明日から9月。
タイトル通り秋になると8009レが下る頃の光線が一際きれいになる。
そろそろ8009レ遊びを再開。
E26の車体は、穂波に映える。
うっすら東の空が色づく中、下る青罐が引き立つ。
上)2012年8月26日 東北本線 東大宮~蓮田 EF510515(再掲)、下)2012年9月15日 東北本線 赤羽~浦和 EF510504(再掲)
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鹿児島本線の駅として、長崎本線の分岐点としてそして久大本線の発駅として栄えてきた鳥栖駅。
鳥栖駅といえば、ドイツ ドルトムントのUNION社 1889年製 レール。
この駅の主的存在。
そして、大きな給炭塔設備。
九州の無煙化直後の76年で、給炭塔は未だ現役のようにその矍鑠とした姿で周りに控える機関車たちを見下ろしていた。
セキがピットに荷卸しした石炭を自動で掬い給炭塔に積み上げるこの巨大な設備には、かつて在籍していたC55、C57、C59、C60、C61
といった歴代の急客機たちが面倒を見てもらっていたのであろう。
陽が大きく西に傾くころ、当駅始発の久大本線の下り列車が忙しく荷積み作業中でここにもう一つの鳥栖の顔であるキユニ16 1が居た。
幹線、亜幹線ともにまだまだ生活路線として活躍していた証。
久大本線のすべての列車がユニ付だった頃。
鉄道の街 鳥栖が健全に活動していた時代。
1976年5月6日 鹿児島本線 鳥栖駅
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19870年代から1980年代にかけてある意味好対照だった2機のマンモス電機。
一方では流線型で華やかなF級機ロクロクに、他方無骨で実用重視のH級機のEH10。
その山陽路、東海道を力を持て余しながら闊歩するブラックマンモスには哀愁が漂っていた。
こいつが青い車体でHMも誇らしげに旅客列車を牽いていたらと思うと・・・。
1980年3月 東海道本線 山崎~向日町 EH1034 貨物列車(列番不明)
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撮った時にはさほど思わなかったのだけど、
珍しくも大分の罐が鹿児島本線に入っていた。
電関人が記憶する限りにおいては、日豊本線の大分罐と、鹿児島本線の門司罐、鹿児島罐は完全に区別されていた。
しかも、この写真をよく見ていただくとキハ28と17の2両の甲種(配給?)である。
この大分の20番台菱形パンタ機を鹿児島本線上で撮ったのはこれが最初で最後。
1976年7月3日 鹿児島本線 博多駅 ED7626甲種(配給)回送
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昭和50年3月の改正で、昼行特急から夜行特急に変わった特急なは。
DC特急に始まり、481系から581系へそして24系25型と4度の使用車両変更があった稀有な列車。
その編成美を捉えた1枚で、関西夜行は走行距離から大半は食堂車を営業していなかった。
それでもシとロザが入ったフル編成は良かった。
3段寝台の構造から屋根高でずんぐりした車体はなんといっても10輌以上繋がっていないと絵にならなかった。
無論今となってはその希少価値から編成の言及などしてられないのだが。
1977年7月 鹿児島本線 東郷~福間 35M なは
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