札幌行きカシオペア紀行がついに終了。
とはいえまだヒガハスの夕方にカシオペアは撮れるのであるが、
陽は段々と高くなり夕映え狙いは終わりか。
年明けて夕映えのカシオペアを狙った三態を並べてみる。
最初は、1/21で日没後の残照で結構イメージ通りに26系もオレンジに染まった。
こういう時は真紅の95号機が良く似合う。
光が届くことを期待した2/11。
無情にも太陽は雲の中に隠れてしまった。
それでも西の空の赤味と空の色でなんとなく雰囲気を出せた80号機の巻。
そして・・・
81号機の先週土曜。
やはりというか厚い雲に阻まれて、さらに太陽の位置も高いので辺りもそんなに夕映えはせず。
札幌行き最終列車に集まった大勢の同好者のため息の渦となった。
2017年1月・2月 ヒガハスにて
米どころの里から山へ分け入り会津へ至る六十里越。
豪雪の里入広瀬より先、細道の雪はさらに深く。
列車密度は低いもののその鉄路をしっかりと守る小柄な力持ちは今日もせっせと除雪作業。
入広瀬を過ぎ、旧柿の木駅辺りからは本格的な山岳路線の様相を呈し、
トンネルと鉄橋、スノーシェードで破間川に寄り添いながら高度を上げていく。
そのプロローグ大白川駅手前で除雪作業をキャッチ。
大白川駅を過ぎて、トンネルを一本過ぎると本格的な六十里越が始まる。
道路は冬季通行止めで、その終点から山へと突き進む除雪車を見送る。
投雪の雪煙を高らかに上げる姿に、全通まで只見線を守るぞと力強い意気込みが感じ取れる。
2017年 冬
残すところ改正まであと1週間。
今年の改正は、鬼が出るか蛇が出るか・・・。
気を揉んでもしょうがないので、淡々と。
日が昇る少し前、海コン特有のシルエットを残し4072列車が上っていく。
2017年2月 蓮田~東大宮
山を下りる二番列車を撮る場所を探してうろうろする。
何せ生活道路しか除雪されていないので自ずと撮影場所は限られるのだ。
そして、沿線国道を2往復したのちに見つけた上条駅近くのポイント。
「吾妻建ち」という白壁に格子状の構造木材が露出する特徴の家々が目立つ地区。
これは砺波平野を中心とした北陸独自の建築方法なのだとか。
察するに北陸からの開拓移民が土着したのかと・・・。
そして越後須原に鎮座する重文目黒邸の目黒家は会津の武士が帰農したとあり、
六十里越を縦走しての福島からの移民なのかと・・・。
さらに現在は廃村となっているが、旧守門には新潟出身者が満州からの復員で開墾に入ったとの記録もあった。
日本でもトップクラスのお米を作る人々のルーツはどうも複雑のようであるが、
厳しい冬を辛抱して良いものを拵えるというDNAは共通して持っているのであろう。
2017年 1月 2423D 上条~越後須原
まだ100%の整理ができてないものの、おそらく電関人が撮った500番台最若番である。
現役大学受験が全滅して浪人確定の後、けじめ旅行の撮影と記憶している。
当時ASA100のネガフィルムで1/60sec.のSSか通過列車のDD51貨物がややブレている。
今や観光鉄道線の折り返し駅となっている保津峡駅の懐かしい山陰本線時代。
もう一枚、ナンバーは読めないが前面の手すりに左右ジャンパフックがあるので三桁か四桁機か。
青で統一された編成が急行列車を彷彿とさせてくれる。
1980年春 山陰本線 馬堀~保津峡