震災から約3週間。
被災地の復興は目に見えて進んでいますよね。
自衛隊を始め多くのボランティアの方々や、世界各国からの支援に心温まります。
失ったものは多いけれど、明けない夜は無い!沈んだ陽はまた昇ります!
世界で唯一原爆を経験しても戦後ここまで成長してきた国なのですから・・・
田植えされた小さな稲が秋には立派に稲穂を付けるように・・・
胸を張って前に進みましょう。
満面の笑みをたたえた子供たちが立派な大人になれるようにこの国を支えましょう。
今は無くなってしまった鹿島鉄道ですが、
ここ桃浦付近から見た霞ヶ浦越しに筑波山付近に沈む夕日が好きでした。
2006年5月5日
もう一つ、長電2000系A編成惜別に寄せて
2007年の信州撮影旅行の際のカットからリンゴの花コラボをアップします。
この時は生憎の天気で、沿線に咲いていたリンゴの花を入れて思い切り寄ってみました。
画面では分かりずらいですが、HMは「特急しが」です。(運用は各停ですが・・・)
2007年4月28日
長野電鉄の特急車両である2000系A編成(マルーン色)が完全引退しました。
北信地方の桜の季節を目の前にして・・・。
ここ数年は、長野に知人がいることもあって全国でも少なくなった湘南顔(二枚窓)の
フォトジェニックな2000系を追ってきました。
昨年、スノーモンキーこと2100系(JR253系)の導入が決まり、
2000系の引退は分かっていましたが、やはりその日が来ると惜別感はひとしおです。
さらに追い打ちをかけるように屋代線の廃止も来年3月に決まりました。
今年の桜の季節は、是非長電を訪れたいです。
2009年5月に、夜間瀬川のほとりで満開の桜とマルーンを絡ませて撮影できたのが
2000系A編成と桜のコラボでは最初で最後になりました。
2009年5月3日 Nikon F4 28㎜ RDP3使用
とうとう最後のキハ181系が廃車回送されてしまいましたね。
山陰本線、伯備線、山口線を中心に、電関人の青春時代に追いかけた名車が
またひとつ鬼籍に入ってしまいました。
電関人が撮った中でこのダブルキハ181のカットがお気に入りです。(1981年10月)
メタリックなイグゾーストノートが特徴で女性的な魅力のキハ82とは対照的でした。
最後の廃車回送は、職員の方々の優しいデコレートに飾られて幸せでした。
せめてもの救いはキハ181 12が後藤工場で原色に戻されて保存されることでしょうか。
真夏の石見路を颯爽と駆け抜ける181系おき。(1982年8月)
これからも電関人の心の中で走り続けるキハ181系!フォーエバー!!
もう一つ門司港ネタから続きます。
鐡ネタから外れて美味しいもの情報です。
門司港レトロを人力車観光で楽しんでいる際に見つけた気になるお店。
今は、観光鉄道「潮風号」の走る線路になった臨港貨物線の踏切の脇で
バナナの叩き売り発祥の地の碑隣りの「とらや」さんの店先案内にある
ハヤシライスの文字。人力車の車夫もお勧めだったのでこの日のお昼はここで。
トマトの酸味が仄かにあるドミグラソースとオムライス風に卵で包んだのが特徴。
このボリュームで680円(単品)、とてもおいしかったです。
なんでも、あの谷村新司さんが絶賛したそうです。
もし、門司港へ行かれた際にはどうぞおためしあれ。
追伸、バナナのフリッターも珍しいです。