幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

校長就任1年で「中退率」半減 評判“最悪”だった都立高校をよみがえらせた名物校長の3年間 ”誰のためにこうどうするか? 校長の気持ちが生徒に伝わった”

2022-03-02 17:38:18 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/f5c5197f20c35905ff11f597883f0ae2f6b6f737 3/2(水) 10:00 AERA dot.
栗原卯田子さん/1976年、都立高校の数学科教員に採用後、都立水元高校、都立小石川中等教育学校、成城中学校・高等学校の校長を歴任

 2004年、教育困難校だった都立水元高校に校長として着任し、3年間で中退率を激減させた栗原卯田子先生。その後、中高一貫校になったばかりの都立小石川中等教育学校、そして私立の伝統校である成城中学校・高等学校を歴任。学校は違っても、生徒をよく観察し、生徒の意見に耳を傾けながら自分の考えをはっきりと述べる”卯田子流”で、数々の難題と向き合ってきた。2021年に退職し教師という重責から離れたが、栗原先生はやはり「先生」と呼ぶのが一番ふさわしい。4回に分けてお届けする集中連載、初回は「水元高校編」。

【写真】「あんな学校なくなったほうがいい」と言っていた地元商店街も、生徒との交流で見る目が変わった

*  *  *

 校長として勤めた17年間、栗原先生は毎朝校門に立って生徒を迎えた。そのきっかけとなったのが、2004年に校長に昇任してから初めて勤めた水元高校だ。

 水元高校は教育困難校と言われた荒れた学校で、中退率が都立全日制で一番高く、2割近くに達していた。地元の商店街に名刺を持って校長就任の挨拶にいくと「あそこの校長をやるの!あんたも大変だねえ」と言われるほど、評判も最悪だった。しかも3年後に閉校することが決まっており、3年間限定の校長就任だった。

「女では務まらないと思われていたのか、女性が管理職として就任するのは初めてでした。聞こえてきた水元高校の評判は確かに芳しくなかった。どういう生徒たちなのか、自分の目で確かめたいというのが、校門に立つきっかけでしたね」(栗原先生、以下同)

 赴任初日、案内してもらった校長室の前の廊下で目に飛び込んできたのは、長針が垂直にねじ曲げられた蓋のない時計。校内を見回るとトイレのドアが壊されて壁は陥没し、至るところに落書きがしてあった。荒れた校舎を見て「校長に昇任した」という高揚感は薄らぎ、「この学校で校長をやるんだ」と覚悟した。

 在校生徒との初対面となる始業式。体育館に行くと、生徒はみな床に座ったまま。「立たせているとどこかに行ってしまうから」だという。入学式を翌日に控えて1年生はまだおらず、2、3年の生徒は半分ほどしかいない。栗原先生が壇に上がっても車座になっておしゃべりし、前を向こうともしなかった。

「用意した式辞を取りやめて壇から下り、『おへそをこっちに向けなさい!』と、呼びかけました」

 ふり返った生徒に伝えたのは、三つのことだ。

「授業と、命と、財産を大事にしよう」

そう話し掛けると、生徒たちの視線が集まった。

「一生懸命授業に出たら、みんな卒業させてあげる、と約束しました。授業に出ても勉強がわからなければ、それは先生の責任だからとにかく授業に出ること、と。『命を大事にしよう』というのは、暴力事件も起きていたので、他人を傷つけてはいけないということを伝えたかった。自分だけでなくほかの人も大事だということをわかってほしかったのです」

「財産」とは生徒にとっての学校のこと。3年後には閉校し、取り壊される校舎だけれども、大切に使おうと訴えた。

◇ ◇

 教員との関係も、はじめはぎくしゃくした。初めての職員会議。会議室に入り、教員たちと向かい合う前面の席に腰掛けると、「校長の席はそこではない」と、古株の教員からクレームがついた。校長も教員と同じ並びに座るのだという。「職員会議は校長の責任で行うもので、全体を見渡せる席のほうがいい」。栗原先生がそう話すと、「水元高校では、これまでそういうしきたりでやってきた。教員の親睦を深めることが大事」と返された。

「職員会議は親睦会ですか、親睦は大切だから大いにやりましょう。でも職員会議は学校の方針を決める大事な場。親睦ではありません、と言いました」

 その教員は「撤回します」と引き下がり、栗原先生はそのまま席に座った。会議室は水を打ったように静まりかえった。

「私は、トップダウンは好きではありません。でも校長としての責任がある。ほかの学校でもそうでしたが、栗原が言うんじゃしょうがないな、という関係をつくるまでが大変でしたね」

 初年度に掲げた目標は「中退防止」だった。

 栗原先生は始業式の日から、校門に立って生徒を迎えた。8時半の始業時間になってもほとんどの生徒は来ず、10時過ぎにぞろぞろと登校してくる有り様だった。

 ある日、髪の毛を虹色に染めた生徒が「先生は本所から来たんだろう」と、粋がって話しかけてきた。教頭を務めていた前任の本所高校では、「茶髪ゼロ」の目標を立てて生活指導を行い、成果を出していた。そのうわさを聞きつけ「俺たちの髪も黒く染め直すつもりだろう」と言う。

「そんなことしないよ。それよりも遅刻のほうが問題。髪の毛の色は自分だけのことだけど、遅刻はほかの人に迷惑を掛けるから、そっちのほうを直そう」

 そう言うと、生徒は拍子抜けしたような顔になった。

「学校によって抱えている問題は違います。水元の場合、まず髪の毛はどうでもいい。朝起きて制服を着て、時間通り学校に行く。そのサイクルを作ることが先決でした」

毎朝校門に立ち「今日はいつもより早く来たね」「時間通りに来ると、いいことがあるよ」と声をかけていると、だんだん遅刻が減ってきた。生徒たちの励みになればと、欠席・遅刻・早退のない生徒に、1カ月ごとに、月間皆勤賞を渡すことを思いついた。

「賞といっても、校長室で手作りした賞状ですよ。だからあまりうれしくないかなと思ったら、それを集め出す生徒が増えてきたんです。俺は何枚たまった、と自慢げに言いに来る生徒もいました」

 着任当初「そこは校長の席ではない」と言い放った古株の先生は、そのうち栗原先生と一緒に校門に立ち、2人で向かい合って生徒を出迎えた。授業を抜け出す生徒を見つけると「授業を大事にするって約束したでしょう」と、連れ戻した。

◇ ◇

 校長室の扉はいつも開け放してあり、ときどき生徒がおしゃべりをしに訪れるようになった。ある日、腰にじゃらじゃらとチェーンを下げた生徒が校長室をのぞき込んでいる。「おいで」と校長室に呼んで、だらしなく緩めているネクタイを結び直した。「ほら、こっちのほうがかっこいいよ」と言うと、照れくさそうな顔をする。

「悪ぶっていたり粋がっていたりする生徒たちも、あどけない一面がある。家庭環境や周囲の環境など、生徒だけの問題ではないのです」

 経済的な事情を抱えていたり、そもそも親が子どもの教育に無関心だったりする家庭も多かった。

 生徒自身は卒業の単位を取得しているのに、授業料が振り込まれず、卒業が危うい生徒がいた。何度保護者に電話してもらちがあかず、栗原先生が出向いて父親に直談判することになった。ファミリーレストランで数時間にわたり説得した末、「あんたには負けたよ」と、誓約書へサインすることに同意させた。

 卒業式の日。壇上で祝辞を述べていると、体育館の入り口に仁王立ちしている男性の姿を見つけた。卒業式への誘いを「そんなところへ行けるか」と一蹴していた、あの父親だ。式が終了した後、「確かに授業料を受け取りましたよ」と声をかけると、「なかなかいい式辞だった」と、笑顔を見せてくれた。

 1年が終わるころに中退率は半減し、中退防止プロジェクトは結果を出しつつあった。

就任1年目の春休みには、長靴、レインコートにホースを持って、トイレ掃除のために登校した。

「いくら取り壊される校舎とはいえ、汚れたままにしておくと生徒の心が荒んでいくから」

 提案した時には渋っていた先生も大勢参加し、生徒までも加わって便器にブラシをかけ、落書きだらけの壁にペンキを塗り、壊れたドアを修繕した。

「掃除が終わった後は家庭科室で作った豚汁を、わいわいおしゃべりしながら食べました」

 学校の雰囲気は明らかに良くなっていた。

 2年目には地域貢献を目指し、「地域と連携するプロジェクト」を目標に掲げた。

「万引きが横行し、アルバイトすらさせてもらえない。あんな学校なくなったほうがいいと言われることもありました。地元の商店に職場体験をお願いしても、最初は断られました」

 美術部が商店街のシャッターに絵を描いたことをきっかけにして、商工会の会合に出席して職場体験の趣旨を説明し、他からも協力を得て、なんとか全員の受け入れ先を確保した。

「情報科の先生がパワーポイントの使い方を指導し、職場体験で学んだこと、今後の課題、自分の夢をスライドで作るという授業をおこなってくれました」

 職場体験を行った生徒の評判も良く、学校を見る目が変わりつつあった。近くの保育園児を文化祭に招いたりするなど積極的に交流を進め、地域に受け入れられるようになってきた。これら一連の活動が新聞で紹介され、生徒たちを喜ばせた。

 栗原先生がどうしても実現したかったのが、生徒全員に資格を取らせることだった。

「このままだと、彼らは何の資格もないままに卒業してしまいます。ほとんどの生徒が就職を希望しますが、履歴書にひとつだけでも資格を書かせてあげたかったのです」

 生徒たちの経済事情はさまざまなので、英語検定のようなお金がかかる資格は難しい。すると地元の消防署の署長から「普通救命講習」はどうかと無料で受けられる方策を提案された。

「命を大事にするという目標にもかなっているし、人の命を助ける救命講習なら地域貢献にもつながります」

 生徒たちは体操着を着て、AED操作などの講習を受けた。生徒が全員揃って真剣に取り組んでいる様子は、着任時には想像できない光景だった。

 講習の後、バスの中で倒れた乗客を、生徒が救助するという出来事があった。バスの中で、大声で騒いだり飲食をしたりしてかつては迷惑がられていた水元の生徒たちが起こした快挙だった。

 最終年の3年目に掲げた目標は、「自分で進路を決定する」という「進路実現」。生徒に「もう学校はなくなるんだから、相談するところがなくなるんだよ。自分の進路は自分で決めていこう」と、はっぱをかけた。

 すると、ここまで栗原先生と一緒にやってきた先生たちが動いた。4月1日から3月31日までの1年間の日付が入ったカレンダーが、教室一面に張り巡らされた。日付の要所要所に、「自分の思いを300字で書きましょう」「面接の練習をしましょう」と、生徒への指示が書き込んである。卒業式の日付にはクラス全員の名前が記されていた。誰一人取りこぼさずに卒業させるという、先生たちの意志の表れだった。

「着任した当初、先生たちはあきらめていました。生徒の自己肯定感も低かったけれども、一人ひとりの先生と面談すると、ほぼ全員が『できれば早く異動したい』と言いました。学校全体がマイナスに引っぱられて、どんよりとした空気が漂っていました。けれど3年間で雰囲気はすっかり変わりました」

 17.6%だった2003年度中退率(年度当初の在籍者数に対する年度内の退学者数の割合)は、2004年度8.4%、2005年度0.86%と激減。2007年3月4日の閉校式には地元の人も大勢集まった。東京都教育委員会から学校表彰を受けるという、おまけまで付いた。

 生徒全員の進路も決まり、栗原先生が3年間言い続けた「水元高校最後の卒業生として誇りを持ち、輝いて閉じよう」という、言葉通りの幕引きだった。

(文/柿崎明子)

○栗原卯田子/東京・中野区出身。1976年東京学芸大学大学院修了(教育学修士)後、東京都立高校の数学科教員に。八丈高校、小松川高校、本所高校などを経て、閉校が決まっていた水元高校(葛飾区)に最後の校長として着任。その後は中等教育学校を併設した小石川高校(文京区)の第20代校長として高校の最後を見届けつつ、並行して小石川中等教育学校の校長を6年間務めた。定年退職後、8年間にわたり成城中学校・高等学校(新宿区)の校長に就任し、男子伝統校を復活させた。

感想
組織はトップの考えと行動で変わるものですね。

栗原校長先生と一緒に過ごせた生徒さん、教員たちは貴重な学びをされたと思います。

勉強は誰のためでもない、自分のためだということを自覚していったのでしょう。

一緒にトイレ掃除をする。
やはり心の乱れは外に出ますから。
5Sをしっかりしていくことは大切ですね。
私の5Sは躾の代わりに精神です。
ルールに強制的に従うのではなく、自らが守りたいと思う気持ちがあるかどうかが大切だと思います。

栗原先生は生徒さんや教員たちの心に”希望”という苗木を植えられたように思います。
その苗木をどう、各自が育てていくか、栗原先生にとっても楽しみだと思います。

副編集長が不審死、女性記者がエレベーター内で射殺され…「プーチン批判」を続けたロシアの新聞社に起こったこと ”国のトップが殺人者!”

2022-03-02 10:28:08 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/c139b95e740a0353125adbce0833ca81cc0fb4c0 3/2(水) 6:12 文春オンライン
「プーチン大統領は別の世界に住んでいるようだ」政権に批判者が次々に殺害される…ロシアの“なぜ人々の声が届かないのか” から続く

「西側諸国はわが国に対し、経済分野で非友好的な手段を取るだけでなく、NATO主要国の首脳らはわが国について攻撃的な声明を出した」

 ウクライナ侵攻への対ロ経済制裁が西側諸国から発表されるや、ロシアのプーチン大統領は強く批難、核戦力を含む核抑止部隊を高度の警戒態勢に置くよう軍司令部に命じた。

 あまりに強引な侵攻にロシア国内でも大規模なデモが起こっているが、多くの人が逮捕されるなど、文字通りの“弾圧”が続いている。プーチン大統領にはなぜ、人々の声が届かないのか。ロシアにおける言論の自由について、池上彰氏『 速すぎるニュースをゆっくり解説します 』から、一部を抜粋して引用する(文春文庫、2019年3月刊 以下、年齢・肩書き等は本文のまま)。

◆◆◆

副編集長が不審死、記者が射殺…

 ロシアに、プーチン政権を批判し続けてきた新聞があります。「ノーバヤ・ガゼータ」(新しい新聞)という名前の新聞です。この新聞は、多くの記者の犠牲を出しながらも、政権批判という孤塁を守ってきました。

 言論の自由がなかったソ連が崩壊後、自由な言論活動をするメディアが次々に生まれましたが、プーチン政権になると共に、ロシアの放送局は次々に政権寄りの報道をするようになります。政権寄りでない放送局はプーチン政権に近い富豪によって買収され、批判しなくなります。新聞社も御用新聞ばかりになりました。

 それだけに「ノーバヤ・ガゼータ」は貴重な存在ですが、払った犠牲も大きなものです。これまでに5人もの記者が殺害されてきたからです。

 2003年には副編集長が不審死を遂げています。高熱を出してモスクワの病院に入院しましたが、顔の皮膚が剝げ、脱毛も始まり、呼吸困難となって死亡しました。

 当時は原因が不明でしたが、放射性タリウムを、何らかの方法で体内に入れられたためと見られています。放射性タリウムなど、普通の人が入手することは困難です。

 2006年には、女性記者のアンナ・ポリトコフスカヤ氏がアパートのエレベーター内で何者かに射殺されるという悲劇に見舞われました。

「彼女の書いた政権批判の記事以上に、暗殺によってロシアは大打撃を被った」
 この事件には、多くの人が衝撃を受けたのですが、プーチン大統領はポリトコフスカヤ記者の関係者にお悔やみを言うことは一切ありませんでした。普通ならば、とりあえずは「言論の自由に対する侵害だ」などと言うところでしょうが、「彼女の書いた政権批判の記事以上に、暗殺によってロシアは大打撃を被った」と言ってのけたのです。反政府のジャーナリストが殺害されるのは、プーチン政権を貶めようとする陰謀だというわけです。

 このポリトコフスカヤ氏以外にも、2009年には、同紙の顧問弁護士でチェチェンの人権問題に取り組んでいたスタニスラフ・マルケロフ氏と、彼を取材中だったアナスタシア・バブロワ記者が白昼の路上で射殺されています。

「ノーバヤ・ガゼータ」は、ソ連崩壊後の1993年に創刊。ソ連最後の大統領となったミハイル・ゴルバチョフも出資して話題になりました。週3回の発行で、発行部数は公称27万部という小さな新聞です。

 しかし、広告が激減し、苦しい経営が続いています。民間の新聞や放送局に広告を出している広告主に圧力をかけ、広告を出すのをやめさせる。気に食わないメディアを黙らせるには、これが一番有効な方法であることを、「ノーバヤ・ガゼータ」の悲劇は物語っています。ロシアから「言論の自由」の灯が消えかかっているのです。

「メディアを懲らしめる」はロシアだけではない
 ここまで読んでこられた読者は、私が何を言いたいか、もうおわかりですね。2015年、日本にも「メディアを懲らしめるには広告収入をなくせばいい」と発言した議員がいた件です。この議員が所属している政党の名前には「自由」と「民主」の言葉が入っています。自由で民主的な世の中が素晴らしいと思っている人たちの集まりのはずなのに、そうでない人もいたのですね。

 こういう人に想像してもらいたいことがあります。将来、再び政権交代が起きたときのことです。政権を取った政党の議員が、同じことを発言したら、どう思いますか? 

その政党の議員が「懲らしめる」対象として考えるメディアが、自分の愛読している新聞だったら、どうしますか? あってはならないことだとは思いませんか。

 状況が悪化しているのはロシアばかりではありません。次はトルコの状況です。

 2014年12月、トルコの警察当局は、トルコの大手新聞「ザマン」の編集長やテレビ局のプロデューサーらジャーナリストを中心に27人の身柄を拘束しました。

 大手新聞「ザマン」とは「時」という意味ですから、英語名にすれば「タイム」ですね。トルコを代表する高級紙ですが、エルドアン大統領が独裁色を強めるにつれ、政権批判を強めていました。

 エルドアン氏は、首相の任期中に大統領選挙に出て当選。トルコは首相が政治の実権を握り、大統領は象徴的な国家元首にすぎなかったのですが、エルドアン氏が大統領になるや、憲法を改正して、大統領に実権を集中させようとしています。これを批判的に報道する新聞記者たちは、次々に逮捕されます。

 政権からの攻勢に「ザマン」が苦しんでいるのは、編集長逮捕だけではありません。広告料収入の減少に見舞われているのです。

 エルドアン大統領による独裁色が濃くなると、これまで「ザマン」に広告を出していた企業が、次々に広告を取りやめるようになったのです。「ザマン」は高級紙ですから、読者にインテリや富裕層が多く、広告の媒体としては魅力です。

 それなのに、広告が減少。広告を出すと、紙面で一目瞭然ですから、政権側からの猛烈な嫌がらせにあうというのです。

 こうして、トルコの「表現の自由」は蝕まれているのです。2016年、ついに「ザマン」は政府の管理下におかれてしまいました。

「自由民主」の名の行方
「メディアを懲らしめるには、広告収入をなくせばいい」

 トルコのエルドアン政権は、まさにそれを実践しているのですね。

 そういえば安倍晋三首相は、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領と大変ウマが合うことで有名です。安倍首相の応援団を自任する自民党の若手議員たちは、ロシアやトルコに見習うべきだと考えているのでしょうか。

感想
政権を握っている人は、批判が怖いので、マスコミに圧力をかけるのでしょう。
さすが日本では、殺害まではありませんが、左遷させたり、降板させたりして書けなくしたり、発言できなくしたりしています。

芸能人も政府批判するとTVに出してもらえない、CM来ないで、政府に忖度しているたタレントも多いですが、生きるために魂を売ることも仕方がないのかもしれません。
あるいは政権のトップと同じで批判はよくないと思われているのかもしれません。

米クレジットカード大手、露金融機関を排除 ウクライナに寄付も ”ロシアではカードが使えなくなっている”

2022-03-02 03:41:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/b52ca52364ccb631c8b0fd94c7c712c3539b004b 3/1(火) 21:10 毎日新聞

 米クレジットカード大手のビザやマスターカードは1日までに、ロシアの複数の金融機関を決済網から排除したと発表した。米政府のロシアへの経済制裁に準ずるものとしている。

【図解】ロシア軍、侵攻の状況は

 ロイター通信によると、マスターカードは「規制当局と協力し、コンプライアンス義務を完全に順守していく」と声明を発表した。

 2社は制裁のほか、ウクライナの人道的支援のために、それぞれ200万ドル(2億3000万円)を寄付することも明らかにした。

 米欧は2月26日、ロシアの主要銀行を国際決済ネットワーク「国際銀行間通信協会(SWIFT)」から排除することに合意。米財務省は、ロシアのウクライナ侵攻に対する経済制裁として、米国の保有するロシア中央銀行の資産を凍結すると発表していた。【日下部元美】

感想
カードが使えなくなっているので、銀行から現金を引き下ろすのに長蛇の列とのことです。
かつルーブルがドルやユーロに対し価値が50%ほど下落しているとのことです。
ドルやユーロを持っていた人は、ルーブルに替えると50%Upになります。
国民も自己防衛対策が必要な時代になってきました。

ロシア国民の日常生活への影響が大きくなると、戦争反対の声も上がるでしょう。

小沢一郎氏 安倍晋三氏に「どこまで国を壊せば気が済むのか」 ”国よりも自分のために行動する安倍元首相”

2022-03-02 03:18:18 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/456ae132bdb712516d8d4d99fa46e8e35d6fb98a 3/1(火) 18:22 デイリースポーツ

 小沢一郎立憲民主党衆院議員が2月28日にツイッターに投稿し、自民党の安倍晋三元首相が「核共有」政策について日本でも議論すべきだとの考えを示したことについて、「この人物はどこまで国を壊せば気が済むのか」と批判した。

 小沢氏は「安倍氏、『核共有』政策に言及 議論の必要性提起」と安倍氏が27日にフジテレビの番組に出演した際の発言を報じる記事を引用。

 その上で「この人物はどこまで国を壊せば気が済むのか」と投稿し、「ついに核武装の必要性にまで言及。憲法を壊し核を配備すれば平和になると信じるレベル。救いようがない。被爆国の元首相としての見識も問われる。この国は、際限なき軍拡で破滅寸前まで行った。愚かな政治を繰り返してはならない」と安倍氏の発言に疑問符を付けた。

 安倍氏はテレビ番組に出演した際、北大西洋条約機構(NATO)加盟国の一部が採用している米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有」政策について日本でも議論すべきだとの考えを示した。ロシアのウクライナ侵攻を踏まえ「世界の安全がどのように守られているのか。現実の議論をタブー視してはならない」と述べた。

 もし、核共有政策を採用すれば、日本が堅持する非核三原則に反する。岸田文雄首相は28日の参院予算委員会で、「核共有」政策について「非核三原則を堅持する我が国の立場から考えて、認められない」と述べた。

感想
今も安倍元首相を支持した人は、後世で日本をダメにした首相としての評価も知ることはないでしょう。
盟友の山口敬之氏の準強姦の逮捕を停止させかつ起訴を取りやめさせています。
後援会にお金を支援してたった5千円で久兵衛のお寿司など通常ではありえない料金で招待しています。
多くの人がそのホテルに5千円で同じメニューでお願いしても当然拒否でした。

森友問題では虚偽、偽造、偽証、改ざん、公文書偽造など、犯罪行為があっても”忖度”で片付けました。
そして裁判は”認諾”で税金を使って、実態の明るみにでることを拒否しました。
それができたのは自公が議席をたくさん確保した、つまり国民が支持した結果なのです。
声をあげないとますますおかしくなってきます。
声を上げるのは選挙なんですが、野党が分裂で弱く、国民民主と維新は自民党と似た考えですから変わりません。
日本の平均賃金は韓国より下回っています。
ますますダメになっています。
茹でガエルみたいに気がついた時にはもう飛び出すエネルギーもなくなっています。
実際にはカエルは跳び出すそうですが、もしこのままだと、私たち国民はカエル以下になってしまいます。
今ならまだ飛び出せるのですが。

ロシア国営通信が「勝利記事」の予定稿を誤送信! その署名記事でバレた「プーチンの真の狙い」 ”プーチン大統領は立腹では?/責任者は処分?”

2022-03-02 02:50:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/039b40b07b5cb047e8ab1f3ad7433ed7c743b197 3/1(火) 21:16 クーリエ・ジャポン

ロシア国営メディアがなんとウクライナ侵攻についてあらかじめ準備していた記事を誤って配信していたことが発覚。すぐに削除されたが時すでに遅し。この大失態と、その内容から読み取れる「プーチンの頭の中」を、NHK『国際報道』前キャスターの池畑修平氏が読み解く。

【画像】削除されたけど時すでに遅し…ネットに残る「勝利記事」


侵攻48時間で「勝利宣言」のはずだった
メディアで働く者にとって、予定稿の誤送信や誤掲載は、悪夢だ。


予定稿とは、たとえば選挙での当選確実の報せなど、これから起きるとわかっている事象に備えてあらかじめ書いておく記事のこと。迅速な報道のために予定稿の準備は必要不可欠だが、ごく稀に、何らかの手違いで「フライング」が発生してしまう。

つまり、その事象がまだ起きていないのに、記事が出回ってしまうのだ。洋の東西を問わず、担当者たちの責任問題になる。

ロシアによるウクライナ侵攻が世界を揺るがせている真っただ中に、ロシア国営メディアで起きた誤配信が、はからずもプーチン大統領の真の狙いを明かしたとして関心を集めている。

RIAノーボスチ通信が2月26日午前8時(モスクワ時間)にウェブ上で掲載した「ロシアと新たな世界の到来」という署名記事だ。誤配信に気づいたノーボスチ通信はすぐに削除したが、その前に誰かがいち早く保存していた。

そこから世界に拡散されて、欧米のメディアでいま「プーチンの本音を代弁したものだ」と話題になっている。

最初の一文は、「我々の目の前で新たな世界が生まれている」。この大仰な出だしは、二つのことを雄弁に物語っている。

一つは、プーチン大統領がウクライナを侵攻すると決めた狙いが、東部の親ロシア派2地域の独立承認や「平和維持」といったローカルな現状変更ではなく、冷戦終結以降の国際秩序を変えようとするものであること。

もう一つは、ロシア政府としてはウクライナに攻め込んでから48時間ほどで、つまり記事の配信予定に設定した26日午前8時までに、首都キエフを陥落してゼレンスキー政権を崩壊させ、高らかに勝利を宣言できると踏んでいたこと。

だが、そうはならなかった。この原稿を執筆している日本時間3月1日午後の時点で、キエフはまだ持ちこたえており、すでにロシアとウクライナの停戦に向けた協議も実施された。ロシア軍は、予想外の苦戦を強いられているわけだ。

それはウクライナの兵士から一般市民まで祖国防衛のために激しく戦っていることと、ロシア兵たちの士気の低さが相まっての状況のようだ。実際、ネット上では、丸腰で戦車の前に立ちはだかるウクライナ国民、捕虜となって「実戦になるとは聞かされていなかった」と涙ながらに話すロシア兵らの映像が拡散している。

予定稿に見えるプーチンの「怨念」
誤って日の目を見てしまったRIAノーボスチ通信の署名記事は、改めてプーチン氏のウクライナに対する攻撃性の根底にある、怨念ともいえる強烈な思いを物語っている。それは、ロシアのルーツとされるキエフ公国がロシアと反目するのは「歴史に反する」という彼の主張だ。

たとえば、「ロシアはその一体性を回復している」、「ロシアは、大ロシア人たち、ベラルーシ人たち、小ロシア人たち(※ウクライナ人たちを指す)を統合することで、その本来の姿を取り戻している」、「プーチン大統領はウクライナ問題の解決を後世に委ねないという歴史的な責任があると訴えてきた」といった文章が並ぶ。

ここでいう「解決」とは、この記事を読む限り、ウクライナをロシアの側に引き戻すことを意味している。その背景として安全保障上の懸念も挙げられてはいるが、それより重要なのは「ロシアがその歴史的な基盤であるキエフ(公国)を失ったことの屈辱を晴らすこと」だとしている。

アングロ・サクソンへの敵意
記事は、中盤からロシアとウクライナ、そしてベラルーシの3ヵ国の一体性を強調しながら、「西側」を嘲笑している。「パリやベルリンで、モスクワがキエフを諦めると本気で信じた者はいたのか?」といった具合に。

とりわけ、「アングロ・サクソンたち」(プーチン氏の頭の中ではイギリスとアメリカのこと)への敵意が溢れかえり、ロシアからの天然ガスに強く依存するドイツを英米から引き離したいという思惑が示されている。

「東西ドイツ統一はロシアの善意のおかげで実現した」、「ヨーロッパの統合というドイツの計画は、アングロ・サクソンのイデオロギーや軍事的・地政学的な旧世界(※西ヨーロッパを指すか)に対するコントロールが維持されることと相いれない」、「アングロ・サクソンたちがヨーロッパをロシアとの対決に引きずり込んでいるのは、中国との亀裂をもたらそうとしているのと同様、ヨーロッパの独立の機会を奪っている」といった主張が続く。

興味深いことに、記事全体を通じてアメリカやイギリスという国名は一度も登場せず、ひたすら「アングロ・サクソンたち」と連呼されている。NATO(北大西洋条約機構)という安全保障上の結びつきや経済的なつながりをできるだけ想起させず、「ヨーロッパ大陸のお前らと英米の連中は民族的に異なるはずだ」という囁きが目立つ。

そうしたロジックがドイツ人やフランス人にどれだけ響くのかは、日本人には判断が難しい。しかし、独仏両国を含めて、ロシアに対する抗議デモの広がりを見ると、効果は限定的のようにも思える。

経済制裁には強気で出るが…
クレムリンと事前に擦り合わせて書かれたに違いないこの記事は、欧米諸国から制裁は不可避であることにも触れているが、それでも強気の言葉が並ぶ。

「西側は、自分たちとの(経済的な)つながりがロシアにとって死活的に重要だと考えているが、かなり以前からそうではなくなった。世界は変わったのだ」
「西側からのロシアに対する圧力は何も生み出さない」
「ロシアは(制裁に)心理的にも地政学的にも準備ができている」


「地政学的にも準備ができている」というのは、今回の侵攻の前に中国から一定の支援を受ける約束を取り付けたことを示唆している。実際、2月24日(軍事侵攻が始まった日だ)に中国政府はロシアからの小麦輸入を拡大すると発表している。

一方で、欧米や日本などがロシアの一部の銀行を国際決済システムSWIFTから締め出すと決定した金融制裁をめぐっては、中国がロシアに抜け穴を提供するという動きは見せていないとの報道もある。 

あらかじめ記事を書いた時点で、執筆者も、記事の内容を入念にチェックしたであろうクレムリンも、制裁措置に対して持ちこたえるには中国をはじめアメリカと一定の距離を置く国々から侵攻への理解を取り付けることが必要だと考えていたのであろう。記事は、こう締めくくられている。

「中国やインド、南米やアフリカ、イスラム諸国や東南アジアは、西側が世界秩序をリードしているとはもちろん、ゲームのルールを定めているとも考えていない。ロシアは西側に挑戦したのみならず、西側による世界覇権の時代が完全かつ最終的に終わったとみなせることを示した。新たな世界は、すべての文明と力によって形成される。それは西側のルールや条件に基づくものではない」

予定稿が誤って掲載されてしまうのは、それだけでも大きな問題ではあるのだが、その後、結果的に予定稿のとおりに事態が進めば「人的ミスによるフライングでした」と取り繕うことも可能だ(決して褒められた態度ではないが)。

だが、事態が予定稿とは異なる方向に進むと、問題は一段と深刻になる。フライングの上に誤報だからだ。

RIAノーボスチ通信のこの署名記事は、後者になることを望む。

感想
クリミアの承認と東2州の占領/支配が目的かと思っていましたが、ウクライナ自体の実質的な併合(ベラルーシのように)が目的だったようです。

この誤報が今後にどのような影響を与えるか。
どちらにしても首都キエフが持ちこたえるかどうか、大統領が暗殺されないかが今後の抵抗の分水嶺になるのではないでしょうか。