狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

EF58紳士録 雨の岩国駅

2010年07月31日 09時53分57秒 | 昔の写真
なんだか演歌のようなタイトルですが、

雨の駅構内は、夜になると水銀灯によって不思議な輝きで浮かび上がります。

撮影後暫く気が付かなかったのですが、良く見ると写真の上り荷物列車を牽引しているのは

一体鋳鋼台車を履いた5号機でした。

ビニロック型のエアフィルターが雨にぬれて輝いてとても印象的でした。

撮影;1977年12月 山陽本線岩国駅 EF585号機 上り荷物列車 
         OLYMPUS OM-1 ZUIKO 50㎜ f1.8 TX ASA1600相当増感
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気動車特急王国 山陰本線

2010年07月30日 22時00分45秒 | 昔の写真

今日もキハ181系定期列車運用引退を記念して気動車特急ネタをアップします。

私が足繁く通っていた1970年後半から1980年代にかけての山陰本線は

まさに気動車特急王国と言っていいほど、
キハ82系やキハ181系の列車がひしめいていました。
単線の山陰本線ですので何処かの駅で必ず列車同士が交換するわけですから、
ダイヤグラムを見て、気動車特急同士が出会う駅を探して、
そのシーンを撮りに行きました。

先ずはキハ82同士で、


場所は、居組駅。この頃は冬だというのに暖冬で降るのは雨ばかり・・・
山に挟まれた小さな駅で、運転停車の8Dまつかぜ1号を横目に21Dはまかぜ1号が
通過して行きました。(1977年12月)

次は交換ではなく出会いの1枚。
場所は城崎駅です。

14Dあさしお3号と15Dあさしお3号の出会いです。(1977年12月)
もうひとつの交換シーンは181系同士です。


1022Dおき1号と31Dやくも1号の交換で荘原駅です。(1978年1月1日)

もうひとつおまけで、

37Dやくも4号と1026Dおき3号の出雲市駅での顔合わせです。

この時代には、山陰本線の大半とと福知山線を走破する特急まつかぜ、
播但線回りで大阪と山陰中部を結ぶ特急はまかぜと山陰本線・宮津線で山陰北部の
観光地と京都を結ぶ特急あさしお、それに陰陽連絡特急のやくも、おきが活躍していた
まさに気動車特急の黄金期でした。
現在の山陰本線の列車密度からすると想像がつかないほどだと思います。


撮影;NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2/OLYMPUS OM-1 ZUIKO 50㎜ f1.8 TX

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ゴハチ紳士録 最晩年の20号機

2010年07月29日 22時44分42秒 | 昔の写真
今日は、不測の事態で予定していた気動車特急ネタの続きがアップできません。

よって、久々のEF58紳士録に差し替えさせていただきます。

大学受験が迫る1979年夏。EF58牽引の山陽ブルトレ最晩年の年に

どうしてもゴハチに会いに行きたくなり下関に出かけました。

写真はブルトレ運用ではなく、荷物列車の運用に就く広島の20号機をアップで・・・

ベテラン機関士の真剣な眼差しと長年の風雨にさらされ傷んだ車体。

「老練」という言葉がとても似合うカットが撮れました。

20号機はこの年の11月に廃車になっています。

撮影;1979年7月 山陽本線下関駅にて NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2 ER
         1/15sec.手持
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陰陽連絡特急 やくも

2010年07月28日 23時13分57秒 | 徒然鉄ネタ
今年の11月をもってキハ181系が定期列車から引退します。

キハ181系のデビュー列車は中央西線特急のしなの号で、1975年3月の改正まで

大阪~長野の1往復が残っていましたが残念ながらこの目では見ていません。

また、EF71と共に板谷峠越えするつばさ号も有名でしたが

こちらも残念ながら会えずじまいです。もっともその前のキハ82系時代のつばさには、

幼少の頃父親の実家に行くのに東京~山形を乗車しているのですが・・・(爆)

電関人にとってのキハ181系と言えば、タイトル通り山陽本線の岡山と

山陰本線の米子や出雲市などを結んでいた連絡特急のやくも号なのです。

金属的な甲高いイグゾーストと先頭車の1/3ほどを占める大きな機械室、

それに屋根の上の長いラジエターが特徴的です。


紫煙高らかに自慢の強力エンジン全開で岡山駅を後にするやくも号。(1977年3月撮影)

連絡特急とは言え、モノクラスではなくグリーン車と食堂車も連結する豪華な編成。

沿線の山並みが美しい木曽路を行く181系しなのは拝めませんでしたが、

かつてD51も3重連で喘いだ伯備線の勾配区間を軽快に登っていくやくも号は、

その性能に相応しくとても絵になりました。


伯備線の名勝地、布原付近を行く181系やくも。(1981年9月撮影)

撮影機材;NikonF2 PhotomicSB Nikkor50㎜ f2  TX/PKR

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栄光の気動車特急 1D かもめ

2010年07月27日 22時51分23秒 | 徒然鉄ネタ
国鉄型気動車特急の終焉ということで昨日から暫くこの特集ネタです。

電関人が何よりもこよなく愛した特急列車が気動車特急かもめ号です。

小学校4年生で父譲りのカメラを提げて最初に鹿児島本線脇に立ったのも

一番影響をされたのがこの列車だったのです。

以来昭和50年の新幹線博多開業まで一番多くカメラを向けたのもこの列車でした。

最後の最後、昭和50年3月9日涙雨の中、かもめ最終列車は関門トンネルを超えることなく、

下関止まりでした。

そして編成もキシ80抜きの6連+6連で翌日から運転の新特急おき号用に編成替えされ、

この後小郡へ向けて回送されて行きました。

撮影;1975年3月9日 山陽本線下関駅 1Dかもめ OLYMPUS PEN F ZUIKO38㎜ SⅡ
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