貞観政要は唐の二代目名君(太宗)のことをまとめたものです。
・太宗が側臣に向かって言った。
「君主たるの道というものは、必ずやまず民衆を憐れまなければならない。もし民衆を損なって、君主の身に奉仕させようとするのであれば、それは自分の股の肉を割いて自分で食うようなものだ。満腹になっても、死んでしまうであろう。もし天下を安泰にしようとするなら、君主は必ずまず自分の身を正すべきである。身が正しいのに影が曲がっていたり、上が治まっているのにしたが乱れたりすることは、いまだかってなかった。私はいつも、自分の身を損なう要因は外からのものにあるのではなく、災いはみな自分の欲望によって起こると思っている。」
・国を治めるのは木を植えるのと同じ
「木の根がしっかりしていれば、枝と葉は茂ものである。君主が静謐(静かで落ち着いていること)であれば、人民が安楽とならないはずがない」
・太宗は大臣たちに言った。
「人は己の姿を映そうとすれば、必ず鏡を使わねばならない。君主が己の過ちを知ろうとすれば、必ず忠臣の意見に頼らなければならない。君主が自分を賢者だと思い込めば、臣下は君主の過ちを止めようとはしなくなる。それでは、国が危うくならないようにと願っても、無理な相談というものだ。」
・国政には諫め役も同席
「正しい君主が邪悪な臣下を任用すれば、世を治めることはできない。正しい臣下が邪悪な君主に仕えても、やはり世を治めることはできない。ただ、君主と臣下が互いに調和し、魚と水のような関係になって、初めて国内は安泰となる。・・・汝らの正直で骨のある剛直な議論によって、天下の太平を実現しようではないか」。
・君主と臣下は一心同体
「そもそも君主と臣下は、国が治まっている時も乱れている時も、安泰な時も危急な時も、常に一心同体であるものだ。もし君主が忠義の諫めを聞き入れれば、臣下は正直な意見を進言するだろう」。
・「『礼記』には、『人を愛してもその人の欠点を知り、人を憎んでもその人の長所を知っているのが賢人だ』とあります。『詩経』の詩は、『君主が讒言する者を怒って斥ければ、混乱はすぐに治まる』と詠っています」。
・誠信という熟語は、日本語ではあまり聞かない誠も信も「まこと」と意であるが、誠は偽りや不純な混じ気がないこと、信は言葉と行動が食い違わないことである。
・誕生日は母を思う日
「母が生みの苦労をした日に、どうして祝賀の宴会を開けようか」。
感想;
こういう書物を紐解いて学び実践するトップと、真逆のことを平気でやるトップ、結果は大差です。
もし、国民がトップを選べるなら、おかしいと思ったらきちんと意思を伝えることなのでしょう。
そうしないと、おかしなことを国民も認めたことになります。
トップ周辺に「おかしい」という人がいない点も問題ですが。
国民のことよりも、ご自分の保身を考えておられるのでしょう。
会社でもおかしなトップ、おかしいということを言わないトップの周辺の人々、結果的に会社をダメにしてしまいます。
「会社はいつ道を踏み外すのか 経済事件10の深層」田中周紀著 ”経営者の踏み外しは影響大”
「失敗の本質 戦場のリーダシップ篇」 野中郁次郎編著 ”「不都合な真実」の直観”
「失敗の本質」 戸部良一著他 ”繰り返さないための取り組みが行われているか?”
「貞観政要のリーダー学」 守屋 洋著
帝王学の書物としては、「書経」、「貞観政要」の二冊だと言われている。
徳川家康もこの「貞観政要」を学んだと言われています。
江戸の終わりから明治の初めにかけて多くのリーダーが出て来ました。
何故こんなに日本を考える指導者がでてきたかは、多くの藩校などで、中国の古典(四書・五経)を教えていたからだとも言われています。
"大事は皆小事より起こる"
太宗(唐の二代目名君)が側近の者に語った。
貞観六年、太宗が側近の者に語った。
「あの孔子が、『国が危難に陥って滅びそうだというのに、だれも救おうとしない。これでは、なんのための重臣なのか』と語っている。
まことに臣下たる者は、君臣の義として、君主に過ちがあれば、これを正さなければならない。
わたしはかつて書を繙(ひもと)いたとき、夏の桀王が直言の士、関竜逢を殺し、
漢の景帝が忠臣の晁錯を誅殺したくだりまでくると、いつも読みかけの書を閉じて、しばし嘆息したものだった。
どうかそちたちは、おのれの信ずるところをはばからず直言し、政治の誤りを正してほしい。
わたしの意向に逆らったからといって、みだりに罰しないことを、あらためて申し渡しておく。
ところで、近ごろ、朝廷で政務を決裁するとき、法令違反に気づくことがある。
この程度のことは小事だとして、あえて見逃しているのであろうが、およそ天下の大事はすべてこのような小事に起因しているのである。
小事だからといって捨ておけば、大事が起こったときには、もはや手のつけようががない。国家が傾くのも、すべてこれが原因である。
隋の煬帝は暴虐の限りを尽くしたあげく、匹犬の手にかかって殺されたが、それを聞いても嘆き悲しんだ者はいなかったという。
どうかそちたちは、わたしに煬帝の二の舞いをさせないでほしい。わたしもまた、
そちたちに忠なるが故に誅殺された関竜逢や晃錯の二の舞いはさせないつもりである。
こうして君臣ともに終りをよくするなら、なんと素晴らしいことではないか。
「小学」
人は至愚なりと雖(いえど)も、人を責むれば明らかなり。聡明ありと雖も、己を恕(じょ)すればすなわち昏(くら)し
「論語」
君子は信ぜられて後に諫む。未だ信ぜられざれば、即ち以って己を謗るとなす
中国古典より人物鑑定法
1.顔つき
いい加減なことばかりしてきた者は顔つきにもそれが表れてくる。
2.発言
中身のない人間は埒もないことをしゃべる。
3.行動
今何をしているのか。さらにさかのぼって、今までどういうことをしてきたのか。
「論語」
その以ってする所(動機)を視、
その由る所(目的)を観、
その安んずる(落ち着く)所を察すれば、
焉(いずく)んぞ隠さんや。
李克(魏の重臣)の言葉
居ればその親しむ所を視(ふだんどんな相手と親しくしていたか)
富めればその与うる所を視(豊になったとき、どんな相手に与えたか)
達すればその挙ぐる所を視(高位についたとき、どんな相手を推挙したか)
窮すればその為さざる所を視(追いつめられたとき、不正なことに手を出さなかった)
貧しければその取らざる所を視る(貧しいとき、利益に飛びつかなかったか)
"神は細部に宿る"
この言葉を真似て、"大事は小事に宿る"として、一つひとつを大切にしたいと思います。
伝教大師最澄の言葉に「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」があります。
大きな成果の前には地道な一つひとつの小さなことの努力の積み重ねがあるのだと信じています。