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日産「厳重な処罰求める」ゴーン前会長を刑事告訴 ”会社は一人で自由にできることはない”

2019-04-23 10:10:20 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190422-04220377-nksports-soci 日刊スポーツ 4/22(月)
日産は22日までに、会社法違反(特別背任)容疑で再逮捕された前会長カルロス・ゴーン容疑者(65)を東京地検に刑事告訴したと公式サイトで発表した。「業務上必要性のない自己の利益を得ることを目的とする不正な支出であったことが判明した」とし、厳罰を求めた。

日産は21日付で、以下のリリースを発表した。

「当社は、本日までに、カルロス ゴーン元会長について、会社法違反(特別背任罪)で東京地方検察庁に刑事告訴いたしました。今般の刑事告訴は、当社が、当社子会社を介して海外における日産車販売会社に送金した資金が、実はカルロス ゴーン元会長が、業務上必要性のない自己の利益を得ることを目的とする不正な支出であったことが判明したことを受けたものです。このような行為は、会社として到底容認できるものではなく、厳重な処罰を求めるものです」

日産は、その上で「当社として、このような事態に至ったことを大変重く受け止めており、改めて関係者の皆さまに多大なご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」(コメントは原文のまま)と謝罪した。

感想
会社は一人で全てを行うことは無理です。
違法な使徒不明金、そのお金の処理をした人、会計/経理の責任者の決裁があったからこそできます。
まさに、ゴーン容疑者の指示に基づいて行動した人が多くいたのです。
それは、会社として”NO”という人がいなかったのです。
今”NO”と言っているのかもしれません。
しかし、もっと早い段階で”Compliance”に厳しく行っていれば今のようにならなかったのでしょう。
トップの指示に従って出世した人々がいたから、ここまで問題になっているのだと思います。
ひょっとして、問題を正すのではなく、ゴーン容疑者の言う、切り捨てられる前に裏切った出来事なのでしょうか?

1942年に日本兵、豪の看護師21人を銃殺する前に何を 真実追求の動き ”戦争が人をおかしくする!”

2019-04-23 10:01:18 | 社会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190422-47986990-bbc-int BBC News 4/22(月)

1942年に日本兵、豪の看護師21人を銃殺する前に何を 真実追求の動き
ギャリー・ナン、シドニー

第2次世界大戦中の1942年、オーストラリアの女性看護師の一団が、日本軍兵士たちによって殺害された「バンカ島虐殺事件」。いま、一人の歴史研究者が入手した証拠から、ある事象が浮かび上がりつつある。看護師たちは殺害前、日本兵たちに性的暴行を受け、オーストラリア当局がそれをひた隠しにしてきたというのだ。

「この真実を発掘し、ついに公表するには、複数の女性の力が必要だった」

軍事史を研究するリネット・シルヴァーさんがこう言う「真実」とは、1942年2月にインドネシア・バンカ島で、海の中へ歩かされ、機関銃で銃撃されたオーストラリア人看護師22人の身に起きたことを指す。看護師たちは1人を除いて全員殺された。

「それだけでぞっとした。でも、殺害前に強姦されていたなんて、語るにはむご過ぎる真実だった」。シルヴァーさんは、新著で詳しく書いた証言について、こう話す。

「オーストラリア軍の高官たちは、悲しみに暮れる遺族たちに、家族が強姦されていたという不名誉を与えたくなかった。恥ずべきことだと思われていたので。レイプは死よりもひどい運命と考えられ、ニュー・サウス・ウェールズ州では1955年まで(加害者が)絞首刑による極刑で処罰されていた」

唯一の生存者看護師のヴィヴィアン・ブルウィンクルさんは、虐殺事件で体に銃弾を受けたが、死んだふりをして生き延びた。ジャングルに身を隠し、やがて戦争捕虜となり、のちにオーストラリアへ帰国した。

第2次世界大戦後に開かれた東京裁判では、ブルウィンクルさんは強姦について「話すのを禁じられた」と、シルヴァーさんは言う。ブルウィンクルさんは2000年に死去したが、何があったのか、テレビキャスターに伝え残していた。シルヴァーさんが今回調べたのは、その内容だ。

「ヴィヴィアンは命令に従っていた」とシルヴァーさんは言う。「(強姦被害について黙ったのは)タブーというのもあったし、オーストラリア政府には多少の罪悪感があったのだろう。政府高官は、1942年の香港侵攻の際、日本兵がイギリス人看護師たちをレイプし、殺害したのを知っていた。それなのに、オーストラリア人看護師をシンガポールからなかなか避難させなかった」

オーストラリア政府によれば、虐殺の実行者は今も特定されず、「罪について何も処罰されていない」。

オーストラリア国防軍の報道官は、この性的暴行の訴えについて新調査に着手するかは、政府の判断次第だが、関係者の家族が、こうした犯罪調査の担当部署に「歴史的な新証言を提供することはできる」と説明する。

何が起きたのか調査シルヴァーさんのほかにも複数の女性が、看護師たちへの性的暴行の証拠を発掘した。テレビキャスターのテス・ローレンスさんと、伝記作家のバーバラ・エンジェルさんだ。

エンジェルさんは、ブルウィンクルさんが着ていた看護師の制服に残された、色違いの糸と銃弾の穴について調べた。

その結果、上半身のボタンがいったん引きちぎられ、後に(ブルウィンクルさんの死後、制服が展示された際に)、そこだけ違う色の糸で縫いつけられた様子がうかがわれた。

さらに、制服の2カ所に残る銃弾の痕(銃弾が入った時の穴と出た時の穴)がぴったりそろうには、ブルウィンクルさんの制服は腰のあたりで開かれ、前の部分が下がっていたはずだということも浮かび上がった。

ローレンスさんは2017年、ブルウィンクルさんから生前に打ち明けられたという話を報じた。それは、「ほとんどの」看護師が銃殺される前に「暴行された」という内容で、ブルウィンクルさんは、そのことを公表したかったができず、秘密はブルウィンクルさんを「苦しめた」と言っていたという。

シルヴァーさんはこのほか、バンカ島でマラリアの手当てを受けていた日本兵の証言にも言及している。その兵士はオーストラリアの調査官に、当時、悲鳴を聞いたと話した。また、兵士たちが「海岸で楽しんでいるところで、次は隣の小隊の番だ」と聞かされたと証言していた。

シルヴァーさんはさらに、看護師たちに起きたことの詳細を記録した文書から、重要な証言部分が抜き取られていたことも発見した。検閲があったとシルヴァーさんはみている。

その証言はジーン・ウイリアムズさんによるもので、東京裁判の豪州戦争犯罪局のために夫のハロルド・ウイリアムズ少佐がどのような調査を実施したかという内容だった。

豪ニュー・サウス・ウェールズ大学のピーター・スタンリー教授(軍事史)は、シルヴァーさんの主張は決して意外ではないと話す。

「この話が表に出るのをずっと待っていた。長年、うわさされていたし、ヴィヴィアンさんを知る元女性兵ちが私に話してくれたこともあった。第2次世界大戦中に香港やフィリピン、シンガポールで記録された、日本兵による性的暴行とも一貫性がある」

軍の「人気者」シルヴァーさんによると、オーストラリア人看護師たちは、虐殺される前の1941年までシンガポールで「何の悩みもない、幸せな人生」を送っていた。

「看護師たちは軍の人気者で、食事や酒をごちそうしてもらっていた」とシルヴァーさんは言う。「看護師たちは、平時の軍隊にありがちな、訓練中の事故や、自動車事故、マラリアといった問題に対応していた」

1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃の数時間前にシンガポールに侵攻した。それを機に、看護師たちの人生は一転したとシルヴァーさんは言う。「看護師たちは、戦闘による負傷者の多さに圧倒された。シンガポールでは民家も病院として使われた」。

ブルウィンクルさんが1945年と1946年に話したいと思っていた「ありのままの真実」を伝えるのは、重要なことだとシルヴァーさんは言う。

「もし私がこの秘密を語らなければ、私自身も、沈黙の風潮と政府の圧力に加担して、加害者を守ることになってしまう」とシルヴァーさんは言う。「看護師たちの話を語る必要がある。それでやっと、彼女たちの正義が実現する」。

シルヴァーさんのもとには最近、看護師たちを個人的に知っているという人たちからメールが届くという。「寝た子を起こすなと言われるのではないかと少し心配していたが、私をけなすような内容のメールは1通も受け取っていない」。

オーストラリア戦争記念館(AWM)には、すでに看護師たちの虐殺についての展示はある。しかしシルヴァーさんは、性的暴行の訴えがあることも展示に反映してもらうよう希望している。

AWM館長のブレンダン・ネルソン博士はBBCの取材にこう述べた。「私たちは訴えを否定も軽視もしない。実際、戦争ではレイプや性的暴行が武器として使われることは知られている。しかしながら、事件の唯一の生存者であるブルウィンクルさんは約20年前に亡くなっていて、何が起きたのかわからないし、今後も確実に知ることはできない」。

#MeTooと比べて

シルバー氏は性暴力被害への連帯を示す世界的な「#MeToo」の運動を意識しながら、次のように言う。「問われている社会的道徳観は同じだ。女性は何か発言したくても、待つよう強いられていると感じてきたし、犠牲者として責任があると思わされてきた。#MeTooはヴィヴィアンに、ついに告発する自信を与えただろう」。

「女性の歴史作家は一般的に、どれだけ銃が使われたかよりも、人間的な要素に興味を引かれる。女性は共感力がある」

今回の証拠を発掘した3人の歴史研究者が3人とも女性だったことが、そのことをよく示しているとシルヴァーさんは言う。「歴史(history)が『彼の話(his-story)』として語られるのをずっと聞いてきた。今回はその反対だ」。

(英語記事 A WW2 massacre and revealing 'an awful secret')

感想
戦争が人をおかしくしてしまうのでしょう。
自分がいつ死ぬか分からない不安と恐怖!
それをごまかすため、女性を強姦など。
ホルモンでの性欲求もあるでしょう。

https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/4efc4faf2627465d6e9190a0051ca90e
「生きている兵隊」 石川達三著 ”戦争は国民に知らせないことから始まる”

石川達三氏が中国南京などを訪問した体験記から「生きている兵隊」を執筆し、中央公論で出版されました。
当時は、言論弾圧があり新聞も含め出版物は全て規制されていた。
たとえば中国娘を殺害する場面、弾丸にあたって瀕死となった母親を抱いて無く続ける娘を、日本兵たひははじめかわいそうに思いながら、
夜通し泣き続ける声に次第に苛立ってくる。ひとりの一等兵が銃剣を抱いて駆け出す。
「えい、えい、えいッ!」
まるで気が狂ったような癇高い叫びをあげながら平尾は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あたりを・・・・・・・・・・・・・・・・・。
他の兵も各々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まくった。ほとんど十秒と・・・・・・・・・・・・。
平たい一枚の  (空白の二文字は蒲団)のようになってくたくたと・・・・・・・・・・・・。
興奮したへのほてった顔に・・・・・・・・・・・・・・・・・・むっと暑く流れてきた。

と検閲で問題になるか所は伏字として出版された。ほかにも、日本兵が慰安所に繰り出す場面などに、空白がある。
それでも発刊禁止なった。しかし、伏字のものが一部で回った。
そのため、石川達三は召喚され取り調べを受け、禁錮四カ月執行猶予三年の罪になった。

今回、伏字がないものを読んでみました。
問題と思われる箇所を下記にあげます。

・捕虜は足手まといになるので、公には言われていないが、その場で射殺するようにしている。
・12歳の中国人少女がいた。通りすぎたら後ろからその少女がピストルで撃って来た。直ぐにその少女を射殺した。
 小さくても女性でも誰が撃ってくるかわからないため、殺す対象になってしまう。
・寒かったので、殺されたばかりの中国人の温もりで暖を取った。
・母親を殺されて夜中ずっと泣いている少女がいた。その鳴き声がうるさくて、射殺した。
 静寂が戻ったが、その静寂が返って射殺した者の心を苦しめた。
・兵士が服を着替えて民間人に混じって逃げようとしていた。民間人と兵士の区別がつかない。
・現地で食料を調達するようにとの命令が出ている。
・中国人女性の慰安所が出来ていた。敵国兵士(日本人)相手に、30分/1人で相手をしていた。
・中国人の女性がいた。欲望があり、女性を裸にした。
 しかし、裸にする言い訳が必要だったので、スパイかもしれないからと付け足した。
 暗号のような数字の書いてあるメモを持っていたので、銃剣で胸を突き刺して殺した。


上記の箇所は伏字(*****)となったりした箇所だと思います。
伏字が多くても結局出版禁止になり、石川達三氏や出版会社の関係者が逮捕され、罪を問われました。
戦争は人を悪魔にもしてしまいます。相手を殺さないと自分が殺されてしまいます。
また、上官の命令で捕虜の殺害をしなければなりません。
しかし、戦後の裁判で捕虜を殺害したとしてC級戦犯が処刑されました。
その人は捕虜を殺害したくなかったのです。しかし命令に背くと処刑されます。
戦争は人を悪魔にしてしまいます。決して戦争をしない。それ以外の道を探らないといけないのです。

兵士を悪魔にしてしまう戦争。
その戦争を行ったのは政治家のトップでした。
日本人は自ら戦争責任と問うことはなく、占領国による東京裁判でA級戦犯とされた人々が戦争の責任を負ったことになります。
それを許した、あるいは支持した人がいたからでしょう。