改正当日の26日、その変化を見にヒガハス詣で。
黒磯での機関車付替えが廃止となり、ヒガハスを通過するロクロクは基本的に消滅。
朝から金太郎飴状態にEH500が往来。
3桁機でありながらEF210ですら恋しくなるようなラインナップである。
高くなった陽射しがやや傾き始める頃、畑の菜の花越しに春らしいカットを狙う。
4091レは岡山の14号機。
カシオペア騒ぎも収まり平和が戻ってきたヒガハス。
2016年3月26日 東北本線 東大宮~蓮田 EF21014(岡)4091レ
初めて瀬野機関区に行った時の一コマ。
旧EF53や56を種車にしたEF59がゾロゾロ居る眺めも壮観だったが、
その中でも特に目が行ったのはプッシャーの連結器の周辺である。
走行解放用の複雑な構造と共に、当時活躍していた10000系貨車のために貨車側に空気を送る配管があり
連結器周辺はゴチャゴチャとして、唯でさえ旧型電機のデッキ回りはリベットなどゴツゴツしている上に複雑な装置が密集。
ガキ鐵ゴコロを思い切り擽られた。
1976年8月 山陽本線 瀬野機関区にて EF5922号機
時刻改正を一日過ぎた。
昨日、ヒガハスの地に立ってみると圧倒的な金太郎支配率。
黒磯での機関車交換が廃されスルーとなった関係から直流北限でのこの光景は過去のものとなった。
例年に比べ雪が少ない今年2月、日光連山と日光白根に見送られて北を目指す4083レ。
宇都宮区からゴハチが居なくなったのに近い衝撃を受けた。
2016年2月 東北本線 蒲須坂~片岡 EF66118号機 4083レ
昭和40年代に世界初の電車寝台として登場した581系。
同形式は専ら夜行運用のみ使用されたのではなく481系族を補完すべく昼間使用においても活躍した。
中でも名門愛称である「つばめ」として熊本~名古屋の900km超を5M・6Mで走った栄光の歴史を刻む。
唯、この581系(583系)の誕生は時すでに遅く次第に伸びゆく全国新幹線網と急速なモータリゼーションの挟撃に遭い
早々にその運用範囲を失っていき一部近郊電車化の憂き目にあったり車齢浅く廃車になったのは周知の通り。
写真は山陽新幹線岡山開業を受け、481系とタグを組んで岡山までの運用となった後の最晩年の581系つばめ。
忍び寄る新幹線博多延伸まで、ほぼ出来上がった九州縦貫道の築堤を横目に雪の鹿児島本線を力走する。
クリーム地に青を纏った唯一の形式として国鉄が作り上げた心に残る悲運の傑作。
1976年2月(?)581系 1014Mつばめ7号 鹿児島本線 二日市~水城(現南都府楼信号所付近)
いよいよ明日に迫った改正。
改正を待たずに先週、貨物の最後の原色PF稼働機である2119号機がひっそりと最終運用を終えた。
先に休車となった僚機2121号機と共にかつては山陽ブル牽引運用からゴハチを追いだした敵だったし、
福岡に生まれ育った電関人のこだわりであるスノプロも未装着で赤プレ原色機ほど追わなかった対象。
しかし、汎用機でありながら500番代から受け継いだ急客機塗装を誇らしげに貨物を牽く雄姿がもう見れないのかと思うと
それはそれで一抹の寂しさを禁じ得ないのである。
今にも泣きだしそうな空の下、走り慣れた武蔵野線で最後のシャトル便運用をこなす2121号機。
電関人が最後に青プレ原色機を見送ることとなった列車。
2016年2月20日 EF652121号機 73レ 武蔵野線 北朝霞~西浦和