幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「水野源三精選詩集 我が恵み汝に足れり」森下辰衛選 ”感謝と祈りの日々”

2022-03-13 13:00:33 | 本の紹介
水野源三1937年1月2日 - 1984年2月6日)は日本の詩人。
概要ウイキペディアより
長野県埴科郡坂城町に生まれる。9歳の時赤痢に罹りその高熱によって脳性麻痺を起こし、やがて目と耳の機能以外のすべてを失った。話すことも書くことも出来なくなったが、母親が何とか彼と意思の疎通をしようと五十音順を指で指し示したところ、目の動きで応答した。これが47歳で死去するまでの彼の唯一のコミュニケーション能力となる。「瞬きの詩人」と呼ばれるようになったのはそのためである。
病気になってから4年目の12才の時、町の教会の宮尾牧師が訪れ、聖書を置いていった。それを母に頁をめくってもらい、丹念に読んだ源三は、やがてクリスチャンとなる。18歳の時からは詩作を開始し多くの作品を生み出す。その詩風は神への喜びを表す純粋な詩であったという。

・今日一日も 足音で始まる 
 新聞配達の足音
 牛乳配達の足音
 郵便配達の足音
 今日一日の 霊の糧を 与えてくださる 
 主の足音

一日生きることは、一日誰かの世話になること。
立ちあがることも、話すこともできず、ただ今日も人の世話になって生きている源三さんが、その耳を澄まして私たちの足音を聴いていてくれたのです。そしてそのそれぞれの足音の向こうに真理を運ぶ主の足音を聴いていたのです。
 神様からのタラントンを預けられ、それを決して埋めてはならないと詩を書き続けた源三さん、その詩をなんとか多くの人に届けたいと祈りつつ投稿し続けた家族の愛、信仰の友の祈りご励まし・・・。それらが皆凝縮したものがこの詩集なのです。
・不思議です
不思議です。不思議です。
今なお生かされていることが
悲しみや 苦しみを耐えてこられたことが
主の信仰をたもちこられたことが
天のお父様に
ただ感謝するのみです

・ただ感謝するだけ
私は
家族

主のために
何もできない


家族の豊かな愛を
ただ感謝するだけ
ただ感謝するだけ

・母よありがとう
私の手となり 足となり
悲しみ 苦しみを
一緒になってくれた

源三を み国へ送ってから
ゆきたいと
いつもはなしていた

先にゆくのが
すまないと言って
早春の朝
み国へ召されてしまった


・祈り
母が天に召されてから
四度目の
三月の朝
母の
祈りは
まだ聞かれない
私も
祈る
母のように

・神様
三十三年前に
脳性麻痺になった時は
神様を恨みました
それがキリストの愛に
触れるためだと知り
感謝と喜びに変わりました

・支えられて
明日は
母の命日
母が死ねば
生きられないと思ったのに
あれからもう六年
家族の
やさしさに支えられ
多くの方々の
祈りに支えられて

・生きる
神さまの
大きな両手の中で
かたつむりは
かたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は
雨蛙らしく鳴き
神さまの
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる

・しゃべれない書けない
私の
まばたきを見て
一字一字を拾って
詩を書いてもらう

一つの詩を書くのに
十分 二十分 三十分
妹の愛と忍耐によって
一つ二つ三つの詩が生まれる
神さまに
愛されて
生かされている
喜びと感謝を
詩に歌い続ける

感想
感謝と祈りの日々から生み出された詩の一つひとつ。
人は他の人と比較するから不幸になると言われています。
神さまから与えられたものをどう生かすか。
それを考えるところを、「なぜ神様、私には少ししか与えて下さらないのですか?」と言って、
自分ができないのは神様からの与えが少ないせいだと言っているようです。

わかっていても、他の人がまぶしく見えてしまいます。
話せる、聴ける、書ける、歩けるだけでもすごいことだということを忘れています。
それを失くした時にその有難さに気づくのでしょう。
失くす前に気づきたいです。

人と比較せず、自分が出来ることをする。
それがどれだけありがたいことかと。

「花の冠」 大越 桂著 神様からの使命を受けて

”強い子” 障害を持った子がお母さんにお話を創りました
”強い子のビデオ”

「精神科医がすすめる疲れにくい生き方」 “自慈心を持つ!”

2022-03-13 03:34:00 | 本の紹介
・私は24歳で医師免許を取得し、6年間にわたり臨床医として総合病院や精神科病院で診療に従事しました。
しかしその頃の私は、人の健康を支えたいと思いながらも自分自身が仕事に忙殺され、取れない疲れや日々押し寄せるストレスを常に抱えていました。「薬物療法」、つまりお薬を処方することが医師の仕事の大部分という、当時の精神医療の在り方に対する疑問も心の迷いに拍車をかけました。
そんな私は、40代となった今もクリニックで精神科医として治療を続けていますが、20代の頃よりもずっと「疲れにくい生き方」を選択できていると感じます。
そのきっかけの一つが、「禅僧になる」という道を選んだことだと思っています。

・心の疲れは脳の疲れ
疲れ   身体の疲れ
     脳の疲れ    ネガティブな感情によるもの(感情を統制しているのも脳だから)
             マルチタスクによるもの(複数の仕事を同時にこなしている)

・「わからないから疲れている」のです。疲れを適切に対処するためにはまずはその疲れの本質に気付く必要があります。

・自分の内側で起こっている様々な現象に気づく能力を育んでいけば、疲れにくい生き方が選択できるということです。

・「疲れにくい人」はストレスが発生しても上手に受け流すことができるあるいはストレスを自分の成長の糧に変える力を持っている人と言えます。一方で、「疲れやすい人」は、小さなミスにも大きなストレスを感じてしまったり、心の中で自分を責めてしまうなど、疲れを蓄積させるような考え方の傾向を持っています。

・興味の喪失の症状を「アンヘドニア」といいます。ヘドニアとはギリシャ語で「感覚的な快楽」のことです。アンは否定的な意味ですから、アンヘドニアは快楽を感じない状態、という心の症状を指します。

・自分に対して思いやりの心をもつことが、疲れない生き方の秘訣であるということを最初にお伝えしたいと思います。

・辛い、悲しい感情に蓋をして無理やりポジティブに考えるのではなく、ネガティブな感情をきちんと受け取って、向き合い、乗り越えたとき、私たちは自然とポジティブに考えられるようになるのです。

・悲しんでいるということ自体が回復の過程であり、しっかりとその感情をうけとってあげることで、自らが少しずつ癒されてゆくということを知っておいていただきたいと思います。

・仏教の修行においては、「行入(ぎょうにゅう)」と「理入(りにゅう)」という考え方があります。行動から入る手法が行入で、理論から入るのが理入です。

・行動を変えてみるのはもちろんのこと、発言の内容にひと工夫加えることで、言葉の力を借りて自己暗示的に、考え方の偏向を柔軟なものにしていく方法です。

・認知のゆがみ10パターン
1) 全か無か思考
2) 一般化しすぎ
3) 心のフィルタ―
4) マイナス化思考
5) 結論の飛躍
6) 誇大視と過小評価
7) 感情的きめつけ
8) べき思考
9) レッテル張り
10) 自己関連付け

・自己肯定感が十分に育まれていないと、感情に対する防御力が非常に弱い可能性があるのです。

・大切なことは「自己肯定感はいつからでも、何歳からでも育むことができる」ということです。

・(自己肯定感を育むには)自分のためだけの時間に自己投資する。

・本当に自分らしい生き方を楽しんでいる方々は、皆さん共通して利他の心に富んでいるように感じます。

・日本の大乗仏教には「自利利他円満」という言葉があります。
自利とは、自分のことを大事にしたり癒してあげたりといった、「自己を利する心」を意味します。利他は読んで字のごとく、「他者を利する心」です。つまり仏教の考え方では、自分に利益を与えることと、他者に利益を与えることは表裏一体であり、双方が満たされてはじめて円満と言えることを示しています。

・真に「自分らしい生き方」ができているという人とは、周囲のご縁のある人たちや社会に対する貢献をすることで、その人から感謝してもらえる体験をたくさん持っていますが、その根底には「それをしていることが楽しい」という思いが必ず存在しています。

・SNSの世界を飛び交う新しい情報と上手に付き合うために心がけているのが、「中道」とい仏教の考え方です。
中道とは、そのまま訳せば「偏らない生き方」ということになります。

・「気づく」という力が低下すると、自分の感情にも気づくことが難しくなってしまいます。これが現代人に増えている「失感情症」と呼ばれる心の性質で、別名をアレキシサイミアといいます。

・気づく能力を高めれば、疲れにくくなる
私たちは自分の疲れに気づかなければ、それを軽減させようとか、休ませてあげようとは思いつきません。つまり疲れを知ることができなければ、疲れを解消させることもできないのです。

・自分を肯定的に受け容れる力「自己肯定感」が備わっていれば、仕事やトラブルが発生したり、防ぐことができなかったとしても、冷静さを保ちながら客観的に冷静に、事実に基づいた分析をすることができるでしょう。

・どんなことに対しても、最終的に自分を責める考えに到達してしまうのが、自己肯定感が不足している人の特徴です。

・私たちの自己肯定感を支えてくれるのが、自慈心です。自慈心は近年心理学の分野で大変注目されている概念で、欧米では「セルフ・コンパッション」と呼ばれる心の要素なのです。
自己肯定感を育むためには、自分も他者も区別なく認めてあげることが大切とお話ししました。でもそのためには、自分も他人と同じように扱えるようにならなければなりません。自分にだけ厳しい評価をして「俺はダメな奴だ」「自分はもっと頑張らなければいけない」と考えてしまうのは、自分をいじめているのと一緒なのです。
自慈心とは、自分自身の存在に対しての思いやりの心を意味します。言い換えれば、自分も(他人と同じように)大切である、素晴らしい存在であると自らに慈しみを向け、自己存在を全面的に認めてあげることです。

・自慈心は自尊心(他人の評価が含まれる)と全く異なり、他人の視点からは完全に自由です。状況がどう変わろうと、相手が自分に下す評価がどのようなものであっても、決して揺らぐということはありません。

感想
疲れに気づくこと。
疲れに気づいたら休ませてあげること。
それができないとその疲れが心と身体を蝕んでしまうのでしょう。
心と身体が悲鳴を上げる前に気づいた上げることが大切だと著者は言われています。
それと合わせて、自己肯定感を高め、自慈心を持つことでストレスに抗する力も高まるとのことです。

ありのままの自分を受け容れて認めてあげる。
失敗しても「よく頑張ったなあ」とほめてあげる。

そして出来れば、瀬戸内寂聴さんがよく言われていた「亡己利他」の考えを持ちできる範囲で実践していくことが結果として自利につながるようです。
「情けは人の為ならず」まさに自分のためでもあるのです。

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