悪知恵にだまされえるな
政治家自身の知識の水準、知的構想力がそれほど高くなくても、権力さえ握っていれば、後知恵で理屈をつけてくれる有識者が現れてくる。アドルフ・ヒトラーが権力奪取した1930年代初頭には、哲学者のマルティン・ハイデガー、プロテスタント神学者のフリードリヒ・ゴーガルデン、政治・公法学者のカール・シュミットなどがナチスに近寄ってきた。オットー・ケルロイターはカール・シュミットほど有名ではないが、ワイマール憲法を改正せずに、実質的なナチス憲法を成立させるという悪知恵を出した、ナチス耐性の立役者の一人だ。
暴力的な政治には、それを正当化する有識者が必ず存在する。いつの時代もケルロイターのような知恵者が現れて、法解釈の名の下で民主主義を内側から破壊していく可能性があることを、常に忘れてはならない。
独房で筆者の精神を救ってくれた教え;
1)屈服してなすがままにまかすか
2)あらがいとおして始末されるか
3)うまく迎合の擬態で押しとおすか
「生き急ぐ スターリン獄の日本人」内村剛介著より
自己崩壊を防ぐ内村の人間観;
独房でもっとも辛いのは、起訴後に検察官面接調書が差し入れられ、かつて信頼して一緒に仕事をしていた外務省の上司、同僚、部下が、筆者や鈴木宗男氏を陥れるために供述した、事実を歪曲した内容、ときには完全にねつ造された物語をよまされたときに衝撃だ、このときも自己崩壊を防ぐ上で内村氏の人間観が役に立った。
どのような価値も信じず、支配だけを狙うニヒリズムだ。人間的だというのは、人間の弱みをよく知っていて、それをうまく操作するという意味なのである。ニヒリズムは、その意味では本当は弱いのだ。弱いから強がるのだ。そこを抑えて恐がらないこと。恐いと思うときでもなお己の臆病風を克服し己のモラルに立って歯向かっていく、それだけがニヒリズムの攻撃に対して己を救う唯一の道だと知るべきだ。
聖書に記されているイエス・キリストは、他者の苦しみを自分のこととして受け止め、話し、行動した。イエスの場合、言葉と行為は分離されない。言葉即行為、行為即言葉である。他者のために存在したというイエスに倣って、われわれも正しく言葉を使い、行動するならば、修羅場の危機から抜け出すことができるのである。あなたが他人の気持ちになって考える努力をすると、自然と言葉の使い方も異なってくるようになる。その結果、あなたの行動が変化する。この影響が自然と他人に及ぶ。そして、他人もあなたのことを思いやるようになり言葉遣いと行動が変化する。
何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレト3章1節)
「宗教改革の物語」佐藤優著
政治家自身の知識の水準、知的構想力がそれほど高くなくても、権力さえ握っていれば、後知恵で理屈をつけてくれる有識者が現れてくる。アドルフ・ヒトラーが権力奪取した1930年代初頭には、哲学者のマルティン・ハイデガー、プロテスタント神学者のフリードリヒ・ゴーガルデン、政治・公法学者のカール・シュミットなどがナチスに近寄ってきた。オットー・ケルロイターはカール・シュミットほど有名ではないが、ワイマール憲法を改正せずに、実質的なナチス憲法を成立させるという悪知恵を出した、ナチス耐性の立役者の一人だ。
暴力的な政治には、それを正当化する有識者が必ず存在する。いつの時代もケルロイターのような知恵者が現れて、法解釈の名の下で民主主義を内側から破壊していく可能性があることを、常に忘れてはならない。
独房で筆者の精神を救ってくれた教え;
1)屈服してなすがままにまかすか
2)あらがいとおして始末されるか
3)うまく迎合の擬態で押しとおすか
「生き急ぐ スターリン獄の日本人」内村剛介著より
自己崩壊を防ぐ内村の人間観;
独房でもっとも辛いのは、起訴後に検察官面接調書が差し入れられ、かつて信頼して一緒に仕事をしていた外務省の上司、同僚、部下が、筆者や鈴木宗男氏を陥れるために供述した、事実を歪曲した内容、ときには完全にねつ造された物語をよまされたときに衝撃だ、このときも自己崩壊を防ぐ上で内村氏の人間観が役に立った。
どのような価値も信じず、支配だけを狙うニヒリズムだ。人間的だというのは、人間の弱みをよく知っていて、それをうまく操作するという意味なのである。ニヒリズムは、その意味では本当は弱いのだ。弱いから強がるのだ。そこを抑えて恐がらないこと。恐いと思うときでもなお己の臆病風を克服し己のモラルに立って歯向かっていく、それだけがニヒリズムの攻撃に対して己を救う唯一の道だと知るべきだ。
聖書に記されているイエス・キリストは、他者の苦しみを自分のこととして受け止め、話し、行動した。イエスの場合、言葉と行為は分離されない。言葉即行為、行為即言葉である。他者のために存在したというイエスに倣って、われわれも正しく言葉を使い、行動するならば、修羅場の危機から抜け出すことができるのである。あなたが他人の気持ちになって考える努力をすると、自然と言葉の使い方も異なってくるようになる。その結果、あなたの行動が変化する。この影響が自然と他人に及ぶ。そして、他人もあなたのことを思いやるようになり言葉遣いと行動が変化する。
何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレト3章1節)
「宗教改革の物語」佐藤優著