幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「傷ついた支援者」 精神科医も気力を失う時

2014-08-22 01:49:26 | ブログ

傷 つ い た 支 援 者
         http://www16.ocn.ne.jp/~f-inochi/kaiho/index.html

(福岡いのちの電話広報誌より)

田村 毅:精神科医 田村毅研究室
               東京いのちの電話顧問

         私は4年前、心臓を持病に持つ妻を突然心筋梗塞で亡くした。
何度も同じ夢を見た。妻が生き返り再会の喜びに泣き、夢から目覚めて現実に戻ってまた泣いた。気持ちがどうしようもなく夜に友人たちに電話しまくった。いのちの電話は利用しなかった。今から思えば利用すれば良かったと思う。お葬式には妻の学生時代の親友が福岡から駆けつけ弔辞を読んでくれた。若い頃は夫婦単位でよく交流した仲だった。3ヶ月ほど経ち会葬御礼を兼ね福岡まで日帰りで訪ねた。太宰府を案内してもらい、並んで歩いているとふと妻と歩いているような錯覚に陥った。たくさん泣かせてもらった。
 自分や小中学生の3人の子どもたちが「うつ」になることが不安だった。不眠や食欲不信、仕事をする気力を失ったり、厭世的になったりしたら仲間に薬を処方してもらおうと思った。幸い、私にも子どもたちにもそのような症状は出現しなかった。
 専門家にも相談した。カウンセラーをやっている私がクライエントとなり、定期的にカウンセリングを受けた。それは4年経った今でも継続している。
 私はこの4年間で何かが大きく変わったように思う。一体何が変わったんだろう?
 第一に住む世界が小さくなった。以前は生き甲斐を社会という大きな枠組みの中に位置づけていた。大学教授や医師という社会的役割を担い、授業や診療やメディアを通してより多くの人々に自分の存在を知らしめたいと思った。それが妻の死後は家族や友人、臨床で出会う患者さんなど、より近い関係性を求めるようになった。大学教授を辞めて精神科を開業したのもそういう理由からだった。
 第二に、他人の苦しみや痛みを深く実感できるようになった。やっとユングのいう「傷ついた支援者 (wounded healer)」になれた。自分で痛みを体験していないと、他者の痛みを想像や理屈で理解するしかない。今までは人の痛みを上っ面しかわかっていなかったんだなとつくづく思う。
 第三に、痛みを修復し乗り越える体験を得た。自分をわかってくれる相手、気持ちを受け止めてくれる相手の存在によってどれほど救われたことか。子どもたちは生きがいを作ってくれた。青年期以降、親との関係は自分の中で既に「済んだ」関係と思っていた。今回、私を見守ってくれる老親の存在がとても心強かった。

感想

大きな悲しみに出遭うと人は気力を失います。それは精神科医でも変わらないのだと知りました。

人に話をする、聴いて貰う。自分をわかってくれる人がいることは大きな支えなのでしょう。

何より大切なことは、生きがいを持てることがあることなのだと思います。その時にその状況で、生きがいを何か見出すことができるか。生きがいを見出した人は状況が厳しくても生きて行こうとされるのでしょう。