・哲学対話は、日本だけでなく全世界で行われている。
学校などで行われる子どもとの哲学は、哲学対話という名前よりも「P4C(Philosophy for Children)」という名称のほうが一般的だ。
・ある小学校で哲学の授業をしたとき子どもたちに、考えてみたい問いを紙に書いてもらった。全国どこでも相変わらず小学生に人気なのは「なぜひとは生きているのか?」「死んだらどうなるのか」「人間とは何か」で、年齢が上がっていくと「本当の友だちとはなにか」「なぜ目上のひとは敬わなければならないのか」など、人間関係の問いに入っていくのが面白い。高校生や大学生になると「責任とは何か」「平等であることは可能か」など、社会正義の問題へ集中し、社会人になれば「なぜ人間関係はつらいのか」など、人生に対する疲労が見え隠れする。
・ひとが集まって話すとなると、共感しあって終わるか、もしくは闘争するか、そのどちらかと思われがちだ。だが、弁証法はそれらと全く異なる。弁証法は、異なる意見を前にして、自暴自棄に自身の意見を捨て去ることではない。ただ単に違いを確かめて、自分の輪郭を浮かび上がらせるのでもない。異なる意見を引き受けて、さらに答えを刷新することだ。
・スマホを取り出そうとバッグをのぞき込んだら、持ち物が茶碗蒸しまみれになっていた。
財布も。
MacBook Airも。
使い古された雑誌も、このあと提出する大事な書類も、とにかくすべてが。
卵だ。卵だらけだ。
理由はすぐに思い当たった。研究室で隠れて食べようとコンビニで買っておいた茶碗蒸しがバックの中で破裂していたのだ。
・高校生のとき、当たる心理テストがあると友だちが言った。
「まず紙に1から5を書いて」
友だちはうれしそうに、わたしを含む3人に指示をし、わたしたちはいそいそと単語帳やプリント、教科書の空白部分に数字を書き込んだ。
「1と3の横に、異性の名前を書いて。2は自分の知っているひとの名前、4と5は頭に浮かんだ曲の名前を書いて。本当にやばい、まじで当たるから。書いた?」
「えー! ちょっと待って」
「直観でいいから、考えちゃだめ」
鞄を膝にのせ、足を組んで大人っぽく微笑む友だち。嫌味のない笑顔ができる彼女は、きっと大蛾に入ったら人気者なはずだ。
「できた? じゃあ答えを発表します。1が、あなたが恋しているひと。3が、恋したけど、叶わないひと。2が幸せをもたらしてくれる人!」
2人は、わあっと声をあげ、きゃあきゃあと言いながら手で自分の回答を隠している。最近気になる彼の名前をかいたのだろう。
「それでね、4が愛しているひとを表す曲で、5があなたの人生を表す曲なんだって。どう?」
急に静かになったなと目をやると、友人らは感動のあまりあおざめていた。
・小学校で子どもたちが考えたい問いとしていちばん挙がるのはいつも「生きる意味」なのだ。
最初の発言者は、「ひとに生きる意味なんねえよ!」と叫んだ少年だった。・・・
しばらく皆が考え込んでいると、別の少年がしみじみした空気を切りさくように「たしかに人生に意味はないよ、でも生きる意味をつくっていくのが人生じゃん」と反論した。
「あなたがたが生きる以前に生は無である。しかし、これに意味を与えるのはあなたがたであり、あなたがたの選ぶ意味意外において価値というものはない」
サルトルの言葉をどうしても思い出してしまう。人生に意味なんてないからこそ、意味を見つけていくことが可能なんだという逆説。・・・
少年の向かいに座る少女がふと「でもさあ、死ぬからいきるんじゃん」とつぶやいた。
「変な言い方だけど、死ぬために生きてるんだよ」
なんだよそれ、とか、変なの、と子どもたちはぽたぽたと言葉を落としていく。
感想;
「なぜひとは生きているのか?」「死んだらどうなるのか」「人間とは何か」
小学生に人気のテーマとか。大人でも答えは難しいです。
話し合いをすることが良いのでしょう。
いろいろな意見があることを知る。
そしてまた考える。
「生きる意味」を考えるのにロゴセラピーは参考になると思います。