昨年に続き、明日からまた日本海を見に北へ出かけてきます。
昨年、五能線で撮影できた列車は2日間でこの1本のみ。
今年こそたくさんカメラに収めてきたいと思う。
しばらく更新とレスができませんがよろしくお願いいたします。
2013年1月19日 五能線 追良瀬~広戸 遅れのリゾートしらかみ
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白神山地に水源を持つ追良瀬川が日本海に注ぐ河口を湾曲してまわり込む線路をゆっくりと客レが進む。
薄っすら積もる雪が寒さを増す荒涼とした景色の中をそっと進む。
偉大な大自然の中で鉄道の存在は、ちっぽけで頼りなげだ。
その過酷なまでの自然相手に冬も黙々と走る五能線と今年も対峙する。
1983年2月 五能線 追良瀬~広戸 DE10牽引客レ(機番・列番不明)
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20系あさかぜの写真で走行写真を交流区間ではさほど撮っていない。
そんな数少ない、しかも駅撮りで9レが小倉駅に進入する写真。
門司でバトンタッチしたアンカーED731021号機が残りわずかなラストランを任される。
本州のロングランに比べたらわずか70数キロの距離を担当する九州赤べこはED731000番台の独壇場だった。
1976年7月(?)鹿児島本線 小倉駅 ED731021号機 9レあさかぜ1号
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このシリーズ2度目の掲載かと。
ちょうど暖冬期に当たっていた70年後半の山陰地方は氷雨が多く撮影予定を大幅に変更されること頻りであった。
そんな時には、乗り鉄で周遊区間を行ったり来たり。
車窓越しに機関区の写真なんか撮っていたその1枚。
走行中の列車からで外も暗くややブレているけど、米子にはまだまだ2ケタのDD51が結構多くこの日の米子区には44号機や24号機が屯っていた。
そしてDE10(?)越しにはDF50の屋根も見えたり、DE15のラッセルヘッドがいたりはたまたキハ180などターンテーブルの回りは賑やか。
住人こそ蒸機からディーゼルに変わったが写真左には巨大な給炭設備が現役然と鎮座しコンクリート製ホッパービンに大がかりなクレーンが、
つい数年前までこのラウンドハウスをくろがねの機が埋め尽くしていたことを物語る。
1978年1月2日 山陰本線 米子機関区 DD5144号機、24号機他
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かつて当たり前に存在した風景。
しかし、その非効率さゆえにどんどん姿を消して近い将来蒸機などの一部のイベント列車の運転以外には
この運転形態は姿を消してしまうのであろう。
間合いの運用で各停に使用されている475系のサハシといい、
原田駅の0番線におけるDD51726号機の懐かしい機回しの風景。
1977年10月30日 鹿児島本線 原田駅 DD51726号機
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