1963年生まれ。フジテレビ退社2か月後、悪性リンパ腫ステージ4から復活。
闘病を発信。
これまで聞きにくいことを聞いていたので、これは発信しないといけないと思った。
今は一切痛いことはない。完全緩解。これから2~5年経過すると完治になる。
最初は排尿障害、痛いが最初の症状。診てもらうと前立腺肥大。治療してもよくならない。
さらにX線CTなど撮影したところ、放射線技師から、骨盤に影があるからとさらに検査。
「悪性リンパ腫」は発見されにくい。
腰に痛みがあったので太い針で血液取り、ガン細胞あったのでわかった。
一度全て毛が全て抜ける。その後の毛は天然パーマになる。それが数か月経過するとストレートに戻る。
1曲目 山下達郎「HEY REPORTER」
https://www.youtube.com/watch?v=ORxok5TE800
憧れていたリポーターの歌。
リポート時に水掛けられたこともある。
土足で相手に上がり込むことが許されていた時代。
映画の新作120本、お芝居の新作100本/年を見ていたのでなので毎日が眠い。
それだけ働いていた。負けたくない。今より上に行くには貪欲にやらないといけないと思ってやっていた。
24時間戦いますの昭和の考えを令和になってもやっていた。
奥様も元アナウンサー(サワコ)。よく叱られていた。
50歳になっても台風中継やっていた。妻からは「あなたがやる仕事ではないでしょ!」と。
安藤優子さんはどこから飛んでくるかわからない。小倉智昭さんは素人には優しい質問、ベテランには難しい質問が飛んできた。わからないときはわからないと答えていた。
特ダネずっとやっていた。
「銃後の守りとして、若い人を鍛えてください」と局側から言われやっていたが、自分が話す時間が減ってきたい。ここから脱出することだと思って、清水の舞台から飛び降りる気持ちでフジテレビを辞めた。ところがソフトランディングするつもりが着地できなかった。癌がわかった。
2019年9月30日フジテレビ退社。2か月後に悪性リンパ腫ステージ4と言われ、勘弁してよと思った。死ぬと思った。
丸5日間抗がん剤を6クール。それを発信した。
「ここ一か月で体重が5kg減った」
「抗がん剤治療も今日が最終日です」しんどい表情。
抗がん剤打ってから一週間から10日後がきつかった。
お薬はよいのができている。かつ新しい薬がどんどん開発されている。
先輩に経験談聴くのはよい。でも5年前の人は今と違う。20年前は吐き気がひどかった。今は吐き気を止めるよい薬がある。昔の人は吐きながら食べていた。なので今の人に聞かないと状況は違っている。
食べることを必死にやった。味覚障害。私は甘味だけが強く、他の味を感じない。有名店餃子4店、全て同じ味だった。妻からどんな味?と聞かれた。醤油とラー油の味しかしなかった。人によって味覚は千差万別。泥を食べているような感じの人も。食べることが戦い。
これまでこの情報をだしたくないことにマイクを向けていた。
贖罪と思って出さないといけないと思った。
ブログとインスタグラム。コメントには良い悪いがあるが、今回は“光”しか感じなかった。
通常は悪いコメントもあるがそれがなかった。
30万人のフロワーができた。半分はがん患者。「私も頑張ります」と。
自分だけの生き死にではないなと思った。
「ごめん。だめだった」となると多くの人を暗闇に落とすな。
絶対復帰しないといけないなと思った。
阪神淡路の取材。その日に生まれた赤ちゃんを探した。その時に会った医師が、「私も悪性リンパ腫になって復帰しました。だから大丈夫です」とコメントを貰った。宮城の震災を受け、インタビューした人がお見舞いに来てくれた。とても力が湧いてきました。
「HEY REPORTER」から始まって、まさに山下達郎さんに感謝です。
第二の人生は始まったばかり。癌という新しいテーマを見つけたように思う。
2曲目 宮崎奈穂子「がんばらない日 Part2」
https://www.youtube.com/watch?v=IED9ADid8sg
(聞きながら涙を流されていました)
おつかれさま どうもありがとう がんばっているね。
助かったよ。その瞳の中にはどんなものがうつっているの。
きれいなものも 真っ黒なものも
がんばっているから 悔しい日もあって、なみだこぼれてもことばのみこんで
これからは妻を労わらないと(サワコ)
はいそうですね。
これまでの生き方を見直さないといけない。
でも今でも妻から怒られている。
働けることがこれだけ嬉しいことなんだと。ステキなことなんだ。働けるありがたさを感じている。でも働き過ぎない。バランスの問題。
昭和世代なので、つい頑張ってしまう。
「昭和のせいにしてはいけない。自分のせい」(サワコ)ときついことば。
「はい、そうですね」
感想;
本当に完全緩解されて良かったです。
ガンになったからこそ、わかることがたくさんあったようです。
それまでの生き方を見直す機会になられたようです。
フリーになって、病気、大変だったと思います。
フジテレビにいれば、闘病中もお給料がでますが、フリーだと収入がゼロになります。
不安も大きかったと思います。
私も38歳で胃癌になり、胃を2/3切除しました。
早期でしたが、やはり”死”が頭にめぐりました。
手術後しばらくしてから、「いまやりたいことをいましないとできないな」との思いが強くなりました。
そしていろいろなことを始めました。
ボランティアもその一つです。
それとそれまでいいかげんだった、食事に気をつけるようになります。
製薬企業に勤めていましたが、お薬より前に、食事と睡眠と排便に気をつけることでした。
胃を2/3切除したので、便秘と下痢を繰り返し、痔にもなりました。
排便がきちんとできることの有難さを感じました。
今、腸内細菌が免疫力向上にも大きな役割を担っていると言われていますが、実感しています。
そしてどうしようもなくなってからお薬なんだと思いました。
快眠、快食、快便。
宮崎奈穂子さんの歌、素敵でした。
本「路上から武道館へ」を図書館で予約しました。
⇒追記12月12日
「路上から武道館へ 普通の私が夢を叶えたたった3つの方法」宮崎奈穂子著 ”夢を叶えるために出来ることをする!”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/f9c9ff50a66aef1ffab3463ac097b25f
闘病を発信。
これまで聞きにくいことを聞いていたので、これは発信しないといけないと思った。
今は一切痛いことはない。完全緩解。これから2~5年経過すると完治になる。
最初は排尿障害、痛いが最初の症状。診てもらうと前立腺肥大。治療してもよくならない。
さらにX線CTなど撮影したところ、放射線技師から、骨盤に影があるからとさらに検査。
「悪性リンパ腫」は発見されにくい。
腰に痛みがあったので太い針で血液取り、ガン細胞あったのでわかった。
一度全て毛が全て抜ける。その後の毛は天然パーマになる。それが数か月経過するとストレートに戻る。
1曲目 山下達郎「HEY REPORTER」
https://www.youtube.com/watch?v=ORxok5TE800
憧れていたリポーターの歌。
リポート時に水掛けられたこともある。
土足で相手に上がり込むことが許されていた時代。
映画の新作120本、お芝居の新作100本/年を見ていたのでなので毎日が眠い。
それだけ働いていた。負けたくない。今より上に行くには貪欲にやらないといけないと思ってやっていた。
24時間戦いますの昭和の考えを令和になってもやっていた。
奥様も元アナウンサー(サワコ)。よく叱られていた。
50歳になっても台風中継やっていた。妻からは「あなたがやる仕事ではないでしょ!」と。
安藤優子さんはどこから飛んでくるかわからない。小倉智昭さんは素人には優しい質問、ベテランには難しい質問が飛んできた。わからないときはわからないと答えていた。
特ダネずっとやっていた。
「銃後の守りとして、若い人を鍛えてください」と局側から言われやっていたが、自分が話す時間が減ってきたい。ここから脱出することだと思って、清水の舞台から飛び降りる気持ちでフジテレビを辞めた。ところがソフトランディングするつもりが着地できなかった。癌がわかった。
2019年9月30日フジテレビ退社。2か月後に悪性リンパ腫ステージ4と言われ、勘弁してよと思った。死ぬと思った。
丸5日間抗がん剤を6クール。それを発信した。
「ここ一か月で体重が5kg減った」
「抗がん剤治療も今日が最終日です」しんどい表情。
抗がん剤打ってから一週間から10日後がきつかった。
お薬はよいのができている。かつ新しい薬がどんどん開発されている。
先輩に経験談聴くのはよい。でも5年前の人は今と違う。20年前は吐き気がひどかった。今は吐き気を止めるよい薬がある。昔の人は吐きながら食べていた。なので今の人に聞かないと状況は違っている。
食べることを必死にやった。味覚障害。私は甘味だけが強く、他の味を感じない。有名店餃子4店、全て同じ味だった。妻からどんな味?と聞かれた。醤油とラー油の味しかしなかった。人によって味覚は千差万別。泥を食べているような感じの人も。食べることが戦い。
これまでこの情報をだしたくないことにマイクを向けていた。
贖罪と思って出さないといけないと思った。
ブログとインスタグラム。コメントには良い悪いがあるが、今回は“光”しか感じなかった。
通常は悪いコメントもあるがそれがなかった。
30万人のフロワーができた。半分はがん患者。「私も頑張ります」と。
自分だけの生き死にではないなと思った。
「ごめん。だめだった」となると多くの人を暗闇に落とすな。
絶対復帰しないといけないなと思った。
阪神淡路の取材。その日に生まれた赤ちゃんを探した。その時に会った医師が、「私も悪性リンパ腫になって復帰しました。だから大丈夫です」とコメントを貰った。宮城の震災を受け、インタビューした人がお見舞いに来てくれた。とても力が湧いてきました。
「HEY REPORTER」から始まって、まさに山下達郎さんに感謝です。
第二の人生は始まったばかり。癌という新しいテーマを見つけたように思う。
2曲目 宮崎奈穂子「がんばらない日 Part2」
https://www.youtube.com/watch?v=IED9ADid8sg
(聞きながら涙を流されていました)
おつかれさま どうもありがとう がんばっているね。
助かったよ。その瞳の中にはどんなものがうつっているの。
きれいなものも 真っ黒なものも
がんばっているから 悔しい日もあって、なみだこぼれてもことばのみこんで
これからは妻を労わらないと(サワコ)
はいそうですね。
これまでの生き方を見直さないといけない。
でも今でも妻から怒られている。
働けることがこれだけ嬉しいことなんだと。ステキなことなんだ。働けるありがたさを感じている。でも働き過ぎない。バランスの問題。
昭和世代なので、つい頑張ってしまう。
「昭和のせいにしてはいけない。自分のせい」(サワコ)ときついことば。
「はい、そうですね」
感想;
本当に完全緩解されて良かったです。
ガンになったからこそ、わかることがたくさんあったようです。
それまでの生き方を見直す機会になられたようです。
フリーになって、病気、大変だったと思います。
フジテレビにいれば、闘病中もお給料がでますが、フリーだと収入がゼロになります。
不安も大きかったと思います。
私も38歳で胃癌になり、胃を2/3切除しました。
早期でしたが、やはり”死”が頭にめぐりました。
手術後しばらくしてから、「いまやりたいことをいましないとできないな」との思いが強くなりました。
そしていろいろなことを始めました。
ボランティアもその一つです。
それとそれまでいいかげんだった、食事に気をつけるようになります。
製薬企業に勤めていましたが、お薬より前に、食事と睡眠と排便に気をつけることでした。
胃を2/3切除したので、便秘と下痢を繰り返し、痔にもなりました。
排便がきちんとできることの有難さを感じました。
今、腸内細菌が免疫力向上にも大きな役割を担っていると言われていますが、実感しています。
そしてどうしようもなくなってからお薬なんだと思いました。
快眠、快食、快便。
宮崎奈穂子さんの歌、素敵でした。
本「路上から武道館へ」を図書館で予約しました。
⇒追記12月12日
「路上から武道館へ 普通の私が夢を叶えたたった3つの方法」宮崎奈穂子著 ”夢を叶えるために出来ることをする!”
https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/f9c9ff50a66aef1ffab3463ac097b25f