・「死ぬのはこわくないのですか?」(105歳になられた日野原先生への質問)
「恐ろしい・・・。あなたにそう聞かされるだけで恐ろしい・・・・。僕は、そう遠くない未来に自分が死ぬという事実を、とても恐ろしいことだと感じています。あなたに聞かれただけでも足がすくむような思いがします。・・・。だからこそ、朝起きて自分が生きているということが、心から嬉しいのです。生きているからこそ、新しい一日をスタートできる。様々な出会いがある。105歳という年齢を迎えてもなお、僕にはまだ自分でも知らない自分がたくさんあり、その未知なる自分と出会えるということに、心からわくわくしているのです。
・僕に残されたこのかけがえのない時間を無駄にせず、与えられた使命をまっとうできますようにと、毎日祈りながら暮らしています。
・僕は妻をはじめ、たくさんの親しい人を亡くしましたが、亡くなった後のほうが、むしろ生きていたときよりも、その人の姿が僕の中で鮮やかになっていくのを感じます。
・ありのままに生きるということは、飾ることなく、人からの評価に左右されることなく、自分に与えられた能力、環境を、自分がやるべきことのために使うという、難しいようでシンプルな働きなのです。
・「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自ら思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書)
・「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」(ルカによる福音書)
・人目を気にせずあなたが自然体で生きていくようになるために、まずは一歩勇気を出して行動してみてください。
・自分が戦っていたのが、実は病そのものでなく、病によって表出した「こうありたい理想の自分」だったということに気づくのです。僕が見てきた多くの患者さんも同じような気持ちだったのだと思います。
・人生をどう生きるかということと、死を迎える覚悟は表裏の関係にあります。
・愛するということは、相手のそのままを受け入れて大切に思うことです。相手を見ないで、自分のことばかりを見ていたら、もしも誰かがあなたに愛を向けてくれていても、気づけませんよね。
・「家族は何か」と問われたら、僕は「一緒に食卓を囲む存在」だと答えます。そこに血のつながりは関係ありません。
・たった一人でも、真の友と呼べる人がいれば、僕の心は満たされるからです。
・本当の友達とは、僕にとっては、僕のために祈ってくれる人です。
・ウィリアウ・オスラーの言葉
「医学とはサインエス(科学)の上に成り立っているアート(芸術)である」
・医師が患者のことを心から思い、笑顔で優しい言葉をかけること、手を握ったりさすってあげたりして、話を聞いてあげること、そこには限りがありません。
・ゆるすということを考えるとき、僕は「恕す」という漢字を思い浮かべます。この漢字は、心の上に如くという文字が載っていますね。つまり、ゆるすとは、誰かに許可を出すとか悪いことをした人をゆるすということではなく、「相手のことを自分のごとく思う心」という意味なのです。相手を自分のごとく思うということは、相手をゆるすことが自分を許すということにほかなりません、だからゆるすのは相手のためではなく、自分のためにする行為なのです。
・生まれ変わるためには、一度死ななくてはならない。でもそれは、肉体が死ぬということではないのです。そのことを僕が強く実感した瞬間、つまり僕が生まれ変わった瞬間は、よど号ハイジャック事件から解放され再び地面を踏みしめたときのことです。
「これからの命は与えられたもの。これからは自分のためではなく、人のためにこの命を捧げよう」
・医師をしている中で、多くの患者さん達が病気のおかげで大切なことに気がついたとおっしゃいます。最初は嫌だったものと向き合うことによって大切なことを発見できるということは、人間同士の関係でも同じことではないでしょうか。
・神のなさることは、すべて時にかなって美しい。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない。(旧約聖書 コヘレトの言葉三章十一節)
・「花は咲く」、僕の大好きな歌です。あの歌は、いつか花は咲くのだと信じているのでしょう。あの歌程待つことを、優しく教えてくれる歌はないですね。
花は咲く(YouTube)
・本気で泣いた経験のある人はまた、人の痛みを知ることができます。傷ついている人にただ寄り添ったり、励ましの言葉をかけたり、そんな慈愛の心から育まれるのです。人に優しくできる人は、きっと人から優しくされるでしょう。
・見えなくても、富士山は確実にそこに存在しているのです。
たとえ姿が見えなくても、そこに富士山があるということを信じること。これこそが運とのつきあい方ではないでしょうか。
・様々な改革に挑戦してきた僕ですが、その根底には常に患者さんのため、未来の医療のためという思いがありました。けれども、新しいことを始めるときというのは、必ず反対する人も出てきます。面白いことに、反対する人、否定的な意見を言う人というのは、ほとんどが同業者、つまり医者でした。
・これまで誰もしなかったことに挑戦するときに大事なことがもう一つあります。それは、「なぜやるのか」ということを自分に問いかけ続けるということです。
稲盛和夫さん
自ら問いかけられたのは「動機純たるや。私心なかりしか」という言葉だそうです。
・鈴木大拙さんは、抵抗があってもそのような人々を無視するのではなく、遠くを見つめる、そして「僕はこう考える」と表明することが大切だ、と教えてくれました。
遠くを見る、表明する。そして実践する。
・人間といのものは、苦難にあわなければなかなか目が覚めない。
・最近僕は、「運動不足」より「感動不足」のほうが深刻なのではないかと感じています。
・なかなか人と打ち解けられず、いつもどこか寂しい気持ちでいます。
あなたにおすすめしたいのは、ユーモア、つまり笑いの効能です。なぜなら一緒に笑うということは、何より人と人との一体感を深めてくれるものだと思うからです。
・得たものではなく、与えられたものをどう使うか。その使い方によって、本当の強さ、つまり人生の豊かさが決められるのだと思います。
・一歩踏み出せば、見えてくる景色が変わる。行動こそが不安を打ち消してくれる。
・何かの目的を心に抱き、はじめて希望が生じる。やりたいことがない者には希望はない。
・変化を恐れない。未知とは、変化する可能性のこと。変化していく自分を待望してほしい。
・2017年7月18日、午前6時30分頃、日野原重明先生は105年と10か月にわたるながいこの地上での旅路を終え、神様のもとへ旅立たれました。
・先生が、胃ろうも鼻からの栄養摂取も拒否されたこと、そしてご自宅に帰りたいとおっしゃったことを、日野原眞紀さん(次男の奥様)から知らされました。
先生が延命治療を拒否したのは、死を覚悟したからではなく、生きるため、もう一度挑戦するためだったということが、今になってはっきりとわかります。
・クラークさんは「ボーイズビーアンビシャス」
私は「キープオンゴーイング」
・私のいちばん好きな言葉は「エンカウンター(出逢い)」
感想;
ヨハネ福音書「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。」
聖書の古いものはギリシャ語が残っています。
ギリシャ語の言葉は"logo”の単語を使っています。
logoには言葉の他に”意味”との意味もあります。
言葉は言霊といって、力を持っていると言われてきました。
たった一言が大きな力になることがあります。
日野原重明先生が遺したい言葉、まさに105歳生きて来られた先生の生き方に基づいた言葉です。
私も言葉が大きな支えになってきました。
人が創る品質 -言葉の力/信じる力-
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/kotoba.html
-私を変えたひと言-
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/hitokoto.html
「恐ろしい・・・。あなたにそう聞かされるだけで恐ろしい・・・・。僕は、そう遠くない未来に自分が死ぬという事実を、とても恐ろしいことだと感じています。あなたに聞かれただけでも足がすくむような思いがします。・・・。だからこそ、朝起きて自分が生きているということが、心から嬉しいのです。生きているからこそ、新しい一日をスタートできる。様々な出会いがある。105歳という年齢を迎えてもなお、僕にはまだ自分でも知らない自分がたくさんあり、その未知なる自分と出会えるということに、心からわくわくしているのです。
・僕に残されたこのかけがえのない時間を無駄にせず、与えられた使命をまっとうできますようにと、毎日祈りながら暮らしています。
・僕は妻をはじめ、たくさんの親しい人を亡くしましたが、亡くなった後のほうが、むしろ生きていたときよりも、その人の姿が僕の中で鮮やかになっていくのを感じます。
・ありのままに生きるということは、飾ることなく、人からの評価に左右されることなく、自分に与えられた能力、環境を、自分がやるべきことのために使うという、難しいようでシンプルな働きなのです。
・「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自ら思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイによる福音書)
・「あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」(ルカによる福音書)
・人目を気にせずあなたが自然体で生きていくようになるために、まずは一歩勇気を出して行動してみてください。
・自分が戦っていたのが、実は病そのものでなく、病によって表出した「こうありたい理想の自分」だったということに気づくのです。僕が見てきた多くの患者さんも同じような気持ちだったのだと思います。
・人生をどう生きるかということと、死を迎える覚悟は表裏の関係にあります。
・愛するということは、相手のそのままを受け入れて大切に思うことです。相手を見ないで、自分のことばかりを見ていたら、もしも誰かがあなたに愛を向けてくれていても、気づけませんよね。
・「家族は何か」と問われたら、僕は「一緒に食卓を囲む存在」だと答えます。そこに血のつながりは関係ありません。
・たった一人でも、真の友と呼べる人がいれば、僕の心は満たされるからです。
・本当の友達とは、僕にとっては、僕のために祈ってくれる人です。
・ウィリアウ・オスラーの言葉
「医学とはサインエス(科学)の上に成り立っているアート(芸術)である」
・医師が患者のことを心から思い、笑顔で優しい言葉をかけること、手を握ったりさすってあげたりして、話を聞いてあげること、そこには限りがありません。
・ゆるすということを考えるとき、僕は「恕す」という漢字を思い浮かべます。この漢字は、心の上に如くという文字が載っていますね。つまり、ゆるすとは、誰かに許可を出すとか悪いことをした人をゆるすということではなく、「相手のことを自分のごとく思う心」という意味なのです。相手を自分のごとく思うということは、相手をゆるすことが自分を許すということにほかなりません、だからゆるすのは相手のためではなく、自分のためにする行為なのです。
・生まれ変わるためには、一度死ななくてはならない。でもそれは、肉体が死ぬということではないのです。そのことを僕が強く実感した瞬間、つまり僕が生まれ変わった瞬間は、よど号ハイジャック事件から解放され再び地面を踏みしめたときのことです。
「これからの命は与えられたもの。これからは自分のためではなく、人のためにこの命を捧げよう」
・医師をしている中で、多くの患者さん達が病気のおかげで大切なことに気がついたとおっしゃいます。最初は嫌だったものと向き合うことによって大切なことを発見できるということは、人間同士の関係でも同じことではないでしょうか。
・神のなさることは、すべて時にかなって美しい。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない。(旧約聖書 コヘレトの言葉三章十一節)
・「花は咲く」、僕の大好きな歌です。あの歌は、いつか花は咲くのだと信じているのでしょう。あの歌程待つことを、優しく教えてくれる歌はないですね。
花は咲く(YouTube)
・本気で泣いた経験のある人はまた、人の痛みを知ることができます。傷ついている人にただ寄り添ったり、励ましの言葉をかけたり、そんな慈愛の心から育まれるのです。人に優しくできる人は、きっと人から優しくされるでしょう。
・見えなくても、富士山は確実にそこに存在しているのです。
たとえ姿が見えなくても、そこに富士山があるということを信じること。これこそが運とのつきあい方ではないでしょうか。
・様々な改革に挑戦してきた僕ですが、その根底には常に患者さんのため、未来の医療のためという思いがありました。けれども、新しいことを始めるときというのは、必ず反対する人も出てきます。面白いことに、反対する人、否定的な意見を言う人というのは、ほとんどが同業者、つまり医者でした。
・これまで誰もしなかったことに挑戦するときに大事なことがもう一つあります。それは、「なぜやるのか」ということを自分に問いかけ続けるということです。
稲盛和夫さん
自ら問いかけられたのは「動機純たるや。私心なかりしか」という言葉だそうです。
・鈴木大拙さんは、抵抗があってもそのような人々を無視するのではなく、遠くを見つめる、そして「僕はこう考える」と表明することが大切だ、と教えてくれました。
遠くを見る、表明する。そして実践する。
・人間といのものは、苦難にあわなければなかなか目が覚めない。
・最近僕は、「運動不足」より「感動不足」のほうが深刻なのではないかと感じています。
・なかなか人と打ち解けられず、いつもどこか寂しい気持ちでいます。
あなたにおすすめしたいのは、ユーモア、つまり笑いの効能です。なぜなら一緒に笑うということは、何より人と人との一体感を深めてくれるものだと思うからです。
・得たものではなく、与えられたものをどう使うか。その使い方によって、本当の強さ、つまり人生の豊かさが決められるのだと思います。
・一歩踏み出せば、見えてくる景色が変わる。行動こそが不安を打ち消してくれる。
・何かの目的を心に抱き、はじめて希望が生じる。やりたいことがない者には希望はない。
・変化を恐れない。未知とは、変化する可能性のこと。変化していく自分を待望してほしい。
・2017年7月18日、午前6時30分頃、日野原重明先生は105年と10か月にわたるながいこの地上での旅路を終え、神様のもとへ旅立たれました。
・先生が、胃ろうも鼻からの栄養摂取も拒否されたこと、そしてご自宅に帰りたいとおっしゃったことを、日野原眞紀さん(次男の奥様)から知らされました。
先生が延命治療を拒否したのは、死を覚悟したからではなく、生きるため、もう一度挑戦するためだったということが、今になってはっきりとわかります。
・クラークさんは「ボーイズビーアンビシャス」
私は「キープオンゴーイング」
・私のいちばん好きな言葉は「エンカウンター(出逢い)」
感想;
ヨハネ福音書「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。」
聖書の古いものはギリシャ語が残っています。
ギリシャ語の言葉は"logo”の単語を使っています。
logoには言葉の他に”意味”との意味もあります。
言葉は言霊といって、力を持っていると言われてきました。
たった一言が大きな力になることがあります。
日野原重明先生が遺したい言葉、まさに105歳生きて来られた先生の生き方に基づいた言葉です。
私も言葉が大きな支えになってきました。
人が創る品質 -言葉の力/信じる力-
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/kotoba.html
-私を変えたひと言-
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/hitokoto.html