バラエティ番組の元祖アイドル。
「風邪ひいて声が出ない」(阿川さん)。「砂かけ婆かと(言うほどひどい声)(山瀬まみ)。
「そういうジョークが言えるのにすごく緊張されているのですね」(阿川さん)
タレント。15歳の時にホリプログランプリ。「テレビ探偵団」のバラエティ出演。
「ためしてガッテン」、「新婚さんいらっしゃい」の長寿番組出演。
平坦でなかった30年を語る。
意外と緊張している。自分で質問して答えてくれる?(阿川さん)
「ためしてガッテン」を21年続いたが終了した。「知りすぎたから」と言われ降板になった。
哀しかった。「新婚さんいらっしゃい」も長かった。桂文枝師匠に老後の世話もと話をしているので大丈夫かと。笑
ピンクレディの「ペッパー警部」。小学校1年生の時ピンクレディがデビューした。ガーンと衝撃を受けた。レコードを買って練習していた。自分はミーだったので、ケイを探したらあやこちゃんがいた。私ケイで良いよと言ってくれた。
ピンクレディは全部歌えて踊れた。カラオケでピンクレディが歌われると踊れる。それから歌手になりたかった。2年前にホリプロキャラバンに応募したが落ちた。何で落ちたかを事務所に人に尋ねた。12万人応募者がいた。テーブルから落ちたものは運がなかったということで見られなかった。高校1年15歳の時に再度応募してグランプリに選ばれた。
学校は9校変わった。長くて2年。だいたい1年半。短いと1年。小学校2年以降は仲良しを作ろうと思わなかった。親しくなってもすぐに別れなければならなかった。人と親しくなるのが怖く思った。仕事の仲間の中でも「付かず離れず」でやっている。21年間「ためしてガッテン」やっていても志の輔師匠と食事をしたのは2回くらい。“付かず離れず”が長続きの秘訣だと思っている。
華々しく歌手デビューした。ユーミンが歌を作ってくれた。3か月おきくらいに新曲を出した。デパートの屋上でキャンペーンを一生懸命やっていた。腹筋鍛えたたり精一杯やった。歌手としての成功を夢見たが売れなかった。「テレビ探偵団」が初レギュラーだった。あの番組がなかったら今はなかった。次の年のホリプログランプリの第11回優勝者に引き継ぐためにその場所にに出て優勝者を見たら、私の人生は終わったなと思った。会社はもう私ではなくこの子に力を注ぐなんだなと思ってしまった。それが哀しくなりその時に号泣してしまった。周りはなぜ泣いているだとか思ったようだ。その場所に「テレビ探偵団」のディレクターが居て泣いている私を見て「あいつはだれだ?」とホリプロに尋ねた。それがきっかけだった。
20代の時は、アイドルが歌う場面に出ると私が歌いたいと思っていた。「ブロードキャスター」は22歳の時。お父さんのためのワイドコーナーを担当することになった。その日のゲストの方と「何が気になりましたか?」をやらないといけなかった。ゲストが何を選ぶかわかならく、その時やりとりは台本もなく鍛えられた。
29歳の俳優の夫と結婚した。夫は良いとも青年隊で私も出ていた。居酒屋に連れて行かれて夫の食べる姿を見て、夫に惹かれた。惹かれた理由は、食べている姿も飲んでいる姿もどんぴしゃりだった。
週1回の宅配だけで暮らした。買い物を大好きでたくさんかっていたので、夫から宅配にするように言われた。前もって4日くらいのメニューを決めて食材を頼み、後は残りの食材で何かを作った。夫がそれを希望していた。一週間過ぎると冷蔵庫が空っぽになる。
今、心に響く曲は加山雄三さんの「旅人よ」。初めて行ったコンサートは加山雄三さんだった。
た。父親は加山雄三さんが大好きで、父親に連れて行ってもらった。父親と今でも家族で温泉など行くとカラオケで歌う。その時に「旅人よ」を一緒に歌う。番組で加山雄三さんと知り合った。加山雄三さんの最後のコンサートに父親を連れて行った。若大将ファンだった父のために加山雄三さんの楽屋に連れて行って、一緒に写真を撮った。父親はすごく感激していた。歌を聴きながら涙を流していた。良い親孝行ができた。父親が「小さいを俺が連れて行ったが、今は子どもにつれてきて貰うようになった」としみじみ言っていた。
夢は現状維持。長寿番組があるのが好き。4月15日からTBSでラジオ番組を担当する。知らない間にレコード歌手の契約が切れていた。
感想;
人との付き合い方の一つの方法を教えて貰いました。それど一生懸命されて来られたから今があるのだと思いました。
「風邪ひいて声が出ない」(阿川さん)。「砂かけ婆かと(言うほどひどい声)(山瀬まみ)。
「そういうジョークが言えるのにすごく緊張されているのですね」(阿川さん)
タレント。15歳の時にホリプログランプリ。「テレビ探偵団」のバラエティ出演。
「ためしてガッテン」、「新婚さんいらっしゃい」の長寿番組出演。
平坦でなかった30年を語る。
意外と緊張している。自分で質問して答えてくれる?(阿川さん)
「ためしてガッテン」を21年続いたが終了した。「知りすぎたから」と言われ降板になった。
哀しかった。「新婚さんいらっしゃい」も長かった。桂文枝師匠に老後の世話もと話をしているので大丈夫かと。笑
ピンクレディの「ペッパー警部」。小学校1年生の時ピンクレディがデビューした。ガーンと衝撃を受けた。レコードを買って練習していた。自分はミーだったので、ケイを探したらあやこちゃんがいた。私ケイで良いよと言ってくれた。
ピンクレディは全部歌えて踊れた。カラオケでピンクレディが歌われると踊れる。それから歌手になりたかった。2年前にホリプロキャラバンに応募したが落ちた。何で落ちたかを事務所に人に尋ねた。12万人応募者がいた。テーブルから落ちたものは運がなかったということで見られなかった。高校1年15歳の時に再度応募してグランプリに選ばれた。
学校は9校変わった。長くて2年。だいたい1年半。短いと1年。小学校2年以降は仲良しを作ろうと思わなかった。親しくなってもすぐに別れなければならなかった。人と親しくなるのが怖く思った。仕事の仲間の中でも「付かず離れず」でやっている。21年間「ためしてガッテン」やっていても志の輔師匠と食事をしたのは2回くらい。“付かず離れず”が長続きの秘訣だと思っている。
華々しく歌手デビューした。ユーミンが歌を作ってくれた。3か月おきくらいに新曲を出した。デパートの屋上でキャンペーンを一生懸命やっていた。腹筋鍛えたたり精一杯やった。歌手としての成功を夢見たが売れなかった。「テレビ探偵団」が初レギュラーだった。あの番組がなかったら今はなかった。次の年のホリプログランプリの第11回優勝者に引き継ぐためにその場所にに出て優勝者を見たら、私の人生は終わったなと思った。会社はもう私ではなくこの子に力を注ぐなんだなと思ってしまった。それが哀しくなりその時に号泣してしまった。周りはなぜ泣いているだとか思ったようだ。その場所に「テレビ探偵団」のディレクターが居て泣いている私を見て「あいつはだれだ?」とホリプロに尋ねた。それがきっかけだった。
20代の時は、アイドルが歌う場面に出ると私が歌いたいと思っていた。「ブロードキャスター」は22歳の時。お父さんのためのワイドコーナーを担当することになった。その日のゲストの方と「何が気になりましたか?」をやらないといけなかった。ゲストが何を選ぶかわかならく、その時やりとりは台本もなく鍛えられた。
29歳の俳優の夫と結婚した。夫は良いとも青年隊で私も出ていた。居酒屋に連れて行かれて夫の食べる姿を見て、夫に惹かれた。惹かれた理由は、食べている姿も飲んでいる姿もどんぴしゃりだった。
週1回の宅配だけで暮らした。買い物を大好きでたくさんかっていたので、夫から宅配にするように言われた。前もって4日くらいのメニューを決めて食材を頼み、後は残りの食材で何かを作った。夫がそれを希望していた。一週間過ぎると冷蔵庫が空っぽになる。
今、心に響く曲は加山雄三さんの「旅人よ」。初めて行ったコンサートは加山雄三さんだった。
た。父親は加山雄三さんが大好きで、父親に連れて行ってもらった。父親と今でも家族で温泉など行くとカラオケで歌う。その時に「旅人よ」を一緒に歌う。番組で加山雄三さんと知り合った。加山雄三さんの最後のコンサートに父親を連れて行った。若大将ファンだった父のために加山雄三さんの楽屋に連れて行って、一緒に写真を撮った。父親はすごく感激していた。歌を聴きながら涙を流していた。良い親孝行ができた。父親が「小さいを俺が連れて行ったが、今は子どもにつれてきて貰うようになった」としみじみ言っていた。
夢は現状維持。長寿番組があるのが好き。4月15日からTBSでラジオ番組を担当する。知らない間にレコード歌手の契約が切れていた。
感想;
人との付き合い方の一つの方法を教えて貰いました。それど一生懸命されて来られたから今があるのだと思いました。