・大人になるって、女性であるって、こんなにも大変でしんどいものなんだっけ、と立ち止まってしまう瞬間がある一方で、その瞬間をするっとあっけなく乗り越えられるタフな精神性が登場することもあり、この二面性というのに、日々驚かされるのであります。
・AVの撮影現場は基本的に朝の8時からスタートする。撮影が終了するのは、深夜1時~2時は超絶当たり前、どれだけ働いても、まぁ帰れない。
・アダルトコンテンツを利用する人は男性が圧倒的に多いけれど、アダルトコンテンツを作る側には以外にも女性が多いことを、皆様はご存知でしょうか。女優さんは勿論のこと、現場制作のADさん、そしてメイクさんも年々女性率が高くなってきていて、AV村にも花のような匂いの風が毎年新たに吹き込んできているのです。
・私の場合は、AVは月に1本というペースでリリースしており、1本につき、撮影拘束日は1日~2日。
・長い間おなじことを繰り返していくと、心がどこか擦れていく。心の擦れの原因は、“慣れ”だ。この村ではさらに、性を酷使することに直面し続けるせいで、どうしても普通と異常の線引きが曖昧になってしまうことも、心の荒みに加えられてしまう。郷に入っては郷に従えの末路は、性への抵抗がなくなる一方で、性への清らかな執着を失うということになるのかもしれない。それが「日常」にまで流れ込んできたら、危ない。どこにも戻れなくなってしまう。
・白田英彰著「性表現規制の文化史」
昔は陰部のことを“と”と呼び、丁寧に接頭語を置いて、“みと”“ほと”と読んでいた。
・私は普段はあまり谷間を見せない。しかも、世間一般が言うような“女の子らしい色合い”の服さえ着ない。テレビに出演するときは茶褐色やアース色の服を着るし、大根足を隠すためのロングスカートは最高に素敵な味方である。そういう服を好むものだから自然と肌の露出は減っていく。しかしそうするとお咎めを受け、「普通に服を着てると没個性で何の人かわからないよ?」「お前はAV女優らしい格好をしろ! 気取ってるんじゃねぇ」などなど、皮肉な言葉がちらほらと聞こえてくるのである。理不尽である。胸を隠せと言ったり、胸を出せと言ったりなんなんだ! だっふんだ!?
しかしながら、世間がから求められるえろ屋らしい格好をきちんと選び、メディアに対応する女優も実際に多いので、その姿を見れば、しみじみ偉いなぁと拍手を送る。
自分が着たい服というのはやはり、“纏うような衣”という機能性重視のものであって、その方が実際、本当に言いたいことが言えるような安心感に包まれるのだ。
・職業記入欄での葛藤。「自分、AV女優ですから」と高倉健さんのようにびしっと言ってしまいたいし、恥ずかしさも感じず、至って堂々としていたい本音は心のどこかに常にある。しかし世間からしてみれば、「AV女優、うん、社会に適してないね!」としか思えないようなのであります。「拒否!」の判子が、凄まじいスピードで我という書類に押される。うっ・・・キビシー!!!
物件を借りるときの審査が、なかなかおりないというのも難点として挙げられる。
・大好きな整体に通いはじめた頃、
「お客様は普段、立ち仕事ですか? 座り仕事ですか?」
そう聞かれるたびに、どちらで答えるべきか真剣に考えてしまっていた。
勃ち仕事は男優さんの仕事だしなぁ。え、あ、立ち仕事か、脳内でバグってしまったエロ変換を正しながらきちんと思考する。まあセックスするときは立ったり座ったりするしなぁ。でも、メデイア系の活動日や執筆日は、ほとんど座って何かを収録したり書いたりしているよな。あ、でも歌っているときは立っているかな。棒立ちだわ。見慣れているイチモツも棒勃ちだけど。いやいや、そういうことではなくて、下品だからやめなさいよ自分・・・。まぁ総合的に見てみると、うーん、半々ぐらい?
・自分がどれだけ誇りを持っている仕事であっても、適した環境でなければ酸素も薄く、苦しくて生きにくい、理解されない仕事の上位に君臨してしまったのだから。扱い方や返す言葉の選択が難しくなってしまうのは仕方がない。それは紛れもない事実だ。
せっかく大人になったのに、何者にでもなれる自由と引き換えに、「どうしてその仕事を選んだのか」という問いが否応なしに返ってくる。OLさんにはその質問をあまり投げかけない癖に、AV女優だと「この疑問を抱くのは当然でしょう?」ともっともらしく普通に聞いてくるのである。相手を納得させる理由を述べなければならないという威圧感が漂っていたりもして、至極重い気持ちにさせられる。
・2年前にミレーナという子宮内避妊器具をつけるようになってから、だいぶ安定するようになったけど、主従関係でいえばまだまだ感情(生理中の荒れっぷりが凄すぎて)の権利は子宮に掌握されている感。ま、負けないぞ!
・はじめは裸で表現していいたことの補足として、「書く」ことで、さらに思考や体験が広がればいいなと思っていたのだけれど、それが気が付いたら、補足ではなく、もう一つの表現技法になることができた。もうやめられない止められないかっぱえびせん状態になったのだな・・・。誰にも課せられていない一つの使命を得られたようで、というか、使命というのは勝手に自分で作り上げてしまっていいものなのだと、前向きな気持ちにさせてくれる生活の「一部」に、既になってきているように感じる。
感想;
「最低。」紗倉まな著 ”AV女優4人のストーリー”
実体験しているからこそ書けるものがあるのだと思います。
裸での表現だけでなく、言葉での表現で、AVの世界、それに関係する人々の感情、自分の感情を、軽快な文書で表現されていると思いました。
・AVの撮影現場は基本的に朝の8時からスタートする。撮影が終了するのは、深夜1時~2時は超絶当たり前、どれだけ働いても、まぁ帰れない。
・アダルトコンテンツを利用する人は男性が圧倒的に多いけれど、アダルトコンテンツを作る側には以外にも女性が多いことを、皆様はご存知でしょうか。女優さんは勿論のこと、現場制作のADさん、そしてメイクさんも年々女性率が高くなってきていて、AV村にも花のような匂いの風が毎年新たに吹き込んできているのです。
・私の場合は、AVは月に1本というペースでリリースしており、1本につき、撮影拘束日は1日~2日。
・長い間おなじことを繰り返していくと、心がどこか擦れていく。心の擦れの原因は、“慣れ”だ。この村ではさらに、性を酷使することに直面し続けるせいで、どうしても普通と異常の線引きが曖昧になってしまうことも、心の荒みに加えられてしまう。郷に入っては郷に従えの末路は、性への抵抗がなくなる一方で、性への清らかな執着を失うということになるのかもしれない。それが「日常」にまで流れ込んできたら、危ない。どこにも戻れなくなってしまう。
・白田英彰著「性表現規制の文化史」
昔は陰部のことを“と”と呼び、丁寧に接頭語を置いて、“みと”“ほと”と読んでいた。
・私は普段はあまり谷間を見せない。しかも、世間一般が言うような“女の子らしい色合い”の服さえ着ない。テレビに出演するときは茶褐色やアース色の服を着るし、大根足を隠すためのロングスカートは最高に素敵な味方である。そういう服を好むものだから自然と肌の露出は減っていく。しかしそうするとお咎めを受け、「普通に服を着てると没個性で何の人かわからないよ?」「お前はAV女優らしい格好をしろ! 気取ってるんじゃねぇ」などなど、皮肉な言葉がちらほらと聞こえてくるのである。理不尽である。胸を隠せと言ったり、胸を出せと言ったりなんなんだ! だっふんだ!?
しかしながら、世間がから求められるえろ屋らしい格好をきちんと選び、メディアに対応する女優も実際に多いので、その姿を見れば、しみじみ偉いなぁと拍手を送る。
自分が着たい服というのはやはり、“纏うような衣”という機能性重視のものであって、その方が実際、本当に言いたいことが言えるような安心感に包まれるのだ。
・職業記入欄での葛藤。「自分、AV女優ですから」と高倉健さんのようにびしっと言ってしまいたいし、恥ずかしさも感じず、至って堂々としていたい本音は心のどこかに常にある。しかし世間からしてみれば、「AV女優、うん、社会に適してないね!」としか思えないようなのであります。「拒否!」の判子が、凄まじいスピードで我という書類に押される。うっ・・・キビシー!!!
物件を借りるときの審査が、なかなかおりないというのも難点として挙げられる。
・大好きな整体に通いはじめた頃、
「お客様は普段、立ち仕事ですか? 座り仕事ですか?」
そう聞かれるたびに、どちらで答えるべきか真剣に考えてしまっていた。
勃ち仕事は男優さんの仕事だしなぁ。え、あ、立ち仕事か、脳内でバグってしまったエロ変換を正しながらきちんと思考する。まあセックスするときは立ったり座ったりするしなぁ。でも、メデイア系の活動日や執筆日は、ほとんど座って何かを収録したり書いたりしているよな。あ、でも歌っているときは立っているかな。棒立ちだわ。見慣れているイチモツも棒勃ちだけど。いやいや、そういうことではなくて、下品だからやめなさいよ自分・・・。まぁ総合的に見てみると、うーん、半々ぐらい?
・自分がどれだけ誇りを持っている仕事であっても、適した環境でなければ酸素も薄く、苦しくて生きにくい、理解されない仕事の上位に君臨してしまったのだから。扱い方や返す言葉の選択が難しくなってしまうのは仕方がない。それは紛れもない事実だ。
せっかく大人になったのに、何者にでもなれる自由と引き換えに、「どうしてその仕事を選んだのか」という問いが否応なしに返ってくる。OLさんにはその質問をあまり投げかけない癖に、AV女優だと「この疑問を抱くのは当然でしょう?」ともっともらしく普通に聞いてくるのである。相手を納得させる理由を述べなければならないという威圧感が漂っていたりもして、至極重い気持ちにさせられる。
・2年前にミレーナという子宮内避妊器具をつけるようになってから、だいぶ安定するようになったけど、主従関係でいえばまだまだ感情(生理中の荒れっぷりが凄すぎて)の権利は子宮に掌握されている感。ま、負けないぞ!
・はじめは裸で表現していいたことの補足として、「書く」ことで、さらに思考や体験が広がればいいなと思っていたのだけれど、それが気が付いたら、補足ではなく、もう一つの表現技法になることができた。もうやめられない止められないかっぱえびせん状態になったのだな・・・。誰にも課せられていない一つの使命を得られたようで、というか、使命というのは勝手に自分で作り上げてしまっていいものなのだと、前向きな気持ちにさせてくれる生活の「一部」に、既になってきているように感じる。
感想;
「最低。」紗倉まな著 ”AV女優4人のストーリー”
実体験しているからこそ書けるものがあるのだと思います。
裸での表現だけでなく、言葉での表現で、AVの世界、それに関係する人々の感情、自分の感情を、軽快な文書で表現されていると思いました。