幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「女がひとり頬杖ついて」茨木のり子著 ”日々 ひとを愛してゆくための ただの疲労であったと”

2020-11-06 11:28:00 | 本の紹介
こどもたち
こどもたちの視るものはいつも断片
それだけではなんの意味もなさない断片
たとえ視られても
おとなたちは安心している
なにもわかりはしないさ あれだけぢゃ

しかし
それら一つ一つの出会いは
すばらしく新鮮なので
こどもたちは永く記憶にとどめている
よろこびであったもの 驚いたもの
神秘なもの 醜いものなどを

青春が嵐のようにどつと襲ってくると
こどもたちはなぎ倒されながら
ふいにすべての記憶を紡ぎはじめる
かれらはかれらのゴブラン織を織りはじめる

その時に
父や母 教師や祖国などが
海蛇や毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔の
イメージで ちいさくかたどられるとしたら
それは哀しいことではないか

おとなたちにとって
ゆめゆめ油断のならないのは
なによりもまづ まわりを走るこどもたち
今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
この栗鼠どもなのである


ぼくらの仕事は 視ている
ただ じっと 視ていることでしょう?

晩年の金子光晴がぽつりと言った
まだ若かったわたしの胸に それはしっくり落ちなかった

視ている ただ視ているだけ?
なにひとつ動かさないで? ひそかに呟いた

今頃になって沁みてくる その深い意味が
視ている人は必要だ ただじっと視ている人

数はすくなくとも そんな瞳が
あちらこちらでキラッと光っていなかったらこの世は漆黒の闇

でも なんて難しいのだろう 自分の眼で
ただじっと視ているということでさえ

小さな娘が思ったこと   
小さな娘が思ったこと
ひとの奥さんの肩はなぜあんなに匂うのだろう
木犀みたいに
くちなしみたいに
ひとの奥さんの肩にかかる
あの淡い靄のようなものは
なんだろう?
小さな娘は自分もそれを欲しいと思った
どんなきれいな娘にもない
とても素敵な或るなにか・・・・・・

小さな娘がおとなになって
妻になって母になって
ある日不意に気づいてしまう
ひとの奥さんの肩にふりつもる
あのやさしいものは
日々
ひとを愛してゆくための
  ただの疲労であったと

道しるべ
 -黒田二郎氏に-
昨日できたことが
今日はもうできない
あなたの書いた詩の二行

わたしはまだ昨日できたことが
今日も同じようにできている
けれどいつか通りすぎるでしょう その地点を

たちどまりきっと思い出すでしょう
あなたの静かなほほえみを
男の哀しみと いきものの過ぎゆく迅さを

だれもが通って行った道
だれもが通って行く道
だれもが自分だけは別と思いながら行く道

感想
人生に違う視点を与えてくれる詩のかずかずです。
今日できたことに”ありがとう”、昨日までできたことに”ありがとう”と言えるような心境になりたいものです。