやってきている。
柳津 D5
70年代後半に一時定期重連となった1ㇾさくら。
それは明確なことなのだが、、、
問題は、重連だったのは鳥栖から先の長崎本線なはずが
重連でホームに入線するカットが残っていること。
だとすれば、門司から重連できたのか?甚だ疑問。
もう少し足を延ばして、走行シーンをとも思ったのだが
寧ろ出発時のダブルイグゾーストの咆哮を狙いたくて鳥栖駅に留まった。
1976年? 鳥栖駅 1ㇾ