津鉄のボツポジの1カット
でも、最近になってどうしてシャッターを切ったのかを考え直す
どっしり聳える岩木山が霞んでいる
数千年前の太古から豊穣の土地だった津軽平野
あたり一面の田圃では
稲刈りを終え翌年への土壌改良で籾殻を燃やす
たくさんの野焼きによって岩木山が遠く霞んで見え
それが印象的で主題にしドンと岩木山を真ん中に置いた一枚だったようだ
津軽平野の晩秋はこの霞んでうっすらと見える岩木山が風物詩
1982年11月 津軽鉄道金木
津鉄のボツポジの1カット
でも、最近になってどうしてシャッターを切ったのかを考え直す
どっしり聳える岩木山が霞んでいる
数千年前の太古から豊穣の土地だった津軽平野
あたり一面の田圃では
稲刈りを終え翌年への土壌改良で籾殻を燃やす
たくさんの野焼きによって岩木山が遠く霞んで見え
それが印象的で主題にしドンと岩木山を真ん中に置いた一枚だったようだ
津軽平野の晩秋はこの霞んでうっすらと見える岩木山が風物詩
1982年11月 津軽鉄道金木
ゴハチ好きの電関人
ゴハチの中にもP型改造を受けた機もあるが
純粋にP型として生まれた初代はロクマルの500番代
現役の颯爽たる姿には会えなかったけど
横川の文化村に佇む雄姿を覗きに行った
架線が無いのでパンタ上部を切って現役らしく
東機の区名札も凛々しく栄光の1レのヘッドマークがよく似合う
2007年11月
学生時代冬の山陰にあこがれて何度も足を運んだ
残念ながら暖冬の時代で
本格的な雪には出会わなかったものの
厳しい冬の季節風に晒される荒涼とした日本海に心を洗われた
冬の日本海側は天気の移り変わりが早い
強く吹き付ける季節風が運んでくる雲から時折冷たいものも落ちてくる
晴れたり曇ったりの猫の目天気の中特急あさしおが餘部の橋梁を渡っていった
1977年12月 餘部
長らく不通だった只見線が全線開通して暫く
また沿線の四季折々の景色が楽しめると思うと嬉しく
沿線の景色は只見川の渓の景色が代表だけど
電関人は、田んぼの景色が好き
広々とした盆地の田園から
いよいよ渓に分け入る登りに差し掛かっていく
渓や鉄橋の風景もさることながら
会津若松口のこの田園風景は捨て難い
2007年5月 只見線会津坂下付近
西鉄市内線
廃止されるときには循環線だけになっていた
貝塚から専用軌道で千鳥橋に出て築港廻りか博多駅廻りか福岡市内をぐるりと回る
かつては中州の歓楽街を抜け西新や姪浜に至る貫線と薬院方面の城南線などがあった
この博多駅廻りは築港廻りと区別して誤乗防止のためか赤文字だったと記憶している
電関人幼少期には連接車なども居たのだが
いつの間にか北九州や筑豊電気鉄道に転籍してしまった
福岡市内線の最終日に
走馬灯のように福岡チンチン電車への思い出が
瞑った瞼の中を駆け巡る
博多駅廻り最終電車
1979年2月10日 貝塚駅にて