170cmと176cm、33歳と29歳
NHK「純と愛」で姉はデビュー。妹は2018年格闘家と結婚、長男出産。
父は185cm、母はフィリピン人166㎝、長男182cm、末っ子187cm。
父は牛乳の配達の元締め。母は7人に兄弟の一番上でシンガーとして日本で働いていた。
両親と末っ子はドラム、父はギターでバンド組んでいた。
思い出の曲 高橋真梨子さん「for you」
母は「あなたが欲しいのあなたをゆたかが欲しい」と変えて歌う。
今でも両親はラブラブ。
会社が倒産して大変になった。その前は家は裕福だった。
父が「会社倒産したので今まで通り暮らせないけど、皆頑張ってくれるか?」と言った。
長女が中一の時。今まで通り暮らせなくなったとはどういうことなのと涙が出て来た(妹)。
クリスマスはチキンが一杯あったのが、ワンタンに卵が乗っていたら嬉しいと思うようになった。
学校のイスが堅かったので、皆クッションを置いていたがクッションを買えなかった。なので手をお尻に置いていた。
両親が貧乏を感じさせなかった。引っ越しが多かった。だんたん家が小さくなった。借金を返し続けていた。目隠しで新しい家まできて、「ここが新しい家だよ」と。
母はとても明るかった。どんな暗くなってもストーリーになるから、笑って話せるようになると言っていた。
周りから「大変ですね」と言われたら、皆大変なことがいつかあるので、「お先に!」と返した。
中学卒業したら働こうと思っていた。オーディションをずっと見ていた。
書類に受かった。横浜でオーディション。新幹線代がなかった。未成年だったので保護者と一緒にとのことだった。諦めていたら、父が「いつどこで何でチャンスあるかわからない。新幹線はダメだけど、車で運転していくで」と父が父の弟から車を借りて連れて行ってくれた。
横浜のオーディションでグランプリ取って、寮に入った。妹は1年後に事務所に入った。
全額家に振り込んで、1万円で暮らしていた。アンパン1個/1日。アロエヨーグルト食べたいと思っても家族のことを考えて我慢した。300個ポイントがたまるのが楽しみだった。
服は買えなかった。いつも同じ服。平気だった。
私(ユウ)は違う服を着たいと思ったけど、家族のことを考えて我慢した。
ユウさんは子ども食堂を訪れた
参加したのは自分の時とても貧しかった。子どもの時から芸能界に入りたかった。
「夢は描いた瞬間に叶う。絶対夢を持ち続けて欲しい」。
貧乏という事実があったから、夢を持ち続けられた。貧乏は必要な経験になった。
姉は女優としての仕事が増えた。朝ドラ、「朝の顔」と思ってオーディション受けたが落ちた。
でも後日呼ばれた。家族の話を聞かれた。最初のオーディションの車で来た話をしたら、「あの子、なにかに使えないか」と話し合ってくれた。
闇金のドラマに出たことがある。役作りがわからなかった。
そうしたら、「昔涙の味のご飯を食べていたんだね」と言われわかった。
姉妹は仲がよいがすごく喧嘩した。
アリは食べたことがあるという話を妹をした。そのため、家族全体がアリ食べたと思われた。
「食べてへんやろ」。「いや食べた」。それで言い合い、顔をはたいたりした。
落ちつこうと思ってカフェに入った(妹)。
妹がすごく落ち込んでいた。演技でもそこまでできないほどだった。
私も母に電話して落ちつこうとした。「ここまで怒るのは愛しているから」と思った。
ハグし合って仲直りした。
今は自分でお金を管理できるようになった。
旅行に憧れがあった。でも今までは貧乏だったので諦めていた。
一人旅したら最高と思った。
自分の(心の)声を聴いて、自分を幸せと思えた。
貧乏を言い訳にしてきた。でも今は言い訳にしなくなった。
両親は、愛を教えてくれた(姉)。
自分たちを否定せずに育ててくれた(妹)。
感想;
すごいなと思いました。
貧乏でひねくれることもなく、貧乏をバネに頑張って来られたのでしょう。
貧乏な生活があったからこそ、どんなことでもそれに比べたらと思えて頑張って来られたのでしょう。
滋賀県出身なので、言葉が懐かしかったです。
母が滋賀県出身だったので、親近感を感じました。
「夢を持ち続けると叶う」
実体験からの言葉だけに重みがあり、子ども食堂の子どもたちにも響いたと思います。
「私の『不幸』が1つ欠けたとしても」高橋メアリージュン著 ”不幸な出来事も幸せに変えて!”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/50be26e02221e5ac5b122b60dd35332e
NHK「純と愛」で姉はデビュー。妹は2018年格闘家と結婚、長男出産。
父は185cm、母はフィリピン人166㎝、長男182cm、末っ子187cm。
父は牛乳の配達の元締め。母は7人に兄弟の一番上でシンガーとして日本で働いていた。
両親と末っ子はドラム、父はギターでバンド組んでいた。
思い出の曲 高橋真梨子さん「for you」
母は「あなたが欲しいのあなたをゆたかが欲しい」と変えて歌う。
今でも両親はラブラブ。
会社が倒産して大変になった。その前は家は裕福だった。
父が「会社倒産したので今まで通り暮らせないけど、皆頑張ってくれるか?」と言った。
長女が中一の時。今まで通り暮らせなくなったとはどういうことなのと涙が出て来た(妹)。
クリスマスはチキンが一杯あったのが、ワンタンに卵が乗っていたら嬉しいと思うようになった。
学校のイスが堅かったので、皆クッションを置いていたがクッションを買えなかった。なので手をお尻に置いていた。
両親が貧乏を感じさせなかった。引っ越しが多かった。だんたん家が小さくなった。借金を返し続けていた。目隠しで新しい家まできて、「ここが新しい家だよ」と。
母はとても明るかった。どんな暗くなってもストーリーになるから、笑って話せるようになると言っていた。
周りから「大変ですね」と言われたら、皆大変なことがいつかあるので、「お先に!」と返した。
中学卒業したら働こうと思っていた。オーディションをずっと見ていた。
書類に受かった。横浜でオーディション。新幹線代がなかった。未成年だったので保護者と一緒にとのことだった。諦めていたら、父が「いつどこで何でチャンスあるかわからない。新幹線はダメだけど、車で運転していくで」と父が父の弟から車を借りて連れて行ってくれた。
横浜のオーディションでグランプリ取って、寮に入った。妹は1年後に事務所に入った。
全額家に振り込んで、1万円で暮らしていた。アンパン1個/1日。アロエヨーグルト食べたいと思っても家族のことを考えて我慢した。300個ポイントがたまるのが楽しみだった。
服は買えなかった。いつも同じ服。平気だった。
私(ユウ)は違う服を着たいと思ったけど、家族のことを考えて我慢した。
ユウさんは子ども食堂を訪れた
参加したのは自分の時とても貧しかった。子どもの時から芸能界に入りたかった。
「夢は描いた瞬間に叶う。絶対夢を持ち続けて欲しい」。
貧乏という事実があったから、夢を持ち続けられた。貧乏は必要な経験になった。
姉は女優としての仕事が増えた。朝ドラ、「朝の顔」と思ってオーディション受けたが落ちた。
でも後日呼ばれた。家族の話を聞かれた。最初のオーディションの車で来た話をしたら、「あの子、なにかに使えないか」と話し合ってくれた。
闇金のドラマに出たことがある。役作りがわからなかった。
そうしたら、「昔涙の味のご飯を食べていたんだね」と言われわかった。
姉妹は仲がよいがすごく喧嘩した。
アリは食べたことがあるという話を妹をした。そのため、家族全体がアリ食べたと思われた。
「食べてへんやろ」。「いや食べた」。それで言い合い、顔をはたいたりした。
落ちつこうと思ってカフェに入った(妹)。
妹がすごく落ち込んでいた。演技でもそこまでできないほどだった。
私も母に電話して落ちつこうとした。「ここまで怒るのは愛しているから」と思った。
ハグし合って仲直りした。
今は自分でお金を管理できるようになった。
旅行に憧れがあった。でも今までは貧乏だったので諦めていた。
一人旅したら最高と思った。
自分の(心の)声を聴いて、自分を幸せと思えた。
貧乏を言い訳にしてきた。でも今は言い訳にしなくなった。
両親は、愛を教えてくれた(姉)。
自分たちを否定せずに育ててくれた(妹)。
感想;
すごいなと思いました。
貧乏でひねくれることもなく、貧乏をバネに頑張って来られたのでしょう。
貧乏な生活があったからこそ、どんなことでもそれに比べたらと思えて頑張って来られたのでしょう。
滋賀県出身なので、言葉が懐かしかったです。
母が滋賀県出身だったので、親近感を感じました。
「夢を持ち続けると叶う」
実体験からの言葉だけに重みがあり、子ども食堂の子どもたちにも響いたと思います。
「私の『不幸』が1つ欠けたとしても」高橋メアリージュン著 ”不幸な出来事も幸せに変えて!”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/50be26e02221e5ac5b122b60dd35332e