昨年旭日小綬章をいただいた。
渡哲也さんが亡くなった。
静かに送って欲しいとの願いだった。
死に顔も見ていないのでいまだに亡くなったとは思っていない。
いまでも亡くなったことを信じたくない気持ちがある。
夢に渡哲也さんが出て来て、「あれ、生きていたのですか? 皆死んでいると思っていますよ」と声をかけた。
1曲目 アン・マーグレット「キスをあなたに」
名古屋の旧家の長男。父が医者で勉強せよと言われた。
辞書は新しいのを買ってくれずに家にあった古い広辞苑を学校に持って行かされた。
それを見て黒板に書いたら、今はその漢字は使っていないと先生に言われた。
当時は、周りから医者になるように言われた。
勉強しなくても医者になれるんだと思ったが、受からなかった。
そこで建築家になろうと大学は建築科に。
大学在学中にオートバイチームを仲間と作った。
映画関係者から映画の誘いがあり映画に出演した。
映画の撮影が嫌いで、撮影中は”懲役“と呼んでいた。
台本も暗記しなかった。
長い台詞はカンペを見ながらやった。
かなりのお金を貰えたので、やろうと思った。
渡哲也さんに29歳の時、初めて会った。
多くの先輩は挨拶に行くと、ソファーに座ったままで「おー、頑張れよ」と言われた。
記者会見前に会いたいと言われ渡哲也さんに会いに行った。
渡哲也さんと喫茶店で会うと、渡哲也さんが立って握手してくれた。
この人は違うなと思った。
石原プロに誘われたので、渡哲也さんに言ったら、「この件、俺が預かる」と言って、条件闘争をしてくれた。
私は石原プロに入らない方が自由にできてよいと思っていたようだ。
制約されることがあったようだ。
「事務所に入って、辛いことがあるけど、お互い傷をなめ合っていこう」と言われた。
それを渡哲也さんに言うと、そんなこと言ったかなと言われたが、よく覚えている。
石原プロというより、渡哲也さんに傾倒していた。
皆は石原裕次郎さんを社長と呼んでいたが、言えずに石原さんと呼んでいた。
石原プロに入るなら、石原社長と呼べと渡哲也さんから言われた。
石原裕次郎さんは信じられないくらい心の大きい人だった。
石原裕次郎さんの椅子、渡哲也さんの椅子が置いてあったので、自分の黒い椅子を横に置いていた。そうしたら、石原裕次郎さんが、「これは誰の椅子か?」と言われたので、「私です」と言ったら、「10年早い」と言われた。先輩たちには椅子がなかった。
「今そういう時代じゃないですよ」と言ったら、「そうかそういう時代じゃないんだな」と言ってくれた。
恒例の石原プロのハワイ旅行で渡さんから「残って石原社長の車の運転手やれ」と言われた。
きっと親しくしてくれるきっかけを与えてくれたのだろう。
石原社長に飯をおごってもらったり、勝新太郎さんが来ているからということで一緒に食事もさせてもらった。
「社長、自分のこと可愛くないでしょう」と言った。
「そんなことない」と言ってくれたが。
石原社長を渡哲也さんが見ている。私は渡哲也さんの背中を見ています。だから、社長の背中は見えません」と言ったら分かってもらえた。
石原プロは楽しい。来週石原プロは解散する。予定通り。
石原プロのおもちゃ箱みたいだった。今はそうでなかった。
石原さんも、渡さんも映画を撮りたいと思って来た。こういう映画を撮りたいとの思いが強くて縛りが強かった。
石原裕次郎さん、渡哲也さんと一緒に映画はなかった。
渡さんと映画を撮りたかった。
映画「ヤクザと家族 The Family」
ヤクザの親分役をやっている。
綾野君とか若い人にはかなわない。勉強させてもらっている。
2曲目 斉藤和義「ずっと好きだった」
最近ずーっと聞いている。
いつまでも恋していたいですか?(サワコ)
「あなたを」
「いやだ、ドキドキしてしまう」
感想;
舘ひろしさん、様々な役をやり演技の幅を広げられています。
尊敬できる人がいて、そしてその人を追いかけて付いていく、それはとても幸せなことなのでしょう。
渡哲也さんが亡くなった。
静かに送って欲しいとの願いだった。
死に顔も見ていないのでいまだに亡くなったとは思っていない。
いまでも亡くなったことを信じたくない気持ちがある。
夢に渡哲也さんが出て来て、「あれ、生きていたのですか? 皆死んでいると思っていますよ」と声をかけた。
1曲目 アン・マーグレット「キスをあなたに」
名古屋の旧家の長男。父が医者で勉強せよと言われた。
辞書は新しいのを買ってくれずに家にあった古い広辞苑を学校に持って行かされた。
それを見て黒板に書いたら、今はその漢字は使っていないと先生に言われた。
当時は、周りから医者になるように言われた。
勉強しなくても医者になれるんだと思ったが、受からなかった。
そこで建築家になろうと大学は建築科に。
大学在学中にオートバイチームを仲間と作った。
映画関係者から映画の誘いがあり映画に出演した。
映画の撮影が嫌いで、撮影中は”懲役“と呼んでいた。
台本も暗記しなかった。
長い台詞はカンペを見ながらやった。
かなりのお金を貰えたので、やろうと思った。
渡哲也さんに29歳の時、初めて会った。
多くの先輩は挨拶に行くと、ソファーに座ったままで「おー、頑張れよ」と言われた。
記者会見前に会いたいと言われ渡哲也さんに会いに行った。
渡哲也さんと喫茶店で会うと、渡哲也さんが立って握手してくれた。
この人は違うなと思った。
石原プロに誘われたので、渡哲也さんに言ったら、「この件、俺が預かる」と言って、条件闘争をしてくれた。
私は石原プロに入らない方が自由にできてよいと思っていたようだ。
制約されることがあったようだ。
「事務所に入って、辛いことがあるけど、お互い傷をなめ合っていこう」と言われた。
それを渡哲也さんに言うと、そんなこと言ったかなと言われたが、よく覚えている。
石原プロというより、渡哲也さんに傾倒していた。
皆は石原裕次郎さんを社長と呼んでいたが、言えずに石原さんと呼んでいた。
石原プロに入るなら、石原社長と呼べと渡哲也さんから言われた。
石原裕次郎さんは信じられないくらい心の大きい人だった。
石原裕次郎さんの椅子、渡哲也さんの椅子が置いてあったので、自分の黒い椅子を横に置いていた。そうしたら、石原裕次郎さんが、「これは誰の椅子か?」と言われたので、「私です」と言ったら、「10年早い」と言われた。先輩たちには椅子がなかった。
「今そういう時代じゃないですよ」と言ったら、「そうかそういう時代じゃないんだな」と言ってくれた。
恒例の石原プロのハワイ旅行で渡さんから「残って石原社長の車の運転手やれ」と言われた。
きっと親しくしてくれるきっかけを与えてくれたのだろう。
石原社長に飯をおごってもらったり、勝新太郎さんが来ているからということで一緒に食事もさせてもらった。
「社長、自分のこと可愛くないでしょう」と言った。
「そんなことない」と言ってくれたが。
石原社長を渡哲也さんが見ている。私は渡哲也さんの背中を見ています。だから、社長の背中は見えません」と言ったら分かってもらえた。
石原プロは楽しい。来週石原プロは解散する。予定通り。
石原プロのおもちゃ箱みたいだった。今はそうでなかった。
石原さんも、渡さんも映画を撮りたいと思って来た。こういう映画を撮りたいとの思いが強くて縛りが強かった。
石原裕次郎さん、渡哲也さんと一緒に映画はなかった。
渡さんと映画を撮りたかった。
映画「ヤクザと家族 The Family」
ヤクザの親分役をやっている。
綾野君とか若い人にはかなわない。勉強させてもらっている。
2曲目 斉藤和義「ずっと好きだった」
最近ずーっと聞いている。
いつまでも恋していたいですか?(サワコ)
「あなたを」
「いやだ、ドキドキしてしまう」
感想;
舘ひろしさん、様々な役をやり演技の幅を広げられています。
尊敬できる人がいて、そしてその人を追いかけて付いていく、それはとても幸せなことなのでしょう。