狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

ボンネットボンネット

2012年01月31日 22時31分05秒 | 昔の写真

次のダイヤ改正まであと1月ちょっととなりました。昭和50年3月改正で山陽新幹線が博多まで伸びて
本州と九州を結んでいた昼間特急は全廃。
それまで、581系のみの運用だった有明に481系が充当、翌年の長崎本線電化によってDC急行が格上げされて
特急かもめ・みどりが誕生、九州内を481系が走りまわることになりました。



博多駅では、始発のにちりんと有明が並ぶこんなシーンが良く見られるようになりました。
すでに引退してしまったクハ481ボンネット車。
JNRマークと相まって特急の気品に満ち溢れていました。

1976年11月 鹿児島本線博多駅にて クハ481にちりん、クハ481有明
※左側のにほんブログ村ボタンをポチっとよろしくお願いします。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州赤ベコにぞっこん(18) ED76荷物列車の編成美

2012年01月30日 22時23分56秒 | 昔の写真

久々の赤ベコぞっこんシリーズです。
先日、福岡に帰省していた際にまだまだ元気に活躍しているED76を見てちょっと嬉しかった。
同じく新性能電機のスタンダードフェイスを持つ、EF81とともにその数は全盛期に比べれば大幅に数を減らしたものの、
我が鉄道人生とともに歩んできたような形式であるのでなんだか強い親しみを持つ。



実家の近辺では随一の撮影地だった向佐野を行く下り荷物列車。
当時、冬のSG使用から荷物列車は通年でED76限定の運用だった。スニやスユなどの車両がごちゃ混ぜが多かった
荷物列車にあって、この列車は最後尾のオユを除いてマニで統一された綺麗な編成は旧客優等列車さながらだった。

1976年9月 鹿児島本線 水城~二日市 ED76(号機不明)荷物列車
※左側のにほんブログ村ボタンをポチっとよろしくお願いします。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ラーメンとジャンボ

2012年01月29日 21時00分43秒 | 鉄道以外

郷里福岡での法事を終えて、本夕帰ってきました。

郷里に帰ると、どうしてもこれを食べずして帰った気になれないのが博多ラーメン。
しかも、どこの店でもいいわけでなく(ほとんどどこの店でもおいしいですよ!!)、
電関人にとっては、幼少のころから慣れ親しんできた地元の味である「天広軒」の一杯なのである。
初代のおばちゃんがやっていた頃は、ラーメンは一種類「ラーメン」のみで、
替え玉も、チャーシュー麺も、餃子も何も他のメニューは存在しなかった。
でも、今の天広軒はさにあらず。いろんなメニューが楽しめる。



そんな今の天広軒で最近マイブームは、3代目大将考案のこのメニューで、「味濃い目のねぎ大もり」の1杯。
全面博多ネギで、麺もチャーシューも見えないこの1杯を今日も最後に食して郷里の地を後にした。
そして、帰りの便だがまもなく引退予定の「ジャンボジェット」ことボーイング747に乗っての帰路で、
これまた嬉しいの一言。



頭のタンコブが特徴のジャンボジェットももうすぐ姿を消す。

2012年1月29日
※今日は全然鉄ネタではありませんが、ボタンのポチをよろしくお願いいします。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食堂車の想い出

2012年01月26日 23時04分33秒 | 徒然鉄ネタ

今週は、月曜からハードスケジュール。また明日から日曜まで出かけるので思うように更新ができません(汗)。

ネコパブリッシング刊で食堂車の本も出ましたし、先日鐡友のRDP3さんも上野駅の食堂の話などをされてましたので、
食堂つながりで・・・

正確に食堂車を連結して営業しているのは、今やカシオペアと北斗星、それにトワイライトエクスプレスの3列車だけ。
鉄道旅の醍醐味の一つが風前の灯です。かつてはほとんどの優等列車には食堂車が連結されていました。
電関人の一番の食堂車の想い出は、高校入学試験に合格した中3の春休みに友人と出かけた旅行の途中で
岡山から米子まで乗車した181系ディーゼル特急やくもの食堂車で高梁川沿いに走る景色を楽しみながら
ハンバーグ定食を食べました。上り勾配を加速しながら並走する車道の自動車を追い抜いていく力強いやくもの走りに
酔いしれながら食べた食事の味は格別でした。



アップの写真は、残念ながらそのやくもの写真ではないのですが、夕方4時過ぎに長旅の準備も万全に竹下区を
出て始発駅の博多へ向かう20系あさかぜの食堂車ナシ20です。
すでにそれぞれのテーブルには、ディナーのメニューがセットされていて約1,000kmの旅に出る乗客のお腹を
満たすべく、ウエイトレスさんが準備を進める姿が垣間見れます。

1976年6月 鹿児島本線竹下にて
※左側のにほんブログ村ボタンをポチっとよろしくお願いします。

 


 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大糸線旧型国電の想い出 お気に入りの編成

2012年01月23日 21時35分22秒 | 徒然鉄ネタ

最近新しくスキャン作業をしておらず、在庫ネタ放出状態が続きます(汗)。
大糸線の旧型国電時代からで、お気に入りの編成の写真です。
玉に瑕は、生憎の曇天で美しい山々がぼんやりとしか見えないことです。
その分編成に集中してください(笑)。



旧型国電とひと口にいっても、その個体差は千差万別というほどバリエーションがあり、
それが旧型車両の醍醐味でしょうか!?
電関人としては、Hゴム改造があまり好きではなく木枠や金属枠のままで
前面窓が揃っているのを好みました。
その点では、この編成の先頭のクモハ51(おそらく)は良い顔をしています。
本当は、前パン(運転席の真上にパンタがある)のがさらに好ましいのですがそれはよしとして、
2両目にはしっかりと両運転台のクモハ40が入っていてこれもGOOD。
パンタグラフが接近していてこの不規則さがさらに良し!
そして3両目には2ドアで窓がずらりと並んだ大糸線名物のサハ45(ロからの格下げ車)。
なんだかオールスターといった編成です。
この大糸線と飯田線は、車両のバリエーションも豊富で旧型国電のパラダイスそのものでした。

1981年3月 大糸線 安曇沓掛付近
※左側のにほんブログ村ボタンをポチっとよろしくお願いします。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする