狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

日曜朝の貨物一本勝負

2017年05月22日 18時37分50秒 | 埼玉 ご近所鐡

昨日は珍しく5時台に目が覚め、外は晴れているのでごそごそと準備して家事の前に一本勝負に出かけた。
そう、前回に大館貨物を撮ったとき朝早い時間だったらまだ空気も熱せられていなく陽炎も少ないのではと。
それで今度は7時過ぎに上ってくるPFの3070レに照準を合わせた。



特徴ある前寄りのタンコやダンプが見えるカーブはやや遠くすでにモヤモヤとし始めている。



ストレートに立ち上がる前、3070レは編成が短いのでこのアングルだと少し物足りない。



ラストは跨線橋の影手前まで引っ張って・・・。
朝早い分、空気の膨張が少なく何とかプレートの数字が分かるほどである。
ここであのカラフルな長尺コンテナをゾロゾロ乗せた3054レを撮りたいのだか、それには秋まで待たなくてはならない。

2017年5月21日撮影

 

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山間の駅の賑わい

2017年05月21日 16時08分09秒 | 昔の写真

久大本線は、福岡の米どころ筑後平野の久留米を起点に、平野を横切り県境辺りから山間に分け入る。
大分県に入って最初の駅が夜明駅で、北九州から筑豊地区を縦断してきた日田彦山線が合流する駅でもある。
美しい駅名が相応しい緑濃い駅は分岐駅ということもあって当時とても賑やかだった。
国鉄時代らしく雑多な気動車を寄せ集めて編成された列車には山岳路線ということもあってダブルエンジン車を多く連結した。
今ではとても想像できないほど長大な編成の各駅停車列車が行き来していた。
GW中だったかその前後だったか記録が残っていないが、この日もこれから街に出る人仕事へ行く人、学校へ行く人などなど
多くの人々がこの夜明駅を利用していた。
そして、人だけでなく郵便も荷物も新聞も鉄道によって輸送され、生活のど真ん中に鉄道が存在した時代。



鉄道は今でも公共交通手段に他ならない。
一度よく考えて欲しい、人に迷惑を掛けておいていざ都合が悪くなると平気で線路に逃げ出したり、
乗車マナーを逸脱したり駅員に暴力を振るったりと、自分が利用させてもらっているのに自分の都合を第一優先させようとする考え方。
いつからこの国の人々はそんなに行儀が悪くなったのだろうか・・・。

1978年5月撮影

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萌えるフォッサマグナ

2017年05月20日 17時50分55秒 | 国鉄・JR 甲信越

一度アップの2カットだが、トップライトで山の迫力がなかったのでPSでやり直す。
残雪をバックに新芽が吹いて強い生命力を感じるこの時期のフォッサマグナが好きである。



キャンディーズの春一番を口ずさみながら、
のーーーんびりと列車を待つ至福の時間。



冬の銀嶺も良いのだが、
山の力強さを感じるのはなぜかこの時季なのだ。
大地の力と緑の力漲る谷。

2012年

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801レを激写す!!

2017年05月18日 18時12分23秒 | 徒然鉄ネタ

若かったからというか、結構無茶な撮影をいろいろ試みていたものである。
かいもんやながさきと共に最も身近だった旧型客車列車の一つが801・802レの夜行さんべである。
その下りさんべを狙った一連の写真を見ると、牽引機から始めて全て流そうとしていたようだ。



鳥栖の622号機がマニを次位に従えて・・・



客車の先頭はオハネフ12。
個人的には寝台側のサイドが好きである。



まぁ、ワインダーも付いていない一眼を手巻きで連続で振り回し、
良くここまで一コマ必中で止まっていることであると我ながら感心する。



寝台の三両目辺りからやや遅れてきて・・・。



とうとう二両目のハザを諦めて、SSを素早く切り替え静止撮りへ変更するも
ナハは後追いの絵になり・・・



最後尾のスハフ42であろうか・・・何とか木の陰に消える前に。
晩年はモノクラスだったが、49年までは合造車オロハネ10を繋いでいた渋い編成だった801・802レである。
終着博多を目の前にして寝台車の乗客が降車準備をしている様子が見て取れてちょっと気に行っている。

1977年初夏 鹿児島本線 福間~古賀 801レ

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多湿な季節の思い出

2017年05月16日 19時53分14秒 | 徒然鉄ネタ

毎年今頃になると6年前の北遠征のことを思い出す。
それは良い思い出というより寧ろ撮り足らなかったという後悔の念からだ。
ED79という形式の薄命さからかもしれないし、
海底トンネル繋がりで関門トンネルを頻繁に行き来していたことから、
津軽海峡トンネルに対するシンパシーからなのかもしれない。



最後の夜行急行となったなまなすも海霧の中のカットが残るのみ。
三脚に据えたカメラが濡れるほどの多湿の中での撮影だった。



その後奥羽本線内の名撮影地を巡ってD51によるDC記念列車も押さえたのち、
薄暮の中の上りあけぼの撮影を最後に東北道で帰路についた。

2011年6月 津軽線 左堰~奥内、奥羽本線 浪岡~北常盤

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