幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「なぜこんなに生きにくいのか」南直哉著 ”処生術としての仏教”

2019-05-20 02:30:00 | 社会
・「もう死にたい」「この世から消えてしまいたい」と訴える人もいます。そういう人を前にして、「でも、生きることはすばらしいんだよ」と説いたところで、まった通じません。彼らは、そもそも、「生きているのは良いことだ」という前提そのものを疑っているからです。そういうとき、私は、この「人は何が何でも生き続けるべきだ」という前提を取っ払うことにしています。仏教者として、あえて「人間は死んでもいいかもしれないね。だって現に自殺する能力があるのだから」と言ってしまいます。そういうところから話して初めて、言葉が通じるのです。

・私は、宗教を「生きるテクニック」だと思っています。中でも仏教の教えが、私たちの日常生活に適用して意味があるとすれば、それは社会のありようとか、人間のありようを相対化する視点をあたえるということにあると考えています。仏教の教えをふまえて人間を見ると、違った見え方がする、ということです。そして、その見方が、よりよい生き方のヒントになるのではないか、と思うのです。

・誰かにほめられたい、認められたい。
 ・生きがいを感じている人というのは、やりたいことをやっている。
 ・意味のあること、まわりから認められほめられるようなことだと思っている人が、生きがいを感じるのだと思うのです。
 つまり、好きなことをやるという以上に、自分がいまやっていることに対してほめられるということ。

・自殺する人は孤独です。つながりたくてもつながれない、誰にもわかってもらえない。そういう絶望感で命を絶ってしまう。単なる生活苦などでは自殺しません。自分は人から見放されてしまているという絶望こそ、決定的に苦しいのです。

・まともな信仰をまともに信じている人の特徴というのは、その信仰を持っていない人にまで、「あの人はいい人だ」「あの人は立派だ」と言わせてしまうことです。マザー・テレサがいい例でしょう。

・人生の難問は「やり過ごす」のが肝心

・私は、悩む若者には、何でもいいから、まずはやってみることをお勧めしています。「自分らしい」生き方なんで、難しいことは考えない。

・人は「生まれてきてしまった」存在なのです。そのことを、ある時点で引き受けようと覚悟を決めたとき、価値が生まれるのです。価値がないのであれば、作るしかない。そのために、どう生きるか、よりよく生きるか、それを考えたほうがいいと思います。

・「私」は他者との関係においてのみ存在する

・依存症は「自分であること」からの逃避

・あきらめるとは「明らかに見る」こと

・いじめっ子は自分がつらいからいじめる

・子供の世界にいじめが常にあるということは、それを子供たちが必要としているからです。その必要としている条件を変えないかぎりはなくなりません。

・「許す」ということの難しさ
 相手を許しがたいのは、自分がかわいそうだからです。自分に申し訳ないからです。本当の問題はそこにあると、私は思います。

・人生の判断を他人に預けてはいけない

・強い怒りが生じたときの対処法
 ・体の姿勢を変えることです。
 ・一度は許すと最初から決めてしまうことです。
 ・自分の怒りの理由が、自分と相手の間だけでなく、理が関係のない第三者が聞いても納得するものかどうか、考えてみることです。

・人間のあり方を規定する三つの要素
1)「心身構造」;心(意識)や身体
2)「社会・経済構造」;私たちは稼がないと生きていけないということです。
3)「言語秩序」;私たちは言語の中に生まれ、言語を通じていろいろと教えられていくのです。

・同じ困難や苦労を共にしてこそ絆が生まれる

・ある人間が、「一日五分の座禅を死ぬまで続けたら、絶対悟るという確信が私にはあるのです。

・生きる知恵、教養を身につけるには、悩むことと手間をかけること、これらの両方がいるのです。

・仏教が扱うのは処世術ではなく処生術

感想
仏教は宗教というより、生き方の指針のように感じています。
著者はそれを“処生術”との言葉で言い表しています。

「人生の判断を他人に預けてはいけない」

自分で選択するからこそ、背水の陣で頑張ろうとします。
だから上手く行くのだと思います。
岐路での選択は迷います。
迷って選択した道で精一杯できるかどうかだと思います。