狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

今シーズン初滑り

2010年01月31日 11時25分05秒 | 鉄道以外

久々の非鉄ネタとなります。
金曜は有給をいただき、1泊で万座温泉にスキーに行ってきました。
今シーズンの初スキーです。奇しくも昨シーズンと初すべりが万座温泉で同じになりました。
金曜日の朝、車で出て通勤割引(金曜なのでETC割引の恩恵に預かれないので)時間帯に
所沢から約100キロの駒寄PAまで行きそこから下道で吾妻線の祖母島付近にショートカット。
そこからは、常道で万座温泉を目指します。
初日は昼からの初滑りです。冬特有の天候で北西の風に乗った雪雲が来ては雪を降らせ、
去って晴れるを繰り返します。早めに上がってゆっくりとホテルでくつろぎました。
翌日は、起床後朝食前にゲレンデに出て、土曜なので朝日山ゲレンデのリフトが動いているのを
確認の上、熊四郎山を巻く狭い連絡コースで目標のゲレンデを目指します。
「早起きは三文の徳」で一番客で朝日山リフトに乗車、大回転斜面に夫婦二人してこの日の
1本目のシュプールをいただきました。
写真は、2度目に上がった際に朝日山の上から遠く須坂方面からその奥は飯縄山でしょうか?
を遠望でき最高のスキー日和でした。

撮影;CANON IXY  1月30日撮影 万座温泉スキー場朝日山ゲレンデ山頂からの眺望

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クモハ40077

2010年01月28日 22時54分34秒 | 昔の写真

こんばんは。今日も過去ストックネタで失礼いたします。
福岡出身の私にはやはり直流電車の古典的な車両はとても魅力的でした。
19歳までの多感な時期を鹿児島本線沿線と西鉄大牟田線の沿線で過ごしてきた私は、
直流区間の機関車は言うまでもなく、旧型電車たちに対しても強い憧れの念を持っていました。
山陽本線の80系、宇部・小野田線の40系統、阪和線のそれなど・・・
そのなかでも、カラーリングから圧倒的にあこがれたのはスカイブルーを纏った大糸線の
旧型電車たちでした。スカ色もとてもいい色だと思っていますが、スイカイブルーの旧国は
その色の派手さと車両の重厚さのミスマッチというかなかなか言い表せない魅力です。
様々な車両がナガキマに属していましたが、その中でも私のお気に入りは前面の運転台が
Hゴム改造されていなく、またリベットだらけの無骨なクモハ40077が一番のお気に入り
でした。

撮影;1981年5月 OLYMPUS OM-1 ズイコー28㎜ f3.5 TX 北松本運転所  
         クモハ40077 全検上り?
   

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大糸線昔々

2010年01月28日 08時03分52秒 | 昔の写真

またまた3月改正ネタになってしまいますが、本日は大糸線です。
高校生時代から、旧型国電パラダイスとしてまた深い谷と非電化の北線の両方の
魅力からたびたび訪れてきた線区です。
そして近年ではキハ52が国鉄色を纏い、32Countさんの案内のもと何度となく
通いなれた大糸線ですが、この3月をもってキハ52がとうとう引退となります。
DMH17型エンジンをいまだ使用し頑張ってきた3両のキハ52達には本当に、
「お疲れ様」と声を掛けてあげたいです。
そんな大糸北線への餞に、1983年撮影のキハ52の兄弟形式であるキハ55の写真を
アップいたします。昔のスキャンで画像が悪いのはご勘弁を!!

撮影;1983年9月(?) 大糸線白馬大池付近にて キハ55ほか各駅停車 
         NikonF2 PhotomicSB nikkor135㎜ f3.5 コダクローム64

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ゆうづる、ゆうづる、ゆうづる

2010年01月26日 05時36分38秒 | 徒然鉄ネタ

本日はストック写真からの投稿です。
先日の3月改正要綱によると、既報の通り寝台特急北陸の廃止により、いよいよ
定期列車の寝台特急は北斗星とあけぼのだけになってしまいます。
我々の青春時代には、それこそその代名詞になり一般用語まで育った「ブルートレイン」。
その存在がすべてなくなってしまうのにもそう長い年月はかからないことでしょう。
「狭い日本。そんなに急いでどこへ行く」という標語がありましたが、新幹線網がここまで
発達して地方の方々には便利になるといいますが、私はむしろその分在来線が廃れて、
かえって地方交通システムは不便な方向に向かうと思います。
しかもさらに大都市に人口を集中させるだけの開発のようにしか思えません。
「スローライフ イズ ベスト」だし、世の中を見ても高齢人口過多社会なのですから、
われわれ中高年世代(私も立派にアラフィーですし)がのんびり鉄道旅行を楽しめるように
観光鉄道資源を再考して欲しいと各旅客鉄道会社に陳情したいものです。
随分と社会派調の文章になってしまいました。路線を本来の鐡ちゃん路線に回復して・・・
高校1年の夏休み旅行である北海道からの帰路、函館から8便の青函連絡船で青森に着き
急行八甲田まで暫し青森駅で撮影に興じました。
何といっても圧巻だったのが、この時代はゆうづるだけでも7往復で、それに東北本線経由
のはくつる1往復、奥羽線経由のあけぼのが2往復で10本もの寝台特急列車が青森と
上野を往復していました。
そのゆうづるが18時台の青森駅の3本のホームを埋め尽くしています。
車両は、つい先頃まで東海道筋ではやぶさや富士、出雲などに使われていた24系24型が
転属して20系使用のゆうづるに充当されました。あけぼのはまだ20系でした。
この24系24型は2段式ハネの24系25型が出るまでのほんの束の間の繋ぎ的形式に
終わって製造両数もさほど多くはなくその関係でゆうづるのみの置き換えだったのでしょう。

撮影;1977年8月 青森駅にて ゆうづる1号、2号、3号が並ぶ。 OLYMPUS OM-1 TX

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念願の雪山バック

2010年01月25日 07時37分17秒 | 日記

おはようございます。
先週末は、甥のの結婚式などのイベント目白押しで土日のブログアップをお休みいたしました。
そして、昨日は今年初の遠征鐡でした。
RDP3さんと昨年よりチャレンジしてきました上越国境の山男ことロクヨンセンですが、
ようやく天候にも恵まれてその雄姿を国境の山バックでカメラに収めることができました。
昨日は、DD51+旧客の上越線での訓練運転もあるとの情報をRDP3さんが得て、
10日ほど前から本格的にプランを練っていました。ただ本来は2071レのみが定期重連
なので、山バックは国境の向こうに行かないと拝めないのですが、昨日は偶然(前情報無し)
で2082レが代走でロクヨンの重連という話が列車が来る直前に舞い込み、これまた偶然に
谷川方面を望むポイントに居たので、この写真をゲットさせていただきました。

ちなみに、DD51+旧客の方の成果は聞かなかったことにしてください。(猛爆)


撮影;2010年1月24日 2082レ 上越線 沼田~後閑 遠く仙の倉、万太郎を望む。

コメント (2)
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