ビルケナウ 煙突から数メートルの高さに不気味な煙。あそこからお友達が天国に上っている。
『夜と霧』に強制収容所の体験。死体の山。
フランクルの家族も収容所で命を落とした。彼らが生きてきたことは無駄だったのか? どんな意味があったのか? フランクルのずーっと考えてきたテーマ。
4歳のとき、自分もいつか死なないといけないということで初めて気づき大きな衝撃を受けた。
生きることに何の意味があるのだろうか?
人生の意味が少なくなっていってもずーっと考えてきた。
死ぬのは怖いですか?
怖くない。(フランクル)
大きな意味で正しいことをしなかったらそのことを悔いる。(フランクル)
フランクルの死生観について考える。
人生という「砂時計」
フランクルは死をよく考えた人。
私たちは「死を考えない」生き方をしているかもしれない。
フランクルは父親、母親、妻を失い、過酷な試練。フランクルは死をどう考えたか。
フランクルは「何のために生きているのだろう?」ち常に考え続けた。
強制所の中でも、何百、何千の人の死を見てきた。
それがフランクルも大きく影響を受けた。
砂時計の上にはいろいろな可能性という砂を持っている。
人の人生を砂時計に例えた。
上にはこれからの未来がある。それはこれから起きること。
砂時計の狭い部分を通って。
下には狭い部分を通過した砂。
この狭い部分を現在を示している。
私は何千何百、どの砂粒を下に落とすかの選択肢がある。
フランクルは「そのとき、どうするかの決断の自由の場がある」という。
強制収容所には自由がないように思えるが、何かをする自由がなくても、精神はどうするかの自由がある。
砂粒が下に落ちたときに永遠のものになる。どう自分が対処するか。
自分の選択の結果が下に残る。
下に凝固剤が入っているように、落ちたままの形は変わらない。
永遠に保存されているものだとの考え。
大切にとっておかれる。
永遠に残るというのが興味深いところだが?
その人の過去、生き様が消えずにあると思うと、救われる気持ちになる。
残るだけでなく、それを思い出す人がいなくても、事実として永遠に残される。
何百万人がホロコーストで殺された。一人ひとりの名前があり、生きたんだと。
ホロコーストでなくても、死んでいった多くの人がいてその事実は残る。
一度起きたことはなかったことにできない。
フランクルは多くの死を見てきたので、一人ひとりのいのちは大切だと。
その事実が尊い。
できれば価値のあるものを砂時計の下に落とす。
何をやっても自由だと。
ヒットラーのように何百万人を殺す。
お母さんは子ども三人育て、ガス室で殺される。
その自由に価値があるか。
一瞬一瞬を価値のある生き方をしたい。
フランクルが一人生き帰った。
なぜ自分一人が生き残らなければいけないのか。
死んだ人を無駄にしないをフランクルは大切にしたいと。
死んだ人の分まで。
日めくりカレンダーの例え
過ぎ去った日を元に戻すことはできない。
日めくりカレンダーが毎日残りが薄くなっているを見ている人。
カレンダーから切り取ったカレンダーを積み重ねている人。
そのカレンダーの裏にメモを書いていく。
フランクルはカレンダーの裏に楽しいこと、辛いことを、一日一日を大切にしたいとの思い出日めくりカレンダーの例えを使った。
「今日も一日終わったな」と感謝の気持ちで過ごす。
相談に来る人で、「嫌なことばかり」と言う。
毎日良かったことを5つ書いてください。
次回来たとき、何もありませんと。
朝のお茶が美味しかったなど。
その練習をしていくと、自分の時間の使い方が深まっていく。
感謝して生きると、人生の生き方が変わってくる。
高齢の方、人の世話になる。
生きていても仕方がない。
そんな人にも良かったことを5つ書いてもらう。
何もなかった人が見方が変わる。
まなざしが変わってくる。
感謝の気持ちを持つことができれば、介護されている高齢者でも人生が変わって行く。
ウィーンで講演したとき、「憎しみを感じない。感謝の気持ち」を感じるとフランクルは話した。
憎しみで生きる人、それが爆発する人もいる。
「悪の鎖」はどこかで断ち切らないといけない。
あなたがやりなさいではなく、自分がやらないとそれが終わらない。
世界中の見ても、カザの出来事も、暴力でやられたら仕返しをする。
それは次の悪の鎖が出来てくる。
自分たちは関係ないと思うのではなく、悪の鎖を断ち切った人が居たと。
例外的な人かもしれないが。
人が生まれたきたくさんの可能性が詰まっている。
残された砂が少なくなると悲観的になる人が多い。
その人は収穫が終わりに近づいている畑を見ている。
その人は収穫を終えた納屋のたくさんの収穫物を見ていない。
刈り取り機から見ていると、どんどん減っていくこれから刈り取られる農作物を見ている。
収穫されたものを見ていない。
こんなにたくさんの収穫物があるじゃない。
それを見てもらうのは力になる。
楽しいことがないということはないはず。
日々それを見つける実践。
フランクル的な人生の見方、それで一瞬一瞬が変わってくる。
シニアの合唱団をやっている。
私は甘やかさずに厳しくやっている。
皆厳しいと言うが、楽しくやっている。
三部合唱もやる。
自分がどう自覚するかによる。
一瞬が大切である。
人間は有限である。
それがつながっている。
終りがなければ、この番組も今ではなく50年後にやろうと考えるかもしれない。
有限だと今の時間を大切にしようとする。
砂時計の何を落とすが大切になる。
実存主義。
今も過去もない。
フランクルはそれに過去は収穫物と考えた。
今という時間を大切にする。
砂時計のイメージはわかりやすい。
まさに今どの砂を落とすか。
人生より大きな、地球環境がずーっと続くと考えると地球を大切にしない。
死を考えることで今をより良くする。
砂時計の上の砂がなくなるとそれが死。
自分が過去としてある。
人は一瞬一瞬の行動で自分を作り続けている。
死んだときにすべてが定まる。
人間は死ぬことで世界の中に出される。
死で人生が完成する。
その人自身がはっきり出てくる。
本人はわからない。
亡くなってその人の人柄がわかる。
人は死によって完成される。
それなら必ず訪れる死をどう考えるか。
死は寝ている子を優しく目覚めさせる母親の行為。
どんなに優しく手が触れてもそれを感じることはできない。
死とは精神的次元からみると完結させるもの。
死とは冷たい手が永遠の眠りに連れて行くのが一般的なイメージ。
フランクルが強制収容所で書いた戯曲がある。
ジャガイモ盗んで食べた。その人は暴力を受けて殺される。
それを天国から見ている母親がいる。
天使に頼んで自分のところに子を呼び寄せる。
辛いことからの解放とのひとつの見方。
それも一瞬一瞬を大切にすることに繋がる。
自ら死ぬことを肯定するようにも聞こえるがそういう意味でない。
死によって新しく生きることに繋がる。
この世に生まれるのが神様からの贈り物と考えると、終わりが悪で終わらせていけない。
どう生きているか、その積み重ねが死。
人生からの最後の問いかけ。
どういう人生を創りたいか。
どんな人間にも何か使命を与えられている。
どんなミッションを与えられているかわからない。
ウィーン中央墓地、ここにフランクルは眠っている。
フランクルが大切にしていた一つは登山。
輝く日々それが過ぎ去ったのを嘆くのを止めよう。
かつてそれがあったのを喜ぼう。
勝田が地元で取り組んできたこと。
高齢者と歌うことで時間を分かち合っている。
年齢を重ねた今こそ、一瞬一瞬を大切にできる。
(参加者の声)
歌うより、祈りのような気持を込めて歌っている。
歌うのは本当に楽しい。
「ふるさと」を皆で日本語で歌う。
感想;
砂時計の例え
未来は前にあるが、砂時計の例えでは、未来がこれから訪れると考えます。
どの砂を落とすかの自由が、選択肢が自分にあります。
死を考えることで、今を大切にしようと思う気持ちが高まってきます。
何もできない。人生に意味がない。生きる価値がない。
それは自分がそう思い込んでいるだけなのかもしれません。
あるいはそれまでの親や先生や周りから、自分の今の考え方は大きく影響を受けているのかもしれません。
砂時計の例え、どの砂を下に落とすかはどんな時にでも選択肢なのでしょう。