・今日では、逆に8割以上が病院・診療所で最期を迎えていて、在宅死は約2割である。
・自らの見解
1) 患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲みこむ力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。
2) このような状態で病院に入院させて胃瘻を増設したり、点滴によって水分とか栄養を補給すると、患者の限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの兆候が明らかになる。
3) 家族にとって患者が飲まず食わずの状態で日々衰弱していく状態を目にするのがつらいならば、患者の身体に負担の少ない皮下注射で最低限の水分を供給する方法もある。
4) 看取るのは私でなく家族である。患者が息を引きとるとき、私が傍らで「お亡くなりになりました」と頭を下げることにどのくらい意味があるのだろうか。本当に意味があるのは、家族が静かに患者の手を握ってあげることではないか。
・長女は、”母(95歳)を見殺しにした“との自責の念から、鬱と診断され、数か月の通院を余儀なくされた。家族を在宅で看取った後、「本当にこれで良かったのだろうか」と自問し、鬱状態にならないまでも悩む家族は少なくない。
・病院による訪問診療が診療報酬の対象として全面的に認可されたのは2010年であるから、私が1人で在宅医療を行っていた最初の五年間は、いわば在宅医療の”夜明け前“であった。
・フランスの外科医 アンブロワーズ・バレ(1510~1590年)
「時に癒し、しばしば苦痛を和らげ、常に慰める」
・ヒポクラテスの戒め
「私は最初に医学(医療)のあり方を定義したい。病者の苦痛を完全に取り除き、病気の暴力を軽減させ、重病によって打ち負かされている場合には、そうなった時の医学(医療)の無力さを知っているが故に何も行わない」
・在宅死のアポリア
私達を何重にも取り囲む難題(アポリア)が見えてくるはずである。
(アポリア ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%A2-27060
ギリシア語で場所に関しては通路のないこと,事物については解決の方途が見出せないことから生じる困難を意味する。特にプラトンの場合,ディアロゴスにおいてロゴスの展開から必然的に生じる行きづまりを意味し,アリストテレスにおいては,ある問題に関して2つの同様に成立する対立した合理的な見解に直面することをいう。一般的には,解決できない難問をさす。
デジタル大辞泉の解説《道のないこと、の意》
1 アリストテレス哲学で、一つの問いに対する答えとして相反する二つの見解が等しく成立する場合をさす。
2 一般に、解決の糸口を見いだせない難問。
百科事典マイペディアの解説
解決のつかない難問のこと。ギリシア語の原義は通路または手段のないことを意味する。アリストテレスによれば,解決しがたい事柄をいい,一つの問いに二つの相反した合理的解答のあること。現代では放置できない論理的難点をさす。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ギリシア語の原義は「行き詰まり」、すなわち、問題が解決困難な状態のこと。ソクラテスは、対話によって相手をアポリアに陥れ、無知を自覚させた。相手は、ソクラテスの問いに導かれて、自分の生き方についての自分の意見から、論理的に矛盾が生じることを認め、途方に暮れた。
・脳梗塞と胃癌で7か月にわたる夫の闘病生活は転院に次ぐ転院であった。最後の4回目は、余命1か月と宣告され、ホスピス病棟に移った。初めての回診の日、主治医のH先生は穏やかな口調で質問した。
「ご主人はどんな人ですか」
病状について質問されるとばかり思っていた私は戸惑い、答えに窮した。どんな人でですかと、もう一度頭の中で繰り返したとたん、胸に熱いものがこみ上げてきて
「優しい人でした・・・」
と言うのが精いっぱいだった。
今までとの医師も看護師も夫は患者でしかなかった。38年間勤め上げた教師であることも、私にとってかけがえのない夫であることも治療には関係のないことであった。体温や血圧を測定し、点滴や薬を投与して、経過が良好であれば問題はなかった。脳が正常に機能しているかどうかをチェックするために名前や生年月日、そして100引く7の簡単な計算を執拗に質問した。小学生でもできる簡単な質問に、ぎこちなく答えている姿は痛々しかった。
「中略」
そんな時、どんな人と聞かれたことでこの人は人間修理工場の技師ではなく、病気になった人を治してくれる人だと感じた。そして今まで一度も感じたことのなかった安心感を覚え、全てを彼に任せようと思った。(菱川町子『聴診器とハーモニカ』第35回「心に残る医療」体験記コンクール[現「生命を見つめるフォト&エッセー」]受賞作品より引用)
・このとき私は、100歳を越えた人間にも自殺企図がありうることを初めて知った。
・私が折りに触れ、「患者を看取るのは医師でなく家族です。患者が息を引きとるとき、私が傍らで「お亡くなりになりました」と頭を下げることに意味があるとお考えですか」という問いを家族に投げかけていることは、第1章にも述べた。
・企業広告では「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というキャッチコピーが躍っていた。
・世界的に見れば豊かな国であるはずの日本に、貧困は厳然として存在することを、日々の診療を通じて実感している。
感想;
自分がどう死にたいかを考えることが大切なのでしょう。
アルフォンス・デーケン先生が日本に”死生学”を紹介されました。
死を考えることが、より良い今を生きることになるとのことでした。
死ぬことは経験できません。
でも、死んで逝かれた人から学ぶことはできます。
この本には多くの方の死を迎えて態度や行動が、紹介されています。
あらためて、死ぬときにどうしたいかよりも、今それをしたいと思いました。
・自らの見解
1) 患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲みこむ力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。
2) このような状態で病院に入院させて胃瘻を増設したり、点滴によって水分とか栄養を補給すると、患者の限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの兆候が明らかになる。
3) 家族にとって患者が飲まず食わずの状態で日々衰弱していく状態を目にするのがつらいならば、患者の身体に負担の少ない皮下注射で最低限の水分を供給する方法もある。
4) 看取るのは私でなく家族である。患者が息を引きとるとき、私が傍らで「お亡くなりになりました」と頭を下げることにどのくらい意味があるのだろうか。本当に意味があるのは、家族が静かに患者の手を握ってあげることではないか。
・長女は、”母(95歳)を見殺しにした“との自責の念から、鬱と診断され、数か月の通院を余儀なくされた。家族を在宅で看取った後、「本当にこれで良かったのだろうか」と自問し、鬱状態にならないまでも悩む家族は少なくない。
・病院による訪問診療が診療報酬の対象として全面的に認可されたのは2010年であるから、私が1人で在宅医療を行っていた最初の五年間は、いわば在宅医療の”夜明け前“であった。
・フランスの外科医 アンブロワーズ・バレ(1510~1590年)
「時に癒し、しばしば苦痛を和らげ、常に慰める」
・ヒポクラテスの戒め
「私は最初に医学(医療)のあり方を定義したい。病者の苦痛を完全に取り除き、病気の暴力を軽減させ、重病によって打ち負かされている場合には、そうなった時の医学(医療)の無力さを知っているが故に何も行わない」
・在宅死のアポリア
私達を何重にも取り囲む難題(アポリア)が見えてくるはずである。
(アポリア ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%82%A2-27060
ギリシア語で場所に関しては通路のないこと,事物については解決の方途が見出せないことから生じる困難を意味する。特にプラトンの場合,ディアロゴスにおいてロゴスの展開から必然的に生じる行きづまりを意味し,アリストテレスにおいては,ある問題に関して2つの同様に成立する対立した合理的な見解に直面することをいう。一般的には,解決できない難問をさす。
デジタル大辞泉の解説《道のないこと、の意》
1 アリストテレス哲学で、一つの問いに対する答えとして相反する二つの見解が等しく成立する場合をさす。
2 一般に、解決の糸口を見いだせない難問。
百科事典マイペディアの解説
解決のつかない難問のこと。ギリシア語の原義は通路または手段のないことを意味する。アリストテレスによれば,解決しがたい事柄をいい,一つの問いに二つの相反した合理的解答のあること。現代では放置できない論理的難点をさす。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
ギリシア語の原義は「行き詰まり」、すなわち、問題が解決困難な状態のこと。ソクラテスは、対話によって相手をアポリアに陥れ、無知を自覚させた。相手は、ソクラテスの問いに導かれて、自分の生き方についての自分の意見から、論理的に矛盾が生じることを認め、途方に暮れた。
・脳梗塞と胃癌で7か月にわたる夫の闘病生活は転院に次ぐ転院であった。最後の4回目は、余命1か月と宣告され、ホスピス病棟に移った。初めての回診の日、主治医のH先生は穏やかな口調で質問した。
「ご主人はどんな人ですか」
病状について質問されるとばかり思っていた私は戸惑い、答えに窮した。どんな人でですかと、もう一度頭の中で繰り返したとたん、胸に熱いものがこみ上げてきて
「優しい人でした・・・」
と言うのが精いっぱいだった。
今までとの医師も看護師も夫は患者でしかなかった。38年間勤め上げた教師であることも、私にとってかけがえのない夫であることも治療には関係のないことであった。体温や血圧を測定し、点滴や薬を投与して、経過が良好であれば問題はなかった。脳が正常に機能しているかどうかをチェックするために名前や生年月日、そして100引く7の簡単な計算を執拗に質問した。小学生でもできる簡単な質問に、ぎこちなく答えている姿は痛々しかった。
「中略」
そんな時、どんな人と聞かれたことでこの人は人間修理工場の技師ではなく、病気になった人を治してくれる人だと感じた。そして今まで一度も感じたことのなかった安心感を覚え、全てを彼に任せようと思った。(菱川町子『聴診器とハーモニカ』第35回「心に残る医療」体験記コンクール[現「生命を見つめるフォト&エッセー」]受賞作品より引用)
・このとき私は、100歳を越えた人間にも自殺企図がありうることを初めて知った。
・私が折りに触れ、「患者を看取るのは医師でなく家族です。患者が息を引きとるとき、私が傍らで「お亡くなりになりました」と頭を下げることに意味があるとお考えですか」という問いを家族に投げかけていることは、第1章にも述べた。
・企業広告では「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というキャッチコピーが躍っていた。
・世界的に見れば豊かな国であるはずの日本に、貧困は厳然として存在することを、日々の診療を通じて実感している。
感想;
自分がどう死にたいかを考えることが大切なのでしょう。
アルフォンス・デーケン先生が日本に”死生学”を紹介されました。
死を考えることが、より良い今を生きることになるとのことでした。
死ぬことは経験できません。
でも、死んで逝かれた人から学ぶことはできます。
この本には多くの方の死を迎えて態度や行動が、紹介されています。
あらためて、死ぬときにどうしたいかよりも、今それをしたいと思いました。