昨日は各地で凄い雨が降った。
そんな中、電関人は家内と二人で北関東をうろついていた。
水戸線沿いに東西に動いたりさらに南下して学園都市に宿をとって、翌日は山登りを割愛して一路海辺に。
今朝ほど石岡の旧鹿島鉄道の機関区があった場所を常磐線を越す道路から眺めたら機関区跡は更地に。
そんな雨の鹿島鉄道(いや関東鉄道鉾田線といったほうがしっくりくるのであるが、)を回想していたら、
ふと桃浦駅のてるてる坊主を思い出した。
かつて線路があった道床に立ち耳をすませば、ただ雨乞いする蛙の歌が聞こえるのみ。
もうここへは列車は通わない。
1982年秋 関東鉄道鉾田線 桃浦駅
バタデン初日の大社線を後にする最終カット。
結構余裕を持ったはずが、慌ただしく松江宍道湖方面へ移動するための乗車電車を狙った。
ちょうど好い具合に弱日がさして・・・。
家路。
そんなイメージにピッタリなシーンを300㎜で切り抜いた。
2014年 皐月 大社線高浜駅
一畑2日目、この日は山陰本線を下っていくため二時間という僅かに限られた朝練をした。
しかも前日の愚図ついていた天気とは打って変わって神々しい朝陽が燦々と神の国雲州を照らしてくれている。
前日掠りもしなかった2100系に朝から幸先よくヒット。
電関人が40年近く前に大社駅で撮っておいた純一畑色の2100系が美しい。
臨時用の赤・白ツートン車は残念ながらホテルに引き上げる際に平田駅脇で目に焼き付けになったが・・・。
折からの強い西風に細かくさざ波立つ水田を前景にすっかりばたでんの顔になっている旧ズームカーこと3000系を、
斐伊川がもたらした肥沃な沖積平野らしい景観に置いて今回のばたでんラストシュートとした。
2014年 皐月 一畑電鉄 雲州平田~布崎 301ㇾ、303ㇾ
と言うことで、鐵友32Count氏のアップにインスパイアされて急遽旧国シリーズで追随。
大学入学後すぐのGW明け。ようやくクラブの雰囲気にも慣れて諸先輩方の道案内によりゲタ電が生息する大糸線に2度目の訪問。
夜行アルプス信濃森上行に乗車して一路日本の屋根の懐を目指した。
電関人のお目当ては何といってもコイツ!全検上がりたてのクモハ40は鈍い輝きを放ち検車棟脇に鎮座していた。
コイツも中間車扱いで幌付きの厳つい顔付からもなかなか先頭で運用に入らないことを物語っている。
そして長キマ詣でもさることながら、やはり走行シーンと言うことで確か最終日は小雨がそぼ降る生憎の天気の中木崎湖畔からフルノッチで
ゲタ電サウンドを響かせながら連続勾配を登坂してくるゲタ電が健気であった。
1981年 皐月 大糸線
辿り旅中通った箇所も含めて、現在中国エリアでJRの不通区間は二か所。
先の大雨によってのり面が崩れたり、橋梁が流されたりして山陰本線と山口線が分断されている。
現在この先を山口線に分け入っても線路が途絶えている。
そして電関人が山陰本線を西下する際も、
例の惣郷橋梁で有名な宇田郷のあたりで斜面がごっそり崩れ落ちた土砂を不休の作業で取り除きほぼ線路の復旧には目途が立っている状況。
その脇をJR代行バスで須佐~奈古を移動。
再び単行のヨンマルに乗車しさらに西へ。
赤錆た線路は今秋再び繋がる。
山口線も再び新山口と益田が一線で繋がる。
その開通時には、記念列車をぜひ蒸機列車でお願いしたいものである。
2014年 皐月 山陰本線 益田駅下りホーム 奈古駅