元は大牟田の炭鉱で働いていた機関車は
晩年JR大牟田駅を発着する貨物列車を
中継地で引き取りケミカル工場へ送り込む専用線で過ごした
工場内では引火性物質を扱うので
工場への送り込みを担う機関車は
パンタから出るスパークの火花を避けるために
バッテリーを積んだ貨車より電力を供給される改造を受けた
とてもユニークな存在だった
2014年 長月 三井化学専用鉄道 宮浦 Nikon Df
本日よりまたまた郷里へ向かう
今回はある意味これまで半年以上掛かって
やって来た実家のことを或る意味決着つけることへ
さてその出発前のアップでは
コッペルと仲良く直方石炭記念館の裏庭に鎮座する
三菱炭鉱で使われた電機
竪坑では石炭を削り出したその細かい粉によって起きる
炭塵爆発の懸念から大規模炭鉱では早くから電化され
このような電機やバッテリーロコはたまたエアタンクを背負った
機関車まで活用されていた
この三菱製の電気も在りし日を遠く望むように
直方駅傍の高台に佇む
2024年弥生 直方石炭記念館にて Nikon Df
直方にある石炭記念館に鎮座する古老
来年ちょうど日本に来て100歳を迎える
ドイツコッペル社製の罐である
炭都筑豊の宮田町にあった貝島炭鉱は
大規模な露天掘りで旧国鉄宮田線に出すために
炭鉱から伸びる専用線をせっせと50年以上にわたって
活躍した大正時代の輸入機
2024年弥生 直方石炭記念館にて Nikon Df
遅延回復のためと文化の日の祝日に敬意を表して
番外編を一つ
四日市港での出来事
ガラ輸送列車はあくまで臨時列車なので
本来の生コン列車が港線に入線する場合には
全部で3両ある機関車のうちから車庫で午睡を貪っている罐の出番になる
黄色いセミセンター古参機が港駅に到着したものの
なんだか調子がおかしい
入線時から濛々とエンジン室から煙が上がっているのである
と太平洋の職員さんが駆けつけて機関車をチェック
どうもオイル漏れか何かでちょっとやばい状況みたい
2002年11月 四日市港
生活環境整備に時間を費やしブログ更新が疎かになった(反省)
またもや遅延回復運転(汗汗)
今日はいよいよ魔境の一核心部
まずはヤマから所謂ズリ的石灰カスをホキに満載した列車が
四日市の港を目指す
この時期セントレア空港の造成が進んでおりそのための埋め立て材を担うのがこれ
一番バッターは三岐ED45重連である
富田へ出て二番バッターにバトンを渡す
すでに仕事を終え昭和港湾エリアの趣残る線路で一休みするは
顔色が悪いDD51 だが
アンカーにバトンを渡した安どの表情
〆の第三走者は太平洋セメントのDD452
港では夜の静寂を轟音で破り
推進しながら運んできた荷物をポッパー受けへ落とし船積みへ
これを日に何度か繰り返すのだ
ずっと見ていても飽きることがない
2002年11月 三岐鉄道三岐線、四日市港専用線、太平洋セメント港湾プラント
NO WAR NO VIOLENCE
最初戦争を勃発させたあなたたちのせいで、
怒りの炎があちこちへ飛び火しています