狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

原色1976 IN 小倉駅

2024年06月05日 11時48分39秒 | 国鉄・JR 九州
ゴーマルサン時刻改正の約一年後
福岡県地方に纏まった雪が降ったので
スクランブル発進で小倉駅までやって来た
まだ覚えたての父親譲りのハーフ一眼レフ携えて
到着早々珍しい列車に遭遇
下り明星3号西鹿児島行だ
本来は小倉通過で博多に5時前に到達するから
この時点でおそらく5時間ほど遅れていたようだ
しかも新大阪寄り先頭車に珍しくクハネ583
MGが床下吊り下げで乗務員扉すぐに旅客扉が付く

暫くして小倉駅に入線してくる博多発小倉廻り
西鹿児島行ディーゼル特急にちりん
これまた珍しく先頭のキハ82には寒地型タイフォンカバーが
向日町から鹿児島転属組か?
1976年 如月? 鹿児島本線小倉駅 OLYMPUS PEN F サクラカラー

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豊後森の番人

2024年06月04日 05時44分02秒 | 国鉄・JR 九州
豊後森に今も残るラウンドハウス
かつてはキハ07が番人をしていたが
今は福岡からやって来たこのキュウロクになっている
2024年 如月 久大本線 豊後森 Nikon D5
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採銅所駅の気品

2024年06月02日 11時53分32秒 | 国鉄・JR 九州
かつて香春岳で産出していた鉱物は銅鉱石が多かった
そのため地名や駅名にも採銅所の名が残る
鉱山全盛期を物語るように採銅所駅には駅の気品が強く感じ取れる
エントランス上部に掲げられた駅名版は切り株をスライスした一枚板
日田彦山線だけに日田杉であろうか?
鉄のラッチもそのままに残される
エントランス外には両サイドにこれもまた無垢の木材を加工した
温もりのあるベンチが据え付けられる

駅本屋の上り方脇に残される積出用側線の有効長はかなり長く
何両もの貨車が据え付けられるようになっていた

駅本屋の窓枠にも注目したい
木の当時から残る窓枠にも漂う大正浪漫
そしてホームにはかつてはどの駅にもみられた
工業デザイナー氏の手によるカーヴが美しい腰掛に
僅かな昭和のモダニズム
無人化された後もきれいに維持される採銅所駅に
今も残る凛とした気品

2024年 弥生 日田彦山線 採銅所駅 Nikon Df
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穿たれた複線トンネル

2024年06月01日 11時50分25秒 | 国鉄・JR 九州
今は水害の影響で全線が繋がってないが
久大本線夜明から分岐して日豊本線城野まで伸びる日田彦山線は
かつて筑豊地区の物資を運ぶ動脈として筑豊本線と共にあった
そして中間駅の採銅所は名の通り銅鉱山を有し輸送物資も豊富
当初から輸送力確保のために複線にする計画があった
そして穿かれたトンネルも複線用のものであった
2024年 弥生 日田彦山線採銅所駅 Nikon Df


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黒ダイヤと白ダイヤ

2024年05月31日 04時26分43秒 | 国鉄・JR 九州
筑豊には二つのダイヤが存在する
エネルギー革命によって産出を止めた黒いダイヤこと石炭と
香春岳や船尾山といった山から産出する白いダイヤ石灰石
石灰石の方はセメントの原料として
生産量こそ減ったものの未だに操業中
船尾駅界隈はかつてはホッパービンを使ってダイレクトに
貨車に積んでいたため周囲は真っ白になっていたのを記憶するが
今の船尾駅周辺はトラック輸送に代わって昔の駅周辺と趣が変わった

2024年 弥生 後藤寺線船尾 Nikon Df
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