・自殺でもしなきゃやってられないような世の中だけど、自分はなんだか図太くスイスイ生きているような気がして、自殺する人に引け目を感じているところもあります。自殺してしまった方には、お悔やみを申し上げますとしか言えませんが、自殺しようかどうしようか迷っている方は、できれば、自殺はやめて欲しいです。絶対、と言えないところがもどかしいのですが。こんなくだらない世の中で生きていたくない、死んでやるわいと自殺してしまう人は、それはそれできっぱりしていてかっこいいのですが、そんな世の中で、もがいたり苦しんだりしている人もかっこいいのです。
・母を飛び降り自殺で亡くした岡映里)
・うちの母は、うつ病のなかの三大妄想(お金がないと思い込む、「貧困妄想」、重い病気だと思い込む「心気妄想」、罪深い人間で罰せられなければならないと思い込む「罪業妄想」)の一つの、貧困妄想っていうのにかかっていたんだと思うんですよね。
・やっぱり、選択をすることは尊いことだから、その人の選択を尊重してあげたいですね。それが負けだとか、見苦しい死に方だとか、敗北だとかっていうと、その人そのものを否定しちゃうことになるから、それでよかったんだっていうふうに思ってあげるのが一番いいかなと思ってるんです。
・お母さんは、いのちの電話の相談員をされてたんですよね。
やってました。三年間ぐらいかな。その人がしんじゃったから・・・寒いギャグみたいですよね。
・死のうとしたとき、本気で止めてくれる人、自分をバッと抱きとめてくれて、なんで死にたいのかみたいなことを死にたい本人が話す、ある意味、心のなかをぶちまけることと、それを受け止めてくれる人が、その瞬間いた人って生きられるのかもしれないって言ってて、たぶんそうだなかって。
・岡さんは、誰かから「死にたい」と言われたら、どう答えますか。
「どうしてそう思うの?」って聞き返すのが、いまのところ一番効果があるのかなって思いますね。
・茂幸雄(東尋坊の用心棒)
・自殺を決心した人が、みんな助けてくれと言うんです。今日まで声を掛けた人599(2017年7月21日現在)人、みんな死ぬのは怖いって言ってるんです。
・よしわかった、ワシがなんとかしてやる。「ワシがなんとかしてやる」という言葉、誰も言わないでしょう。みんなあっちの法律事務所に行きなさい、どこどこの福祉課に行きなさいと言う。あっち行け~、こっち行け~と言われて来たんや。たらい回しですよ。こうしろああしろと言われても、私には能力ないから同伴してください、一緒に歩いてくださいというのが、その人たちの叫び声なんですよ。
・カウンセラーって何? 共感って何? その人の悩みごとにうまく共感できて受け止められたって? じゃあこうしなさいって具体的なこと言えますか? そんなもんで国家資格与えるの? それでいのち救えんの? ・・・共感できたらじっとしていられんって。死にたいんだよ。
・坂口恭平
・坂口式いのちの電話(今はいのっちの電話)は、本家のいのちの電話から「商標登録しているから勝手に名前を使わないでくれ」と訴えられたそうで、坂口さんからそれを聞いたとき、思わず笑ってしまいました。現実に絶望してい自殺しようとしている人を救うためのいのちの電話が、商標登録の侵害というものづごく現実的な訴えをしてくるということがおかしかったからです。
・岡檀
・岡さんが導き出した海部町の自殺予防因子は五つあります。そのなかの一つは、「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」ということです。
・もう一つ「『病』は市に出せ」という格言です。「病」とは病気のことだけでなく、生きていく上でのあらゆる悩みやトラブルを意味します。「市」は公開の場で、何か調子の悪いことがあれば早めにみんなに開示しなさい、そうすれば誰かが解決策を教えてくれる。
五つの因子(参考)
http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/activities/konwa/2017konwa_oka.pdf
1. 緊密過ぎない、ゆるやかな人間関係
2. 多様性を重視する
3. 人の評価は多角的に、長い目で
4. どうせ自分なんて、と考えない
5. 助けを求める、弱音を吐ける
・岩崎航(筋ジストロフィー、寝たきりの生活)
・どんな状況であれ人生を楽しめていれば、病は治っている。
・この病気の体を持ったまま生きていても将来がないというか、希望はないと思い込んでしまったんですよね。そのときに初めて、自分で死のうと思ったんです。でも、そのとき、このまま死んでしまったら、自分はなんのために生きてきたんだろうと、そういう気持ちが湧き上がってきて、なんて言ったらいいのか、いのちの奥底、存在の奥底から、怒りっていうと、ちょっと語弊があるかもしれないけど、突き上げるような、このままで死んでたまるかというような気持が、ふっと湧いてきたんですね。それが手掛かりになって、自殺するのをやめたんです。そこですっかり自分の気持ちが整理されたわけではなくて、そこからも葛藤があって、苦しんだり悩んだりしたんですけど、病気を含めての自分なんだ、そのままの自分で生きればいい、病を持ちながら生きればいいんだって、心から思うことができるようになっていったんですね。そうすると、人と比べるようなこともなくなっていって、病を含めての自分で生きるという気持ちが固まったとき、初めて自分の人生を生き始めたんだと思うんです。
・何かを表現することによって、こわばっていた心に血が通いだしたような、そういう感じになったんですね。そうやって詩を書くようになって、細々とブログに書いて出すということを続けていたんですけど、ごくたまに、感想のメールが届いたりするようになったんです。そのなかには。読んでとても助けられたとか、励まされたというような言葉があって、ほんとうにささやかなものだけど、誰かが見ていてくれている。で、まっすぐ受け止めてくれて、言葉を返してくれているということが、すごく僕のなかで励まされるといいますか、心を支えてもらっている。生きようとする気持ちをあと押ししてくれている。そういう気持ちになるんです。
・私が病を含めての自分として生きられていなかった時期のことですが、部屋に母といたとき、「僕にはもう夢も希望もないよ」って、私がボソッと言ったんです。愚痴というか恨みごとを言うために言ったわけじゃないんですけど、ふっと出たんですよね。そしたら母がボソッと、「お母さん悲しいな」って、たった一言、「お母さんは悲しいな」っていう言葉で答えてくれだんですね。
・・・その言葉もまた、ほんとうに心の底、いのちの底から思っている言葉で、それも祈りだと思うんです。
・私はたまたま日常的なことをツイッターで呟いたんです。私は24時間、介助を受けながら暮らしていて、日曜、祝日にもヘルパーさんに来ていただいて、助けていただいてるんです。そのこことについて、ほんとうにありがたいという気持ちを持っていて、そのことを素材に、ちょっと書いたんです。そうしたらそれを受けて、たぶん福祉関係の仕事をされている人ではないかと思うんですけれど、「そのために死んでます」という一言が返ってきたんです。介護の仕事をされてる方って、厳しい労働条件といいますか、大変な職場なんですね。私のような重度の人を介助するのであればなおさらです。そのことを知った上での感謝の気持ちがあったとしても、そういう刃のような言葉がパッと出てきて、私はすごくショックを受けてしまいました。だけど、やっぱりそれも現実の叫びの一行だと、まあ、時間が掛かりましたけれど、そういうふうに思い直したんですね。病気や障害をもつ人の命や生活を支える重要な仕事をしているのに、その内容に見合った処遇がされていないのは社会保障制度の大きな課題だと思います。
・岩崎航さんと健一(兄;同じ筋ジストロフィー)の詩画集「いのちの花、希望のうた」
・向谷地生良(べてるの家)
向谷地生良さんは、精神障害で入院した人たちを、病院という安住の場から、困難や苦労の多い社会生活の場に引き戻した張本人です。
・死にたい人たちって、死にたいわけじゃなくて、死にたいというある種の乗り物から降りられなくなっている人たちじゃないかと思いますね。
・大橋力という情報環境学の研究者が、「地球文明の危機」(稲盛和夫編)という本のなかで、なぜ自殺が起きるか、そのメカニズムについての説を書いているんです。
狩猟民族から農耕民族になって、科学文明になってくると、助け合いと協調をベースに設計されている人間の遺伝子のなかに、競争原理という文化が入ってくる。そうすると、助け合いと協調の遺伝子は「それじゃ無理して生きていかなくていいよ」って、絶滅スイッチというか、そういうものを遺伝子そのものが機能として持ってるって言うんですね。
・一つの成果を得るために、私たちはその100倍くらいの失敗や行き詰まりをコツコツと重ねています。
・弓指實治(母の自殺を自分のなかに取り込むため、三か月休まず絵を描き続けた画家)
・『挽歌』 https://www.asahi.com/articles/ASKD7571WKD7OIPE01Z.html
・『Oの慰霊』 岡本敏子賞 https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/13490
・自殺する人が好きだと書きましたが、それは自分と同質の人に対するシンパシーだと思います。僕にとっては大事な人なのです。だから死なないでください。死んだら会うことができません。忘れられていくだけです(僕は自殺した人のことは忘れませんが)。
感想;
「自殺」末井昭著 ”小学生に上がったころ、母が10歳年下の青年とダイナマイト自殺!”
自殺の選択肢はあるので、最後は本人の選択肢ですが、その前に何かできることがないか、やりたいことがないかを、いろいろな人の考えを知り、考えて欲しいと願います。
今でなくても、もっと後でも? 必ず状況は変わるので。
著者の「死なないでください」の思い。
頼ることは恥ずかしいことではなく、当たり前のことだと思います。
自殺しないといけないとすると、それは社会が政治が悪いのですから、それを変えるためにも生きていて欲しいです。
・母を飛び降り自殺で亡くした岡映里)
・うちの母は、うつ病のなかの三大妄想(お金がないと思い込む、「貧困妄想」、重い病気だと思い込む「心気妄想」、罪深い人間で罰せられなければならないと思い込む「罪業妄想」)の一つの、貧困妄想っていうのにかかっていたんだと思うんですよね。
・やっぱり、選択をすることは尊いことだから、その人の選択を尊重してあげたいですね。それが負けだとか、見苦しい死に方だとか、敗北だとかっていうと、その人そのものを否定しちゃうことになるから、それでよかったんだっていうふうに思ってあげるのが一番いいかなと思ってるんです。
・お母さんは、いのちの電話の相談員をされてたんですよね。
やってました。三年間ぐらいかな。その人がしんじゃったから・・・寒いギャグみたいですよね。
・死のうとしたとき、本気で止めてくれる人、自分をバッと抱きとめてくれて、なんで死にたいのかみたいなことを死にたい本人が話す、ある意味、心のなかをぶちまけることと、それを受け止めてくれる人が、その瞬間いた人って生きられるのかもしれないって言ってて、たぶんそうだなかって。
・岡さんは、誰かから「死にたい」と言われたら、どう答えますか。
「どうしてそう思うの?」って聞き返すのが、いまのところ一番効果があるのかなって思いますね。
・茂幸雄(東尋坊の用心棒)
・自殺を決心した人が、みんな助けてくれと言うんです。今日まで声を掛けた人599(2017年7月21日現在)人、みんな死ぬのは怖いって言ってるんです。
・よしわかった、ワシがなんとかしてやる。「ワシがなんとかしてやる」という言葉、誰も言わないでしょう。みんなあっちの法律事務所に行きなさい、どこどこの福祉課に行きなさいと言う。あっち行け~、こっち行け~と言われて来たんや。たらい回しですよ。こうしろああしろと言われても、私には能力ないから同伴してください、一緒に歩いてくださいというのが、その人たちの叫び声なんですよ。
・カウンセラーって何? 共感って何? その人の悩みごとにうまく共感できて受け止められたって? じゃあこうしなさいって具体的なこと言えますか? そんなもんで国家資格与えるの? それでいのち救えんの? ・・・共感できたらじっとしていられんって。死にたいんだよ。
・坂口恭平
・坂口式いのちの電話(今はいのっちの電話)は、本家のいのちの電話から「商標登録しているから勝手に名前を使わないでくれ」と訴えられたそうで、坂口さんからそれを聞いたとき、思わず笑ってしまいました。現実に絶望してい自殺しようとしている人を救うためのいのちの電話が、商標登録の侵害というものづごく現実的な訴えをしてくるということがおかしかったからです。
・岡檀
・岡さんが導き出した海部町の自殺予防因子は五つあります。そのなかの一つは、「いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい」ということです。
・もう一つ「『病』は市に出せ」という格言です。「病」とは病気のことだけでなく、生きていく上でのあらゆる悩みやトラブルを意味します。「市」は公開の場で、何か調子の悪いことがあれば早めにみんなに開示しなさい、そうすれば誰かが解決策を教えてくれる。
五つの因子(参考)
http://rci.nanzan-u.ac.jp/ISE/ja/activities/konwa/2017konwa_oka.pdf
1. 緊密過ぎない、ゆるやかな人間関係
2. 多様性を重視する
3. 人の評価は多角的に、長い目で
4. どうせ自分なんて、と考えない
5. 助けを求める、弱音を吐ける
・岩崎航(筋ジストロフィー、寝たきりの生活)
・どんな状況であれ人生を楽しめていれば、病は治っている。
・この病気の体を持ったまま生きていても将来がないというか、希望はないと思い込んでしまったんですよね。そのときに初めて、自分で死のうと思ったんです。でも、そのとき、このまま死んでしまったら、自分はなんのために生きてきたんだろうと、そういう気持ちが湧き上がってきて、なんて言ったらいいのか、いのちの奥底、存在の奥底から、怒りっていうと、ちょっと語弊があるかもしれないけど、突き上げるような、このままで死んでたまるかというような気持が、ふっと湧いてきたんですね。それが手掛かりになって、自殺するのをやめたんです。そこですっかり自分の気持ちが整理されたわけではなくて、そこからも葛藤があって、苦しんだり悩んだりしたんですけど、病気を含めての自分なんだ、そのままの自分で生きればいい、病を持ちながら生きればいいんだって、心から思うことができるようになっていったんですね。そうすると、人と比べるようなこともなくなっていって、病を含めての自分で生きるという気持ちが固まったとき、初めて自分の人生を生き始めたんだと思うんです。
・何かを表現することによって、こわばっていた心に血が通いだしたような、そういう感じになったんですね。そうやって詩を書くようになって、細々とブログに書いて出すということを続けていたんですけど、ごくたまに、感想のメールが届いたりするようになったんです。そのなかには。読んでとても助けられたとか、励まされたというような言葉があって、ほんとうにささやかなものだけど、誰かが見ていてくれている。で、まっすぐ受け止めてくれて、言葉を返してくれているということが、すごく僕のなかで励まされるといいますか、心を支えてもらっている。生きようとする気持ちをあと押ししてくれている。そういう気持ちになるんです。
・私が病を含めての自分として生きられていなかった時期のことですが、部屋に母といたとき、「僕にはもう夢も希望もないよ」って、私がボソッと言ったんです。愚痴というか恨みごとを言うために言ったわけじゃないんですけど、ふっと出たんですよね。そしたら母がボソッと、「お母さん悲しいな」って、たった一言、「お母さんは悲しいな」っていう言葉で答えてくれだんですね。
・・・その言葉もまた、ほんとうに心の底、いのちの底から思っている言葉で、それも祈りだと思うんです。
・私はたまたま日常的なことをツイッターで呟いたんです。私は24時間、介助を受けながら暮らしていて、日曜、祝日にもヘルパーさんに来ていただいて、助けていただいてるんです。そのこことについて、ほんとうにありがたいという気持ちを持っていて、そのことを素材に、ちょっと書いたんです。そうしたらそれを受けて、たぶん福祉関係の仕事をされている人ではないかと思うんですけれど、「そのために死んでます」という一言が返ってきたんです。介護の仕事をされてる方って、厳しい労働条件といいますか、大変な職場なんですね。私のような重度の人を介助するのであればなおさらです。そのことを知った上での感謝の気持ちがあったとしても、そういう刃のような言葉がパッと出てきて、私はすごくショックを受けてしまいました。だけど、やっぱりそれも現実の叫びの一行だと、まあ、時間が掛かりましたけれど、そういうふうに思い直したんですね。病気や障害をもつ人の命や生活を支える重要な仕事をしているのに、その内容に見合った処遇がされていないのは社会保障制度の大きな課題だと思います。
・岩崎航さんと健一(兄;同じ筋ジストロフィー)の詩画集「いのちの花、希望のうた」
・向谷地生良(べてるの家)
向谷地生良さんは、精神障害で入院した人たちを、病院という安住の場から、困難や苦労の多い社会生活の場に引き戻した張本人です。
・死にたい人たちって、死にたいわけじゃなくて、死にたいというある種の乗り物から降りられなくなっている人たちじゃないかと思いますね。
・大橋力という情報環境学の研究者が、「地球文明の危機」(稲盛和夫編)という本のなかで、なぜ自殺が起きるか、そのメカニズムについての説を書いているんです。
狩猟民族から農耕民族になって、科学文明になってくると、助け合いと協調をベースに設計されている人間の遺伝子のなかに、競争原理という文化が入ってくる。そうすると、助け合いと協調の遺伝子は「それじゃ無理して生きていかなくていいよ」って、絶滅スイッチというか、そういうものを遺伝子そのものが機能として持ってるって言うんですね。
・一つの成果を得るために、私たちはその100倍くらいの失敗や行き詰まりをコツコツと重ねています。
・弓指實治(母の自殺を自分のなかに取り込むため、三か月休まず絵を描き続けた画家)
・『挽歌』 https://www.asahi.com/articles/ASKD7571WKD7OIPE01Z.html
・『Oの慰霊』 岡本敏子賞 https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/13490
・自殺する人が好きだと書きましたが、それは自分と同質の人に対するシンパシーだと思います。僕にとっては大事な人なのです。だから死なないでください。死んだら会うことができません。忘れられていくだけです(僕は自殺した人のことは忘れませんが)。
感想;
「自殺」末井昭著 ”小学生に上がったころ、母が10歳年下の青年とダイナマイト自殺!”
自殺の選択肢はあるので、最後は本人の選択肢ですが、その前に何かできることがないか、やりたいことがないかを、いろいろな人の考えを知り、考えて欲しいと願います。
今でなくても、もっと後でも? 必ず状況は変わるので。
著者の「死なないでください」の思い。
頼ることは恥ずかしいことではなく、当たり前のことだと思います。
自殺しないといけないとすると、それは社会が政治が悪いのですから、それを変えるためにも生きていて欲しいです。