4日滞在の北海道もあっという間で202レはまなす寝台車で本州へ。
北海道の旅の締めくくりは、最後の夜行急行を選ぶ。
21時40分ごろ入線。
走行シーンこそ撮れなかったが青いDD51にHMの姿を記録。
おそらく最後になるであろうオハネ24乗車。
ほぼ電関人の鉄道写真人生を共にしてきた24系の躯体は相当に疲れ切って。
まもなく日本の線路上から引退しようとする哀愁を感じつつ最後の旅立ちを。
ハネ、ハザ併結も急行はまなすならでは。
北海道特有のDC・ハネ併結も見てみたかった。
2014年9月 202レ急行はまなす
SLニセコ号のラストカットは前日通過時間ぎりぎりになってしまった蘭島~塩谷に。
サンモリッツ橋で撮った後は、ここへ直行し場所を確保。
夕焼け空がそのピークを過ぎた頃ニセコ号がやってきた。
小樽へ向けてのラストスパートは昨日より力強く駆け抜けた。
2014年9月 函館本線 蘭島~塩谷 C11207 9223レ
山陰の旅に出るようになって初めてテーマに据えた「餘部鉄橋」。
しかしながら、そのスケールの大きさと歴史の重みに圧倒されてどう切り取っていいのか試行錯誤の連続。
おまけに天候までが、期待する雪が降るどころか毎年雨に悩まされるし、
雪や荒れた日本海を期待して冬ばかりの旅だから晴れ間すら得られない。
冷たい雨に重たくモノトーンに沈む大鉄橋と対峙しながら悪戦苦闘が続く。
1977年12月 山陰本線 餘部
蘭越まで行ったニセコは一旦倶知安に引き上げ、再び蘭越まで回送される。
その回送列車を比羅夫駅にて待ち構える。
ニセコアンヌプリの麓に位置する比羅夫駅は少し秋の進行が早いように思えた。
谷間の駅は、不思議にもかつての急行ニセコが通った時代からそんなに時が進んでいないような空気が支配する。
そんな比羅夫駅の宿泊施設に泊まって日永往来する列車を出迎えつつ過ごすのも一興だろうかと。
2014年9月 函館本線 比羅夫駅 回9222レ(?)
電関人自身の中で未だに越えられない夕景写真。
それがこの1982年秋に津軽鉄道の芦野公園と川倉の間の築堤で捉えたカット。
あれから各地で何度も夕景を狙っているものの、その瞬間に出会えない。
1982年秋 津軽鉄道 芦野公園~川倉