ついに最後の日が来た。
地下街が出来て地下鉄が走るのも賑やかかもしれないが、
電関人は、やっぱり地上に市電が走る福岡の街が好きだった。
最後の数日、日頃のご愛顧に応えるべく運賃無しで走った福岡市電に積み残しが出る騒ぎも。
専用軌道の区間が何とも好きだった。
本当に本当にありがとう。
そんな気持ちで最後の最後までシャッターを切りまくった。
1979年2月10日
ついに最後の日が来た。
地下街が出来て地下鉄が走るのも賑やかかもしれないが、
電関人は、やっぱり地上に市電が走る福岡の街が好きだった。
最後の数日、日頃のご愛顧に応えるべく運賃無しで走った福岡市電に積み残しが出る騒ぎも。
専用軌道の区間が何とも好きだった。
本当に本当にありがとう。
そんな気持ちで最後の最後までシャッターを切りまくった。
1979年2月10日
電関人の知らないあの時代にタイムトリップしてみる。
百間町の機関庫を覘くとDC92がアイドリングしながら佇んでいた。
話によると漁船用のエンジンだとか。
運転ではギアの繋ぎが難しく慎重なクラッチワークが肝要だ。
機関庫の外には、2フィーターを支えるか細いレールが堆く積まれるのと、
この雪深い地区には重要なスノウプラウが置かれて、やがて訪れる冬の準備にもぬかりが無い。
機関庫周辺をうろついていたら、ボーッっと汽笛一声百間町止まりの列車がコッペルに牽かれて到着した。
と言う風に自分が生まれた1961年を想定して写真を組み立ててみた。
頸城鉄道が未だ健在だった頃を少しでも感じてくれたなら幸いである。
2017年10月 百間町
数年前に計画倒れしていた「くびきのレールパーク」行き。
ようやく富山旅行の帰り道にその計画が実現した。
日本の軽便鉄道を代表する頸城鉄道。
保存車輌たちが里帰りして、旧百間町駅辺りにレールを敷いて公園鉄道的に定期的な公開をする。
その中に僅差で西武山口線での活躍を見れなかったコッペルの新2号機(koppel No.5044)がいる。
森林鉄道に従事したボールドウィンのダイヤモンド煙突などと比べ、
コッペルの煙突はスラッとして山高帽を被った紳士にも見える。
今年数え106歳を迎えるコッペルに火が入ることはないけど、
フェイクで山高帽煙突から白煙を上げる姿に、未知の頸城鉄道現役時代を見た気がした。
雨の中、場内で懸命に運営するNPOメンバー諸氏に、敬服の意を表すブログアップとする。
2017年10月15日 旧百間町
日曜のヒガハスにPFがヨをぶら下げてやってきた。
と言うのはやや誤りで、後に回送コキが数両ぶら下がる。
この秋最後のヒガハス田んぼの稲穂越しにいい絵が撮れた。
かつて荷別輸送トン数が間違いなく一番だったであろうお米と今では物凄く稀になった緩急車の組み合わせはこの秋一番の収穫。
2017年11月5日 配8592レ
回送ではあるものの、姿は国鉄時代の臨時急行列車そのもの。
牽引機こそ配置所属の違いはあれども、急客機による12系列車とあれば「ざおう」「あづま」あたりであろうか。
幻想感や急客機に対するスポットライト的な着想から、敢えての逆光側アングル。
川も違うのだが、かつて78年夏元荒川で急客機による客車列車を撮った思い出が綾瀬川に蘇るのであった。
2017年11月5日 EF65501+12系 回送