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心愛さん母に懲役2年求刑 弁護側「夫の支配下に」 ”児相相談所&教育委員会の責任は?”

2019-05-17 08:44:00 | 社会
https://www.asahi.com/articles/ASM5J45RYM5JUDCB009.html 朝日デジタル 2019年5月16日

 千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母親の栗原なぎさ被告(32)の初公判が16日、千葉地裁であった。検察側は懲役2年を求刑し、即日結審した。判決は6月26日に言い渡される。
 なぎさ被告は、起訴内容に間違いがないかを裁判長に問われると、数十秒沈黙。裁判長に促されると「間違いありません」と小さな声で述べ、起訴内容を認めた。
 論告で検察側は「母親の責任を放棄して虐待に同調した悪質な犯行だ」と指摘した。弁護側は「(一家が千葉に)転居してからは被告が夫の意向を無視して自分の行動を決めることができず、夫の支配下にあった」と述べ、執行猶予付きの判決を求めた。
 起訴状によると、父親の勇一郎被告(41)=傷害致死罪などで起訴=は1月22日夜~24日深夜、自宅で心愛さんに食事を与えず、長時間立たせたり肌着姿で浴室に放置したりして、十分な睡眠も取らせなかったとされる。さらに浴室で何度も冷水を浴びせるなどして飢餓と強いストレス状態に陥らせ、ショックもしくは致死性不整脈または溺水(できすい)で死亡させたという。なぎさ被告はこうした虐待を認識しながら放置し、食事を与えないことなどで傷害を手助けしたとされる。(松本江里加)

感想
父親は論外で、母親もDVあったにせよ問題です。

あさチャンで、児童相談所に通告して欲しいとコメントがありました。
しかし、児童相談所は父親に無理やり書かされた手紙だと知っていて心愛ちゃんをを両親の方に戻しました。
また教育委員会は、心愛ちゃんが勇気を出して書いた”助けて!”のメッセージを父親に見せています。

通告しても同じではないでしょうか?
なぜTVではそこを追求されなかったのでしょうか?
そこを追求して、該当者に反省と改善をして欲しいと思います。
児相と教育委員会に配慮しているだろうかと思ってしまいました。
TVがそこを追求し児相と教育委員会が何故助けられなかったのかを問題提起して欲しかったです。
コメンテイターもそこを言って欲しかったです。

子どもは社会が育てるものでもあります。
親に問題があれば、それを補わ社会が存在することが重要になります。
それが児相であり教育委員会ではないでしょうか?
自分たちが何のために存在しているかを考えて欲しい。

https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/260ff2274e95fee4e37c6aa8a3d572e4
「告発 児童相談所が子供を殺す」 山脇由貴子著 ”児童福祉司は誇りを持って活動されているか?”



「教誨師」堀川恵子著 ”死刑囚が生きる意味”

2019-05-17 00:50:00 | 本の紹介
渡邊普相氏へのインタビュー記事を中心に
浄土真宗の僧

・「教誨」とは「受刑者に対して行う徳性の育成を目的とする教育活動」(広辞苑)

・教誨師自身が自分の体験について書き留めた書物が、ある時期からぴたりと無くなっているのだ。最後に出版されたのは、『教誨百年』(浄土真宗)という重厚な上下二巻の本。

・渡邊の経歴を見ると、かつて全国教誨師連盟の理事長を務めていた。全国約1,800人の教誨師のトップであり、拘置所側と緊密に連絡を取り合う総責任者だ。

・当時27歳の渡邊に対して篠田は61歳、親子ほどの年齢差だ。この篠田こそ、後に渡邊に自らの後任として死刑囚の教誨師に捉えることになる人である。

・「昨日終わったことで言ってもみても仕方がない。明日とても当てにはなりません。私の確かな現象は<今日>のみです。それとても、今朝は終わっていますね。では今夜は? はい、までです。よって、私の確実な姿は<ほんのただ今>に過ぎません。あれこれ思い悩みながらも、ただ今、ただ今と、少しでも良い方向に向かって生きていゆく。やることをやったら、あとはもう『南無阿弥陀仏(阿弥陀様にお任せします)』でいいのです」

・「実はね、私はもう何年も東京拘置所にいる死刑囚たちの教誨師をやっておるのですが、あなたも一緒にやってみる気はありませんかな。私が九州に戻る間など、彼らが寂しがるんですよ」(篠田)
「死刑囚ですと! こりゃまた、おっそろしい響きですな。死刑囚なんか二人っきりでおって、先生は恐ろしくないんですか!」
「あなたが恐いと思えば、相手はその通り恐い存在になるでしょう。彼らはこちらをジイッと観察しておりますから、恐がっておったらすぐバレます。すべてあなたの心がけ次第です」
渡邊は、今度は即答した。「わしにやらせて下さい!」

・「善人なおもと往生ととぐ、いわんや悪人をや(歎異抄)」
「先生、どうしてこれまで私にこれを教えて下さらなかったのですか! 悪人でも救われると書いてあるじゃないですか! 私のような人殺しも救われると書いてあります!」
「山本さん、私がもし、これを読んでみなさいと言っても、あなたは読みましたかね? あなた自身が読みたいと思った時が、仏縁が熟した時なんです。きっと、あなたの事件の被害者の方が、あなたにこうやって縁をもたらしてくれたんですよ」

・山本は親鸞の教えの中でも、特に「自利と利他」という言葉を好んで使った。「自利」は、自らの悟りのために努力すること、「利他」は他の人の救済に尽くすことだ。浄土真宗の教えは「自利」と「利他」が両輪で回り回ることを大切にする。
「先生、刑務所は更生する場じゃありません。再犯で入ってきた者はみんな雑居房で、次の犯罪の相談ばかりしておりますよ。私も懲りずに窃盗を40件ほどやった常習犯で、止めようと思っても自分の生き方を変えるのは難しい。<自利と利他>も大切でしょうが、私はやはり<自利>によってからしか、真の人の姿は見えてこないと思います」

・「まあね、先生よ、そうは言いながら、私も正直言うと、こんなに信心してどうなるかと思うことはありますよ。自分は所詮、死刑囚じゃないかと、時々、自暴自棄になりますわ・・・」

・『教誨百年』によれば教誨師の宗派も多岐にわたっている。浄土真宗本願寺派・浄土真宗大谷派、天台宗、カトリック、日本基督教団、曹洞宗、日本聖公会、日蓮宗。

・当初は宗教家による善意で行われている教誨も徐々に組織化され、教誨師はやがて監獄組織の一員としての活動を行うようになる。

・教誨師が宗教教誨の名のもとに政治・思想犯の情報を吸い上げて上層部に報告したり、さらには「転向」を促す重要な役割を負っていた事実も多く確認されている。

・「早く確定して楽になりたいのです。法廷に立たされるのが苦痛です。遺族の人たちが沢山きていて、私を睨むのです。死刑の判決が確定したら、拘置所から文鳥をもらえると聞きました。鳥を飼って静かに暮らしたい。もう裁判はいやです」
「忘れたいという気持ちはよく分かるよ。思い出すのは辛いからね。だけど裁判は最後までしっかりやった方がいい。こんな元気な体があるのだから、少しでも長く生きないと。人間として生まれてきたことの意味をしっかり見出す努力をやっていきませんか」
「あなたの記録を読むと、小さい頃から読み書きが出来ないで苦労してきたようだなあ。わっしにはどうも、そのことが事件に無関係でないように思えるんですが、どうだろう。残された時間を使って、字を学んでみないかな?」
木内は大きな体を揺らすようにして、子どものように嬉しそうに頷いた。

・渡邊はいつも思っていた。病人には医者がいる。医者が病状を診断し治療してくれる。犯罪者にあるのは法律だ。しかし法律は裁くだけで後々の面倒は見てくれない。死刑というのは、その法律が犯罪者を「もはや用なし」と切り捨てるに等しい。彼らのことを顧みようとする者など誰もいない。だからこそ最後の頼みは、自分たち教誨師なのだ、と。

・浄土真宗では「聞(もん)」という言葉を大切にする。人が育っていくために大切なのは、修行の「行」でもなければ智恵の「智」でもない、「聞」。つまり人の話をよく聞くことであるという。普相は自分の僧侶としてのルーツもまた、「聞」にあると振り返る。

・(広島に原子爆弾投下された後の市内で)自分は大勢を見殺しにして逃げた。建物の下敷きになった同級生。あの時、逃げ出さずに手を差し伸べていたら猛火に焼かれることはなかったかもしれない。途中で「水をくれ」と乞うてきた人たち。水をあげたら、少しでも命は長らえただろうか。赤ちゃんを抱いて立ち尽くしていたお母さん。見て見ぬふりで逃げた。「一人一殺」「一億玉砕」など嘘っぱち。「死」は、そんなに美しいものではなかった。あの時、自分を突き動かしていたのは、「死にたくない!」という心の叫び。まるで体全身の細胞から湧き上がってくるような「生きたい!」という凄まじい欲望だけだった。

・「あと三人・・・殺っております(裁判では取り上げられていない)」。白木は間違いなく、三人を殺したのだ。しかし、獄中にある死刑囚が今さら何を語っても社会が耳をかたむけるはずはなかろうという予想もまた的中した(過失とはいえ女児死亡の犯人とされた男児は、その後、同級生から「人殺し」と冷たい目で見られ、成人してから心を病んで入院していた)。

・篠田龍雄の寄稿した文章
「私は、どんな風も、こんな風もないので、そもそもが教誨なんて思っていない。ただ、ともに、話しあつているのみです」
『死刑囚と話し合っている時の心境はどうだ』と突っ込んで来られる。その都度、『それは空であります』と答えているが、その時、彼等は解ったような解らないような顔をしておられて、可笑しくなる。・・・。彼等には『空』の世界を與(あた)うべきであろう。だから、彼等死刑囚に接し、いやしくも、教誨をしようとする者が、彼等の前に、偉大な空間を展開し得なかったならば、到底、教誨の目的は達せられないのだと思う。

・「先生さん、今、起きていることはすべて自分がしたことに下人があるんでしたね。親鸞さんの“平生業成”は、今が大切ということでしたね。今を生きるだけど、人間、明日の天気予報は分からぬけれど、今日の天気は分かる、これが浄土真宗の教えですね」
「そうです、そうですとも! “ただ今、ただ今”と今を生きていけばよいのです」

・「そうかっ、先生、死ぬんじゃなくて、お浄土に生まれ変わるんですね」
「そうだ、桜井君! あんたが少し先に行くけれど、わしも後から行きますぞ!」
・・・。その瞬間、バッタ―――――ッン・・・。
両の耳をつんざくような音が、乱暴に沈黙を切り裂いた。桜井が立っていた足元の踏み板が外れ、そのはずみで反対側の床の裏側に叩き付けられたのだ。上方の明り取りの窓ガラスが、自信の時のようにビリビリと音をたてて震えた。・・・。レバーを引いた刑務官は、じっと床に視線を落として俯(うつむ)いたまま、同僚に促されるまで決して顔を上げようとしなかった。

・暫くして、刑務官に連れられて山本が入ってきた。
桜井の執行を告げる不気味な音は否でも耳に入ったはずだ。だが山本の表情は静かで、動揺している風はなかった。ふと見ると、それまで気がつかなかったが山本は手に何かを持っている。
「昨晩、寝ないで『正信念偈』を写経しました」
そう言って一部ずつ、写経本を立ち会い者たちひとりひとりに手渡した。自分をあの世へと送る経を用意してきたのだ。経本を手渡しながら、「これまで私のような者のお世話をして下さり、ありがとうございました」と挨拶し、頭を下げている。つい先ほどまでは篠田が先導して、場の雰囲気を作っていた。ところが今は、これから執行される山本自身が、いわば場を切り盛りしている。一番びっくりしたのは検察官だっただろう、これから処刑される人間が、処罰する側の人間に礼を言いながら、自分を送るための自作の経本を配っているというのだから。

・法務大臣を務めた後藤田正晴(故人)のエピソード
昭和天皇の崩御により法務省が停止していた死刑の執行を、1993年、三年ぶりに再開させる直前のこと。彼は、死刑廃止の申し入れに大臣室にやってきた裁判官出身の衆議院議員、江田五月に対して、厳しい口調ででこんな言葉を突きつけたという。
「江田君、死刑判決を下すのは司法だ。だが、辛い執行を行うのはわれわれ法務省だ。死刑判決を下すのであるならば、君ら裁判所が執行をすればいい」

・いまだ「死刑執行人」という仕事が存在し、有無を言わせずそれをやらされている人たちがいる。渡邊があえて執行現場で目にした事々を詳細に語ったのは、その儀式にかかわる全ての人たちの気持ちを代弁しようとしたからではなかったかと思う。渡邊が語った。“絞首により首の筋が切れてしまう”というのは、どうやら事実らしいということが、日本の絞首刑の現場を遡ると見えてきた。・・・。明治初期は試行錯誤が続き、「ロング・ドロップ方式」に落ち着くまで、様々な方法が試された。最初の数年間は「絞柱式」が採用されている。太い柱に死刑囚の体をくくりつけ、後ろから錘のついた縄を首にかけ、立たせたまま錘の重さでジワジワと絞め殺す方法だ。斬首のように人間が直接手を下すのではなく、道具を使うところが文明的と考えられた。しかし、「絞柱式」の絞首刑は、執行が完了するまであまりに時間を要し、かえって凄惨を極めた。

・ラブル博士の研究は、古畑博士が主張したような「(ロング・ドロップ式は)一瞬にして人事不省に陥る」ことは科学的にはほぼありえないと否定した。・・・。苦しみは続く。短ければ数秒、もしくは数分間にわたって。

・いずれにしても現在、死刑を在置する国々においても、その残虐性を理由に絞首刑は次々と廃止されている。もちろん、当時は文明国として最新の絞首刑を行っていたイギリスも、1969年(厳密には1998年)に死刑制度そのものを廃止した。

・時の法務大臣は田中伊三次、彼は何を思ったか、・・・。27枚の死刑執行命令書に一気にサインしている。この時の大量執行で処刑された死刑囚は、偶然、浄土真宗の教誨を受けていた者たちに集中した。そのため四舎二階には「浄土真宗の教誨を受けたら殺される」という噂が広まり、それから数か月の間、いつもは参加者であふれる集合教誨も出席率が二、三人という状態が続いた。

・渡邊は、教誨師として死刑囚と長く過ごすうち、最初は事件について触れようとしない者でも、暫くするうちに被害者遺族と会わせても十分、心からの謝罪を伝えられると思うほどに変化を遂げる者がいるという。

・「先生、あのタナカとい大臣はどんでもない男ですね。いくら死刑囚だって、虫ケラを殺すんじゃあるまいし、次から次へと幾ら何でもやりすぎです」
「ま、法務大臣もそれが仕事だからな、職務熱心なんだろうよ」
渡邊はそのまま下を向いて手元の作業を進めていた。
「私はいつ吊るされるのか恐くて・・・」
気にもならないような、一瞬の沈黙があった。山浦の震える声が、そこで途切れた。
その日から、山浦は面接に来なくなった。
仮釈放中に反抗を重ねた山浦の死刑執行の時は、思いのほか早く訪れた。
その日、山浦は一切の教誨師の立ち会いを拒否し、ひとりで逝った。執行されるまで運動にも出ず独房に引きこもり、二度と他人と言葉を交わそうとしなかったと教育課長から遠慮がちに聞かされたのは、処刑から随分たってからのことだ。山浦は再び、人を信じることのない内的世界へと閉じこもった。死刑囚となった彼らは独房で孤独になるのではない。もともと世間に居る時から、あらゆる関係性に絶望し孤立している。渡邊は、ようやくそこから這い出してきた山浦を元の世界へと突き落とした。一度は開いた扉を、永遠に閉じさせた。自らの軽率な一言が何を招いたかを思い知った時は、あまりに遅かった。
-あれほど藤田先生から言われておったのに、慣れとはいうのは恐いもんでな・・・。

・慈悲について、聖道門と浄土門とでは違いがあります。聖道門の慈悲とは、すべてのものをあわれみ、いとおしみ、はぐくむことですが、しかし思いのままに救いとげることは、きわめて難しいことです。一方、浄土門の慈悲とは、念仏にして速やかに仏となり、その大いなる慈悲の心で、思いのままにすべてのものを救うことをいうのです。(歎異抄)

・同じ死刑囚の教誨師の中には、あまりの任務の過酷さに死刑反対を言い出す者も現れた。その度に、拘置所から頼まれて説得にあたった。説得がかなわない時には教誨師連盟から追放したこともあった。この頃の事情を知る人は、渡邊は、連盟の中でもかなりの”強硬派“だったという印象を残している。

・そう、人殺しですから。「人殺し、人殺し」って言うとね、拘置所の人たちは「人殺しって言わないで下さいよ」って嫌がるんだけどね。人殺しじゃないか、あんた、人殺しやっているんだぞと。

・大久保清への死刑が執行されたという情報がどこかから洩れ、そのニュースが新聞の一面を飾ると、地元の人たちは「大久保清の骨を町に戻してなるものか」と、一夜にして大久保家の墓を暴いてしまった。墓石は寝こそ美倒されて滅茶苦茶に壊され、先祖代々の遺骨や骨壺もすべて掘り出され、あたりに投げ出されたという。

・その男は面接の度に渡邊にこう頼んできた・
「先生、私の時は、どうか前日にこっそり教えて下さい。私は絶対にさわぎませんし自殺もしません。もう覚悟は決めています。ただ一晩、家族絵の遺書を落ち着いた気持ちで、ゆっくりと書き残したいのです」
渡邊は「うん、うん」と答えておいた。
「先生、あさって○○〇をやりますから、ひとつ宜しくお願いします」
「ああ、あれですか」
所長は「はい」という代わりに黙って頷いた。
渡邊の心は葛藤の嵐となった。
どうする、とうとう最後の面接だ。失うものが大きいのはどちらか、ジッと考えた。あれなら取り乱すことはないだろう。「そろそろ遺書を書いておけよ」とか「あなたとは長い付き合いでしたな」と、ほのめかすくらいはしてやってもよいのではないか。しかし、いよいよ翌日に死刑の執行を宣告された人間が貴を動転して大騒ぎする可能性はゼロではない。これまでも、そのようなケースは山ほどあった。そうなると、どこから事前に情報が漏れたのか大変なことになる。渡邊はすでに教誨師を束ねる全国教誨師連盟の幹部の職にあった。不祥事を起こすことなど絶対に許されない立場だ。悩みはしたが、結論を出した。前日の面接では黙っておいた。
翌朝、刑務官に囲まれて刑場にやってきた男が、控室で渡邊の姿を見たときの表情は今も忘れられない。その目は怒りではなく、ただ不快哀しみに満ちていた。
「先生、あれほど頼んでおいたのに・・・残念でございます」
・・・
最後に男が渡邊に向けた眼差しは、何度も夢に出た。渡邊は確かに、男が頼んでくる度に「うん、うん」と約束したのだ。渡邊が選んだ永遠の日延べは、人間としての裏切りに他ならなかった。
「残念でございます・・・」
男の無念の声が、耳から離れなかった。
いったい何のための教誨かと思い悩み、ある時期からかれらの身分帳にすら目を通せなくなっていたことはすでに書いた。
―――真面目な人間に教誨師は務まりません、突き詰めて考えておったら、自部自身ががおかしゅうなります・・・。

・患者たちが一番、気さくに話をしていたのは、日に一度、部屋にやってくる顔馴染みの掃除のおばちゃんだった。おばちゃんは、入院患者の家族構成から悩みから性格からすべて熟知していた。忙しそうに作業の手を動かしながら「そうねえ、そうねえ」と頷き、彼らの愚痴を聞いている。長引く話を断ち切ろうともせずに耳を傾けてやっている。これといって有効な解決方法を示しているわけではないのだが、辛抱強く相槌を打ちながら共感を示していた。
そんな掃除のおばちゃんの姿を見て、渡邊はハッと気がついた。病院の患者も拘置所の死刑囚も、実は同じではなかろうか。教誨師である自分も、あの医者のような高飛車な雰囲気をまとったカウンセラーになってはいなかっただろうか、と。「お前に何が分かる!」という怒りは、まさに自分がこれまで、死刑囚たちから浴びせられたものでもあった。

・生前の藤田龍雄が語っていた。教誨師の仕事とは「空」であると。

・アルコール依存症になって、人生に足踏みをしてから気がついた。自分の教誨師は一方通行だった。教誨の「誨」に、「戒」という字は使わない。それは、彼らを「戒める」仕事ではないからだ。「誨」という字には、ねんごろに教えるという意味が込められている。それなのに自分は大上段んに構え、何かを伝えなくてはと思ってばかりいた。
置かれた場所は変わらなくても、心の持ちようで生き方は変えることが出来る。振り返ってみればそれは、脱獄囚の山本や、ひらがなを習得した木内ら、処刑されていった多くの死刑囚たちが見せてくれた姿でもあった。

・彼が見つめた「死」はいずれも、自然の摂理がもたらしたものではなかった。若き日に広島で見たのは、戦争という人間の愚かさが作り出した無用の「死」であり、東京で見たのは、人間が法律という道具で作りだした罰としての「死」であった。

・シーシュポスの神話

・人間は、ほんの一縷でも希望がなければ生きていけない。教誨師という仕事に、果たして希望はあるのか。なければ、何を支えに続けるのか。自らの命をかけて渡邊氏が語り残してくれた事々は、そんな懊悩に満ちていた。

・「本人が執行されても、幸せになった人間は、誰ひとりもいません」
社会が事件について遠く忘れ去った頃、死刑は執行される。世間で言われるような「とうとう仇を取った」とか「正義が貫かれた」などという勇ましい感慨も、達成感も、そこにはない。被害者遺族も、もろ手を挙げて喜んでいるわけではないだろう。
私たちは、死刑のある国に生きている。いかなる事情があるにせよ、生身の人間が、生身の人間を縊り殺すことが合法とされる現場について、もっと現実を知り、想像力を働かせ、その結末がどんな社会的な利益をもたらしているのか、いないのかを考え続ける義務がある。「守秘義務」を理由に、そのことをタブーにしたり、思考を停止させたりしてはならない。

・法の世界においても「悪意とは知ること。善意とは知らざること。自らの罪業に気づかぬ人は人は善人。己の罪深さを知りながら懸命に生きるのが罪びと」だから、「善人正機す。いはんや悪因をや」ということになります。

感想
死刑制度を考えさせる書籍にもなっています。
死刑の実態を初めて知りました。

教誨師の仕事の意味をも考えさせられました。