雪が降ると線路端に行きたくなるのは鉄の習性か。
昨日久々に雪がうっすらと積り後ろ髪をひかれながら職場へ向かう。
その雪が残る今朝は昨晩の遅い新年会で二日酔いのためダウン・・・。
今でこそデジタル機材により露出が無い中での撮影は格段にやりやすくなったけれども、
かつての銀塩時代から何とか薄暮に通過する上り寝台列車を絵にしたく雪の中、繰り出したものだった。
引いた画面構成により遅いSSによるブレを目立たなくして、ED72が牽く上りはやぶさの雪の走行を撮る。
寒々とした中で、オシからこぼれる灯りが往年の寝台全盛期を思い出させてくれる思い出の一枚。
1978年1月(?)鹿児島本線 二日市~水城 ED72牽引24系25型100番代 上りはやぶさ
EF81という機関車の「らしさ」を追求すると、やはり日本海縦貫線用貨物機と言うことに落ち着くのであろうか。
一番威力を発揮する羽越線内で活躍するその姿をあんまり収めないうちに運用がほぼ終わってしまい悔いが残る。
数少ない一枚は、赤い庇付き。
2007年4月 羽越本線 小波渡~三瀬 EF81148貨物(列車番号不明)
正直に言って、福岡生まれ育ちの電関人がEF81という罐をこんなに一生懸命撮るということを想像しなかった。
鹿児島本線でED76に慣れ親しんできた電関人にとって当初ローズピンクを纏った交直流万能機は殆ど同じ罐にしか見えなかったのだ。
それが後年星罐が、さらにカシ罐(最初は抵抗があったが)、トワイ罐など専用機が現れることによって万能機は急客機へと変貌した。
今も昔も「急客機」という三文字に翻弄され続ける電関人。
2011年1月 EF8198号機 乗務員ハンドル訓練列車
電関人を鉄道趣味の世界に引きずり込んだ原因の一つが20系客車の存在。
美しい曲線で構成されたフォルムと大きいテールサインに魅了されて博多駅通いが始まったのだった。
写真は、その定期列車から20系が引退した後1年ほど経って運転された臨時あさかぜ。
1979年?博多駅 (再掲)
いよいよ今度の改正にてブルートレインの定期運転が終焉を迎えようとしている。
電関人が写真を始めたころはまさにこのブルートレイン全盛期だったので少しその思い出を数回に分けて辿ってみることに。
残念なことにいろんな問題からヘッドマークを付けていたのが東海道・山陽本線を走る東京ブルトレの直流機だけの時代。
そのブルトレの牽引機として最も電関人の印象に残るのは鹿児島本線でその任務に当たった鳩胸兄弟機であるED72・73。
この地区独特のお椀型HMをつけて颯爽と走る雄姿を撮りたかったものである。
1977年3月 鹿児島本線博多駅 ED731011号機牽引上りみずほ(再掲)