電関人にとって、現役DD51若番達に最もよく会えたのが山陰本線だった。
77年春、鉄友数人で出かけた山陰本線西部。
現着間もないうちに来たのが上り列車を従えた42号機。
資料によると新製配置は鳥栖の罐。
このあたりのロットは屋根に扇風機納めのでっぱりが無くスッキリしているのが見て取れる。
メインは残り少なくなったDF50が目的だった撮影行だったが今思えば良い記録。
件の上り列車は長門市行だったのか、しばらくして42号機が下り列車を牽いて戻って来た。
山陰のDD51はスノプロ付きなので面構えが締まって見える。
1977年4月 山陰本線 福江~吉見
年改まって間もない北関東の冬枯野。
道床法面を野焼きして、田畑も次の耕作目指して鋤が入り、
もう次の季節へと着実に進んでいっている。
唯、空気だけはまだひんやりと澄んでいる中、
季節の歩みを追うように力強い煙と共に列車が往き過ぎる。
二〇〇八年 睦月
大学一年の秋休み、米子で若番同士休息をとる41号機と50号機を撮る。
ホームから慌しくカメラを構えていると何が珍しいのかと国鉄マンに不思議がられた。
手すりにジャンパ栓なども無くすっきりした顔立ちが良かった。
ゴツイ耐寒装備が無いのも山陰デデゴイチの特徴。
1981年11月 米子
長野電鉄の代表的沿線景観である高社山。
「高井富士」とも呼ばれて郷土富士の一つとして信仰されている山でもある。
山之内線夜間瀬付近まで来るとグッと迫る高社山の斜面を背景に高原鉄道的景観に恵まれる。
その斜面が秋色に染まる頃、マルーンやりんごの色使いの2000系がとても良く景観に馴染んだ。
屏風絵のような錦秋の斜面を背景に夜間瀬川を渡るマルーン2000系。
果物畑が実りの色一色に染まる中を駆け抜けるりんご2000系。
2000系は高社山の秋の風景のいちアイテムだった。
2008年11月 長野電鉄夜間瀬付近
明日は秋分の日。
ほんの少し前まで、セミが鳴いて暑かったのにグッと秋めいて日も短くなった。
夕闇迫る名撮影地にハイビームかざして近づくロクマル。
2008年9月 高崎線 新町~神保原