「男はつらいよ」は私にとって学校。
「役者としてよりも人間として何が大切か」を学んだ。
平成最後の「サワコの朝」、令和になるが(サワコ)。これからどうなっていくか、愉しみ。
女優。19歳のときに松竹歌劇団に入る。翌年で役者としてデビュー。その後時「下町の太陽」で歌手デビュー。約120本の映画出演。「幸福の黄色いハンカチ」出演。小学生の時に、童謡歌手をしていた。
巣鴨出身。父が都電の運転手。
表参道のところに歌を習いに行っていた。都電を乗り継いで行ったが、父の電車に偶然乗り合わせた。その時窓を開けてもらって入ってい来る風を今も覚えている。
疎開先でも歌っていた。
1曲目、「木の葉のお舟」を初めてマイクの前で歌った。懐かしい。
松竹音楽舞踊学校に入り、3年間学んだ。ギターも習い、三味線が好きだった。
妹は16期で入った。私は13期。私は1年で映画にスカウトされた。妹の方が松竹歌劇団で活躍した。ラインダンスで客席に靴を飛ばした。そんなとき、出演者の人に謝りに回った。叱られたことが勉強になった。社会的なことを学んだ。相手の顔を見て挨拶するとか。
19歳で映画の世界へ。それまでは大きな舞台で踊れるのを楽しみにしていた。カメラの前で演じることになった。撮影が早く終わると、「バカヤロー、映画なんか嫌いだ!」と海に向かって叫んだことがあった。だんだん、仕事が増えてきた。そうしたら、映画がおもしろくなり、松竹歌劇団のことが少しずつ自分の頭から消えて行った。
「下町の太陽」の脚本と監督が山田洋次さん。上手く行かないと、タバコを吸いながら考え出した。タバコの火がハンチングに火がつかないかと思った。主演作1/3が山田洋次監督の作品。
「男はつらいよ」一作目、面白くて。俳優が一人ひとり立ち上がって花開くような作品になって行った。
人間としてどうあるべきかを教えてもらった。相手の立場を考えてくれる人だった。「おい! 飯食いに行こう」。普段食べられないような食事。帰りに「何か欲しいものないか?」と言ってくれた。時間を一緒に過ごしてくれる人だった。マドンナが山田組に最初はなかなか入れなかったとき、マドンナの楽屋までいって一緒にスタジオまで入り、話をしていた。自分の身体が思い通りならないようになっていた。当時の映画を見て、涙を拭いて。
偶然男はつらいよの映画を見て、笑ったり、すごい映画だったなと思う。
この映画出演は人生の学校だったかなと思う。人間の目を見て話すことが減ってきた。その人の目を見て挨拶しなさいと教えられた。人とどうかかわるかが映画の中にたくさん出ている。これをあらためて認識した。
「幸福の黄色いハンカチ」で高倉健さんと初めて共演。渥美清さんと高倉健さんは似ている。二人とも余計なことをしない。贅肉がなく美しい。アドリブも関係ない枝葉がない研ぎ澄まされたもののよう。
2曲目、高石友也「死んだ男の残したものは」。コンサートでは必ず歌っている。大きなため息をついて。
いけないと思う。「これからやることが」(サワコ)。「まだやることあるかな」。
藤竜也「初恋~お父さん、チビがいなくなった」に出演。
感想;
大きな存在の方だな。
安心感を与えてくれる人だなと感じながら聴いていました。
ご自分のできることを精一杯やり続けて来られた方だなとつくづく思いました。
松竹歌劇団から映画。
最初はそれは自分の希望でなかったけれど、映画に打ち込むことにより、映画の面白さを見つけ、そして大きく花が開いた方なんだなと思いました。
大きな花を咲かそうとされたのではなく、一つひとつ、今を大切に生きて来られた結果が大きな花を咲かすことにつながったのだと教えていただきました。
「役者としてよりも人間として何が大切か」を学んだ。
平成最後の「サワコの朝」、令和になるが(サワコ)。これからどうなっていくか、愉しみ。
女優。19歳のときに松竹歌劇団に入る。翌年で役者としてデビュー。その後時「下町の太陽」で歌手デビュー。約120本の映画出演。「幸福の黄色いハンカチ」出演。小学生の時に、童謡歌手をしていた。
巣鴨出身。父が都電の運転手。
表参道のところに歌を習いに行っていた。都電を乗り継いで行ったが、父の電車に偶然乗り合わせた。その時窓を開けてもらって入ってい来る風を今も覚えている。
疎開先でも歌っていた。
1曲目、「木の葉のお舟」を初めてマイクの前で歌った。懐かしい。
松竹音楽舞踊学校に入り、3年間学んだ。ギターも習い、三味線が好きだった。
妹は16期で入った。私は13期。私は1年で映画にスカウトされた。妹の方が松竹歌劇団で活躍した。ラインダンスで客席に靴を飛ばした。そんなとき、出演者の人に謝りに回った。叱られたことが勉強になった。社会的なことを学んだ。相手の顔を見て挨拶するとか。
19歳で映画の世界へ。それまでは大きな舞台で踊れるのを楽しみにしていた。カメラの前で演じることになった。撮影が早く終わると、「バカヤロー、映画なんか嫌いだ!」と海に向かって叫んだことがあった。だんだん、仕事が増えてきた。そうしたら、映画がおもしろくなり、松竹歌劇団のことが少しずつ自分の頭から消えて行った。
「下町の太陽」の脚本と監督が山田洋次さん。上手く行かないと、タバコを吸いながら考え出した。タバコの火がハンチングに火がつかないかと思った。主演作1/3が山田洋次監督の作品。
「男はつらいよ」一作目、面白くて。俳優が一人ひとり立ち上がって花開くような作品になって行った。
人間としてどうあるべきかを教えてもらった。相手の立場を考えてくれる人だった。「おい! 飯食いに行こう」。普段食べられないような食事。帰りに「何か欲しいものないか?」と言ってくれた。時間を一緒に過ごしてくれる人だった。マドンナが山田組に最初はなかなか入れなかったとき、マドンナの楽屋までいって一緒にスタジオまで入り、話をしていた。自分の身体が思い通りならないようになっていた。当時の映画を見て、涙を拭いて。
偶然男はつらいよの映画を見て、笑ったり、すごい映画だったなと思う。
この映画出演は人生の学校だったかなと思う。人間の目を見て話すことが減ってきた。その人の目を見て挨拶しなさいと教えられた。人とどうかかわるかが映画の中にたくさん出ている。これをあらためて認識した。
「幸福の黄色いハンカチ」で高倉健さんと初めて共演。渥美清さんと高倉健さんは似ている。二人とも余計なことをしない。贅肉がなく美しい。アドリブも関係ない枝葉がない研ぎ澄まされたもののよう。
2曲目、高石友也「死んだ男の残したものは」。コンサートでは必ず歌っている。大きなため息をついて。
いけないと思う。「これからやることが」(サワコ)。「まだやることあるかな」。
藤竜也「初恋~お父さん、チビがいなくなった」に出演。
感想;
大きな存在の方だな。
安心感を与えてくれる人だなと感じながら聴いていました。
ご自分のできることを精一杯やり続けて来られた方だなとつくづく思いました。
松竹歌劇団から映画。
最初はそれは自分の希望でなかったけれど、映画に打ち込むことにより、映画の面白さを見つけ、そして大きく花が開いた方なんだなと思いました。
大きな花を咲かそうとされたのではなく、一つひとつ、今を大切に生きて来られた結果が大きな花を咲かすことにつながったのだと教えていただきました。