幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「だから、生きる。」 つんく著 ”病気は過酷な試練であり、感謝の機会にも”

2016-04-12 12:59:59 | 本の紹介
僕はといえば、声を残すことよい、声を失くした後どうやって生きていくのか、どんな人生になるのか、そんなことを考えていた。
なにより妻と子供のために、僕は生きなければならない。(中略)
歌い手として、声との別れは本当に苦しい。
でも、命の代わりはない。僕の代わりもどこにもいない。

平成27年度 近畿大学に入学の皆さん入学おめでとうございます! この大学の卒業生でもあります 私「つんく♂」と申します。

 正直に言いましょう、今日のこの入学式には、近畿大学にひっしのぱっちで入学した人。狙い定めて入った人。結果的に(滑り止めで)近畿大学に入った人。いろんな人がいるでしょう。

 でも、あなたにとってどの大学が正解だったんでしょうか…。それはわかりません。ただ、ひとつ言えるのは、この先に人生で、あなた自身が「ああ、この大学に入ってよかったな」という道を歩めば良いんだと思います。

 なぜ、今、私は声にして祝辞を読み上げることが出来ないのか…。それは、私が声帯を摘出したからです。去年から喉の治療をしてきていましたが、結果的に癌が治りきらず、摘出するより他ならなかったから一番大事にしてきた声を捨て、生きる道を選びました。また振り出しです。

 そんな私に、「今年も近畿大学の入学式のプロデュースをお願いしたい!」と、この大学から依頼がありました。その時に思いました。「ああ、この大学を卒業してよかったな。こんな私がお役に立てるなら精一杯頑張ろう!」そう心に思いました。昨年末から何度も大学とメールでやり取りしたり、スタッフが伝言してくれたり、を繰り返しつつ、今日、この日を迎えました。

 KINDAI GIRLSの皆さん、吹奏楽、応援部の皆さん、その他たくさんの学生の皆さんが、今日の日の為に夢中でレッスンしたり、準備してくれました。「みんなで一緒に新入生を迎え入れよう!」と。

 ここまでの人生はもしかしたら受け身だった人もいるかもしれません。親が言うから…学校の先生がすすめたから…でも、もうすぐ皆さんは成人します。もう自分の人生を歩んで行くんです。後悔しても意味がないんです。今から進んでいくんです。自分で決めて進んで行けば、絶対に何かを得、そしてまた次のチャンスへと繋がっていくんだと思います。

 私も声を失って歩き始めたばかりの1回生。皆さんと一緒です。こんな私だから出来る事。こんな私にしか出来ない事。そんな事を考えながら生きていこうと思います。

 皆さんもあなただから出来る事。あなたにしか出来ない事。それを追求すれば、学歴でもない、成績でもない、あなたの代わりは無理なんだという人生が待っていると思います。

 近畿大学はどんな事にもチャレンジさせてくれます。だから何もしなかったら何もしないなりの人生をチョイスすることになるし、自分で切り開いていく道を選べば、きっと自分を大きく育てるようなそんな大学生活になるでしょう。

 仲間や友人をたくさん作り、世界に目をむけた人生を歩んでください。私も皆さんに負けないように、新しい人生を進んで行きます!

 だから最後にもう一度言わせてください。皆さん、近畿大学への入学、本当におめでとう!「ああ、良かった!」と思える大学生活をセルフプロデュースしてください!

 そして、今日のこの出会いに感謝します。ありがとう!

平成27年4月4日 近畿大学入学式プロデューサー つんく♂

シャランQがミリオンセラーを出し、そしてヒットが出なくなったころ、”モーニング娘“のプロジュースを初め、爆発的な人気が出て仕事に追われる日々が続いていました。喉の違和感があり、時々声もでなくなり、医者には診て貰ったら良性と言われ、でもさらに声が出なくなって、別の病院で診て貰った喉頭がんとの診断を受けました。当初は放射線治療で一時は寛かいとも言われていましたが、がん細胞が残って増殖を始めていました。

妻との出会いは、博多のローカル番組のHPの片隅にあった一枚の写真を見たとき、まるで神の啓示でも受けたように「この子と会わなあかん!」と強烈に思った。
友人にメールして「この子と見合いがしたい」と頼みこみ、メールアドレスを手に入れた。
彼女と付き合っていることは彼女には誰にも言わないようにお願いした。彼女も母親だけには伝えていた。逢うために彼女に東京に上京して貰った。年末年始は自分の実家に彼女にアルバイトとして手伝って貰うようにした。両親には結婚するなどとは伝えていなかった。
妻には寂しい思いをさせて来た。子どもが生まれてからは育メンとして手伝ったり、時間を子どもにできるだけ合わせるようにした。家族とん時間を増やしたことは、歌詞にも影響したと思う。たとえば、それまでの僕の辞書に「フードコート」って言葉はなかった。
モーニング娘のシングル曲「気まぐれプリンセス」は、長女が不機嫌なときのイメージを歌詞に置き換えたものだ。最初の子は双子で男の子と女の子。
いろんなことがあったけれど、僕は、出会いの写真に引き込まれてから、もうずっと妻から目が離せない。いつだって気になるし、笑ってくれていると嬉しい。怒らせてそっぽを向かれると、十年という月日を積み重ねていたって、めちゃくちゃ寂しくて不安になる。
妻は僕にとって、いまだに「もっと一緒にいたい」と思わせられる「女の子」なのだ。

新たな癌を取り除くには、もう外科的手術しかないだろうことは分かっていた。外科的手術とは、つまり癌もろとも、咽頭の切除を行うことを意味する。
歌えなくなれば仕事に支障は出るけれど、工夫次第できっとなんとかなるはずだ。
今、手術をすれば生き残れるんだ。
それで十分じゃないか!
この状態でそれ以上、何を望むんだ!
と自分に語りかけていた。
結論は出ているのに、心はまだ揺れていた。

子どもたちに最後の言葉(声)を残し、妻にもいくつかのメッセージを伝えて、最後に、いろいろな口調で、妻の名前を何度も呼んだ。これからも、何万回となく呼べるものだと思っていた、妻の名前・・・。妻は泣きながら、僕の声を聞いていた。

僕は四十五歳にして、もう一度スタートやと思ってんねん。
この世の中のいろんな場所に、心癒される素敵な出会いがたくさんあることを癌になって知った。
本当、全てに感謝ですね。
本を通して、本当に言いたかったこと。
「僕は妻を愛している。子供たちを愛している。だから、生きる」

感想
病気になり、多くの人への感謝の気持ちが高まったそうです。
愛する人のために生きたい。一番強い生きるエネルギーなのだと思いました。
自分のために生きるよりも、誰かのために生きることが自分の幸せになるのだと改めて思いました。