![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/6e/7fd6fa7219365c6d117632f777ea586f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/33/6426d351eadb610cdde2d95ca0ac5699.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/8c/2ebf888736af5cb36719e0bb31c60723.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/73/0fdd2a0e4bb681b8f9e4628a39c3c1c2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/02/425b83fd201e8e24c038fbfc21376996.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/47/2b8e6852815374beec43804c96718c26.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/99/a10bb15d02691e3fe0a42e0e6db1ebd1.jpg)
今回の渡道の主目的の一つ。
それが、此処丸瀬布の森にいる国産のヌシ雨宮21号に逢うこと。
全体の行動スケジュールも、この運転が土日であることを軸に構成した。
生田原から取って返して丸瀬布の森に向かうと準備万端、駅に据え付けられている。
その小さくも武骨な躰がしっかりと息づく様を見ていると、こりゃぁ乗らずには居られない。
特等席に陣取り、機関士氏のコック捌きを暫し注視。
6月とはいえ、丸瀬布の新緑を抜ける列車にホンモノの林鉄の風を味わうことができた。
2018年水無月 丸瀬布 E5/D5
電関人の知らないあの時代にタイムトリップしてみる。
百間町の機関庫を覘くとDC92がアイドリングしながら佇んでいた。
話によると漁船用のエンジンだとか。
運転ではギアの繋ぎが難しく慎重なクラッチワークが肝要だ。
機関庫の外には、2フィーターを支えるか細いレールが堆く積まれるのと、
この雪深い地区には重要なスノウプラウが置かれて、やがて訪れる冬の準備にもぬかりが無い。
機関庫周辺をうろついていたら、ボーッっと汽笛一声百間町止まりの列車がコッペルに牽かれて到着した。
と言う風に自分が生まれた1961年を想定して写真を組み立ててみた。
頸城鉄道が未だ健在だった頃を少しでも感じてくれたなら幸いである。
2017年10月 百間町
数年前に計画倒れしていた「くびきのレールパーク」行き。
ようやく富山旅行の帰り道にその計画が実現した。
日本の軽便鉄道を代表する頸城鉄道。
保存車輌たちが里帰りして、旧百間町駅辺りにレールを敷いて公園鉄道的に定期的な公開をする。
その中に僅差で西武山口線での活躍を見れなかったコッペルの新2号機(koppel No.5044)がいる。
森林鉄道に従事したボールドウィンのダイヤモンド煙突などと比べ、
コッペルの煙突はスラッとして山高帽を被った紳士にも見える。
今年数え106歳を迎えるコッペルに火が入ることはないけど、
フェイクで山高帽煙突から白煙を上げる姿に、未知の頸城鉄道現役時代を見た気がした。
雨の中、場内で懸命に運営するNPOメンバー諸氏に、敬服の意を表すブログアップとする。
2017年10月15日 旧百間町