ミュージカルのプリンス。1979年生まれ。
「エリザベート」伸びやかな声。もっともチケットの取れない俳優。
東京芸術大学声学科卒業。
劇団四季には入らずミュージカル界へ。
最初からミュージカルを目指す人が出てきた。それまでは俳優や歌手がミュージカルをやる時代だった。
出待ちのファンが行列して待っている。選挙に出たら勝てるほど多くの人が待っている。握手したりひと言話をしたりしている。中には風邪を引いている人もいるけど、マスクをせずに話をしている。風邪を引いたらその時はその時、それよりもファンを大切にしたい。
1曲目「メモリー」 初めて見たミュージカルCATsを家族で見た。ボロボロの娼婦猫が歌うのに感動した。涙が出そうになった。キャッツに出たいと思った。小学4年生の時だった。
歌は小さい時から。両親がクリスチャンで、気づいた時は聖歌隊に入れられて歌っていた。すごく良い声だねと言われていた。CATsを見て、自分でもやりたいと思った。
家族で1年米国にノースカロライナ州グリーンビルに。日本人一人だった。
1年経って、ようやく資料を英語で貰うことができた。なかなか英語がわかるずとっても苦労した。CDでミュージカルを真似ていたのがストレス発散だった。ブロードウエイに連れて行ってくれたのが唯一の楽しみだった。
小学校4年に「キャッツ」の舞台に立つことを夢見た。出演者の経歴を見たら、東京芸大出身者が多かったので、それを目指した。最初の先生が「あそこは天才が行くところだから無理だ」と言われた。二人目の先生(芸大出身)が「行けるから行こう」と言ってくれた。声学はクラッシックをやらないといけなかったが興味がなかった。しかし、クラッシクが基礎だと思った。クラシックとミュージカルではビブラートが違う。
「エリザベート」(2016年)が代表作。エリザベートを愛する夜の帝王を演じた。20歳の時にデビューしたのも「エリザベート」だった。
芸大の先生が、宝塚の先生でミュージカルやりたいと言ったら、オーデションを受けないかと言われた。それはある役だけがまだ決まってなく、その最終オーディションで自分を含め3人だった。楽譜を見せられたがミュージカルオタクだったので、完璧に歌えた。他の2人に歌い方を教えるぐらいだった。
劇団四季は自分の名前を出すことはない。外の世界でやれるなら入る必要はないと言われた。
ルドルフは勢いでやったが、その後演技力が不足していたことに気付いた。とても難しかった。父親が亡くなった役をどうやるか? 父親は生きているしどういう気持ちなのだろうかと。
「ハムレット」の皆川幸雄さんの作品に出演した。ひと言言う度に監督から注意された。いつ降ろされるのかなと、米国で体験した時ほどの辛さでいた。「声が届いてない」と同じ映画に出ていた音楽の先生に言われ、声に距離感と方向を教えてもらった。「おはよう」でも目の前の人に言うときと、離れた人に言うときは違う。そうしたら、監督からすごく良くなっていると言われた。皆川さんから「おまえは毒がない。ミルクティみたいだ」と言われた。それから毒のある方を体験するようにした。そうすると良くなってきた。
2曲目クミコさんの「わたしは青空」。風景が想像できる人だ。
もうすぐ40歳。日本初のものでブロードウエィに出るものが出ていない。自分たちのもう一つ上の世代かと思うが、ようやく土台ができてきたかと思う。
感想;
夢を諦めないことなのでしょう。
そして自分に見えないガラスの天井を置かずにチャレンジすることで道が開けていくのでしょう。
どれだけそれが好きか、そしてどれだけ時間をかけているかが大きいのだと思いました。
論語『知之者不如好之者、好之者不如楽之者』
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず
それを楽しくできるのが一番のようです。
本当にミュージカルが楽しいのだと、その雰囲気が伝わってきました。
最初の先生「君は無理」
二人目の先生「やってみよう」
この差は大きいですね。
「エリザベート」伸びやかな声。もっともチケットの取れない俳優。
東京芸術大学声学科卒業。
劇団四季には入らずミュージカル界へ。
最初からミュージカルを目指す人が出てきた。それまでは俳優や歌手がミュージカルをやる時代だった。
出待ちのファンが行列して待っている。選挙に出たら勝てるほど多くの人が待っている。握手したりひと言話をしたりしている。中には風邪を引いている人もいるけど、マスクをせずに話をしている。風邪を引いたらその時はその時、それよりもファンを大切にしたい。
1曲目「メモリー」 初めて見たミュージカルCATsを家族で見た。ボロボロの娼婦猫が歌うのに感動した。涙が出そうになった。キャッツに出たいと思った。小学4年生の時だった。
歌は小さい時から。両親がクリスチャンで、気づいた時は聖歌隊に入れられて歌っていた。すごく良い声だねと言われていた。CATsを見て、自分でもやりたいと思った。
家族で1年米国にノースカロライナ州グリーンビルに。日本人一人だった。
1年経って、ようやく資料を英語で貰うことができた。なかなか英語がわかるずとっても苦労した。CDでミュージカルを真似ていたのがストレス発散だった。ブロードウエイに連れて行ってくれたのが唯一の楽しみだった。
小学校4年に「キャッツ」の舞台に立つことを夢見た。出演者の経歴を見たら、東京芸大出身者が多かったので、それを目指した。最初の先生が「あそこは天才が行くところだから無理だ」と言われた。二人目の先生(芸大出身)が「行けるから行こう」と言ってくれた。声学はクラッシックをやらないといけなかったが興味がなかった。しかし、クラッシクが基礎だと思った。クラシックとミュージカルではビブラートが違う。
「エリザベート」(2016年)が代表作。エリザベートを愛する夜の帝王を演じた。20歳の時にデビューしたのも「エリザベート」だった。
芸大の先生が、宝塚の先生でミュージカルやりたいと言ったら、オーデションを受けないかと言われた。それはある役だけがまだ決まってなく、その最終オーディションで自分を含め3人だった。楽譜を見せられたがミュージカルオタクだったので、完璧に歌えた。他の2人に歌い方を教えるぐらいだった。
劇団四季は自分の名前を出すことはない。外の世界でやれるなら入る必要はないと言われた。
ルドルフは勢いでやったが、その後演技力が不足していたことに気付いた。とても難しかった。父親が亡くなった役をどうやるか? 父親は生きているしどういう気持ちなのだろうかと。
「ハムレット」の皆川幸雄さんの作品に出演した。ひと言言う度に監督から注意された。いつ降ろされるのかなと、米国で体験した時ほどの辛さでいた。「声が届いてない」と同じ映画に出ていた音楽の先生に言われ、声に距離感と方向を教えてもらった。「おはよう」でも目の前の人に言うときと、離れた人に言うときは違う。そうしたら、監督からすごく良くなっていると言われた。皆川さんから「おまえは毒がない。ミルクティみたいだ」と言われた。それから毒のある方を体験するようにした。そうすると良くなってきた。
2曲目クミコさんの「わたしは青空」。風景が想像できる人だ。
もうすぐ40歳。日本初のものでブロードウエィに出るものが出ていない。自分たちのもう一つ上の世代かと思うが、ようやく土台ができてきたかと思う。
感想;
夢を諦めないことなのでしょう。
そして自分に見えないガラスの天井を置かずにチャレンジすることで道が開けていくのでしょう。
どれだけそれが好きか、そしてどれだけ時間をかけているかが大きいのだと思いました。
論語『知之者不如好之者、好之者不如楽之者』
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず
それを楽しくできるのが一番のようです。
本当にミュージカルが楽しいのだと、その雰囲気が伝わってきました。
最初の先生「君は無理」
二人目の先生「やってみよう」
この差は大きいですね。