1978年春、高校最初の春休み(厳密には試験休みの自宅学習期間中)電化間際の日豊南線にDF50を追って旅をする。
南九州周遊券を使い、行きは小倉回りで501レ日南4号を利用。
写真こそ無いが乗車の1号車は、合造車の青いオハニ36だったことを記憶している。
それはさておき、日南乗車までの間門司駅に足を延ばし暫し夜汽車の撮影を楽しむ。
この当時、九州島内にはかいもんと日南の1往復ずつとながさき号の3本の旧客使用の夜汽車の設定があった。
3列車とも下りは門司港始発であるが、実質乗客は小倉以降の乗車が主でここ門司ではまだ殆ど空席のまま。
電車やディーゼルとも違い、さらに電源車などもない旧客による列車は停車中何の音も発しない。
夜更けの宵闇が辺りを支配する中、照明の下人影も無く静寂に佇む101レかいもん。
一夜の旅が静かに始まる。
1978年3月 鹿児島本線門司駅 101レかいもん4号(青列車様からご指摘をいただき時期を修正しました)
※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチっと宜しくお願いします。
旧客による急行列車の想い出と言っても、その大半は目に焼き付け。
冷水越えの天草や本線の桜島、阿蘇、五島、雲仙など・・・。
それは、50年3月改正で一挙に消えてしまった。
それでも本州連絡では、山陰本線に入るさんべや九州島内急行の日南、かいもんに残った。
唯一、いわゆるゴーマルサン以前に訪れた下関でゴハチの雄姿は撮れなかったものの、
ハーフサイズのややピンアマのボロボロ写真だが、南福岡4:46の始発で着いてすぐ既に山陽本務機は解放されて、関門本務機の
新鋭EF81301号機が付けられた直後の215レ急行つくし2号博多行である。
オハネフ12、オロネ10・・・スハ44といった旧客車両オールスターズの編成が少しだけ見えている電関人が撮った旧客急行帝国時代の1枚。
1974年?月 山陽本線下関駅4番線 EF81301号機 215レ つくし2号
※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチっと宜しくお願いします。
阪和鉄道のロコ1000形として作られた機関車。
窓の上部のアールに、モタ、クヨといった阪和の名車達の名残があり、
「矍鑠」という表現がまさに当てはまる罐。
電関人が出逢ったこの年既に製造47年が経過していた。
できる事ならば、コイツの走行写真をカメラに収めたかったのだが、
この日のあまりの暑さに熊谷経由で退散してしまった。
悔いの残る足長おじさんとの初対面。
1978年8月9日 秩父鉄道 秩父 ED383号機
※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチっと宜しくお願いします。
時はまさにEF58が山陽路のブルトレから撤退した1979年の7月。
夜に1往復設定されていた宇部線のゲタ電運用。
折り返しの発車まで人影が少なくなった更けゆく下関の構内に佇む。
運転手の所在なさがこの電車が活躍してきた悠久の時間を示す車体の凸凹と相まって、
昭和の国鉄を醸す。
1979年7月 山陽本線 下関駅 クモハ51
※励みになりますので、左のにほんブログ村鉄道写真ボタンをポチっと宜しくお願いします。
15日の朝練の際、蓮田で鉄道との絡ませ方を思案しているとヒラヒラ飛ぶ黒っぽいトンボを発見。
普通のトンボと違うのは2点。
後ろの羽根の方が大きいこととその4枚の羽根をヒラヒラト動かして飛ぶ様子。
蓮の葉にとまってのをよく観察すると、黒というより濃紺のメタリックで羽根の透き通った部分は虹色に輝く。
なんだか宮崎駿の漫画に出てきた爆撃機を思い出す。
そう言えば今度の宮崎映画、氏は根っからの飛行機チャンだから見るのが楽しみだ!
2013年7月15日 蓮田の蓮田にて(爆)