幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「心に響く小さな5つの物語Ⅲ」藤尾秀昭著 ”自分の人生をよくするために”

2021-04-09 01:17:17 | 本の紹介
・山本有三著「路傍の石」
次野先生が少年吾一に語る言葉
 たったひとりしかない自分を
 たった一度しかない一生を
 ほんとうに生かさなかったら
 人間、生まれてきたかいがないじゃないか

・天野清三郎は15歳で松下村塾に入塾した。
 四つ年上の先輩に高杉晋作がいた。
 清三郎は晋作とよく行動を共にした。
 だが、清三郎は劣等感を覚えるようになる。
 晋作の機略縦横、あらゆる事態に的確に対処していく姿に、
 とても真似ができないと思い始めたのです。
 では、自分は何をもって世に立っていけばいいのか。
 清三郎の胸に刻まれているものがあった。
 「黒船を打ち負かすような軍艦を造らなければ日本は守れない」
 という松陰の言葉である。
 「そうだ、自分は手先が器用だ。船造りになって日本を守ろう」
 真の決意は行動を生む。
 24歳で脱藩しイギリスに密航、
 グラスゴー造船所で働くのである。
 そのうち、船造りの輪郭が飲み込めてくると、
 数学や物理学の知識が不可欠であることが分かってくる。
 彼は働きながら夜間学校に通い、三年で卒業する。
 当時の彼の語学力を思えば、その努力の凄まじさは、想像を超えるものがある。
 しかし、三年の学びではまだおぼつかない。
 さらに三年の延長を願い出るが、受け入れられない。
 そこで今度はアメリカに渡り、やはり造船所で働きながら、夜間学校で学ぶのだ。
 ここも三年で卒業する。
 彼が帰国したのは明治7(1874)年。31歳だった。
 清三郎は長崎造船所の初代所長になり、日本の造船業の礎となった。
 一念、まさに道を拓いた典型の人である。

・中村久子著「こころの手足」
「両手両足を切り落とされたこの体こそが、人間としてどう生きるかを教えてくれた最高最大の先生であった」
「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」

・ヘレン・ケラー
「小さい頃、私は母に励まされた。
 日本には幼い時に失明し、点字もない時代に努力して学問を積み、
 一流の学者になった塙保己一という人がいた。
 あなたも塙先生をお手本に頑張りなさい」

・佐藤一斉著『言志録』
《憤の一字、是れ進学の機関なり。「舜何人ぞ。予(われ)何人ぞ」とは、まさに是れ憤なり》

・孔子『論語』
《之(これ)を如何せん。之を如何せんといわざる者は、吾之を如何ともするなきのみ》

・藤井義雄作
「こころのスイッチ」
人間の目は ふしぎな 目
見ようという心がなかったら
見ていても見えない
人間の耳はふしぎな耳
聞こうという心がなかったら
聞いていても 聞こえない

頭も そうだ
はじめからよい頭 わるい頭の
区別があるのではないようだ
「よし やるぞ!」と
心のスイッチがはいると
頭も
すばらしい はたらきを しはじめる

心のスイッチが 人間を
つまらなくもし すばらしくもしていく
電灯のスイッチが
家の中を明るくもし 暗くもするように

・豊田佐吉翁の座有銘
「百忍千鍛事遂に全うす」

・京都大学元総長・平澤興の言葉
「夢を持て。
 希望を持て。
 夢を持たぬ人生は
 動物的に生きていても、
 人間的には死んでいる人生」

・坂村真民先生
よい本を読め
よい本によって己を作れ
心に美しい火を燃やし
人生は尊かったと叫ばしめよ

感想
塾のCMに自分のスイッチを入れるのがありました。
まさにやる気をどう高めるかです。
難しいのが、スイッチを入れる方法です。
よい本はスイッチを入れるきっかけを与えてくれるのだと思います。

誰かのために何かのために自分の人生を活用する。
それが見つかると大きなエネルギーになるのでしょう。