2010年も今日でおしまい。
撮り納めをどうするかを考えて、今日はカシも北斗星も普段の罐で上ってくるので
初めて(?)本来の本務機で揃い踏みを正統的に近所のストレートで狙います。
ゾロ目のカシ罐できてくれました。カンの下に薄っすら雪を付けてますが定時通過。
外環がうるさいのですが、PCポールではないこの場所が電関人は結構お気に入り。
そして2レを待つ間の暫しの間にチョイ鐡。E259系もすっかりおなじみになりました。
派手な顔つきが好きです。
この国鉄型特急車両もいつまで走ってくれるのでしょうか?
そして本日運転の189系彩野使用の日光81号。間もなく253系に置き換えられるので
貴重かもしれませんね。
でもこのスジが2レと被りそうでハラハラドキドキでした。(2レアングルなので・・・)
最後は、もう一つの正統派 北斗星。507号機でやはりカンの下に薄っすら雪が。
ブログを初めて1年ちょっと。
お陰さまで延べ40000人以上の方々にお立ち寄りいただきありがとうございました。
今年は、EF81の優等列車牽引離脱など特別に力を入れた撮影が多かったので、
来年こそ、もっと鉄道本来の醍醐味を表現するような撮影を心がけていきたいと
思います。
1年間ありがとうございました、また来年も引き続きよろしくお願いいたします。
大晦日 狂電関人
26日に行われた、しなの鉄道屋代駅での往年のスター車旧国鉄169系急行型と
長野電鉄2000系特急型との並びの模様と、
屋代線を団体扱いで走った2000系の走行シーンをアップいたします。
169系はかつて急行志賀として屋代駅から長野電鉄に乗り入れて湯田中まで運転され、
その時代には、何度となくこの盟友同士の並びシーンは実現していたのでしょう。
しなの鉄道さんのにくい演出に感謝です。
こんなにもちゃんと小道具まで誂えていただいたのです。
行き先サボと同じデザインのステッカーが2000系の正面窓にも貼ってありました。
こうした邂逅シーンを見たら昭和の時代に戻ったようです。
この駅での並びを暫し楽しんだ後は、屋代線内の2000系走行シーンを撮影しました。
普段の長野線と違う風景を行く2000系は新鮮でした。
25日の大雪の磐越西線とこの日の169系&2000系イベントと
とても充実した2日間でした。
12月26日に長野に行った最大の理由は、
長野電鉄の2000系が屋代線に入線し、
屋代駅では、しなの鉄道の湘南色の169系と並ぶというイベントが有るためでした。
日の出とともに追っかけた貨物列車撮影が終わると、今度は長電沿線に移動。
この日は、昨夜からの雪によって山々が新雪に美しく輝いています。
長電沿線の代表的な山である飯縄山を入れていろいろな場所から
この冬が最後の2000系を撮ってみました。
飯縄山バックの一番の撮影地は、朝陽駅傍のこのカーブ。
この後、屋代線に入線するD編成が須坂行き特急に入ってました。
架け替わった新村山橋を入れて今度はA編成を。
ここからも飯縄山バックで撮影できます。
最後は、屋代線内でD編成が回送で屋代駅に送り込まれるのをやはり飯縄山を
入れて撮れました。
雪の飯縄山と2000系の組み合わせをたっぷり楽しみました。
次回は、屋代駅での169系との対面をアップします。
さて25日の磐越西線での大雪脱出からそのまま翌26日は長野での撮影に挑みました。
長野入りする際に、信越線にて明け方のDE15によるラッセル作業を目に焼付し、
篠ノ井駅に向かいます。
ここで、朝の定番、EF641000番代重連の83レを撮りました。
この日はJRF色の1002号機と原色1040号機のペアでした。
その後しなの鉄道の千曲川鉄橋の袂に移動し、坂城貨物の2088レを撮影。
これもEF641027先頭の重連運用。
さらに、篠ノ井線に転戦しEH200トップナンバーとタキの貨物を撮影。
そして、先ほどのしな鉄の場所に戻り、今度は西上田貨物のEH20016号機+タキを。
朝の篠ノ井界隈は1時間程度でこの貨物列車密度です。
昨日に続き25日クリスマス当日の会津地方での出来事から。
我々はクリスマストレインを撮りながら徐々に会津若松に近づいて行きました。
途中、列車で遠征の35年超来の鐡友であり32Countさんの大学の先輩にも当たる
懐浪漫人さんを山都駅周辺でピックアップする頃には、雪はその降り方が一段と増し、
すでにかなり遅れているクリトレの行き足を阻むようになっておりました。
山都~喜多方で勢いを増す雪に喘ぐC57クリトレ。
C62ニセコの冬の銀山辺りはこんな感じだったのでしょうか!?
現役時代の風格でした。
この後、喜多方を前にして勾配区間で一度立ち往生した。
懐浪漫人さんと合流し、喜多方の先でもう一度撮影を試みるも喜多方で水補給など
相当な時間停車していて、日没となり撤収を余儀なくされました。
雪の状況をみて、最初は懐浪漫人を送りながら郡山方面への帰路を考えましたが、
すでに磐越道が磐梯熱海~津川で閉鎖し49号に溢れ出した車両集中と気温低下で
大型車両が勾配で立ち往生。郡山方面を諦め情報収集と食事のため一旦若松市内
に戻り、ここで49号を新潟方面に進路変更。
そして我々は、ニュースで大々的に報じられた渋滞の只中に・・・。
約1時間開通を待つが動く気配の無い49号線に見切りを付けて、磐越西線沿いの
道路(県道?)を辿りながら何とか津川に出て、そこからは磐越道、北陸道を経由し
長野にたどり着いたのは明け方でした。