幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「辺野古、国が対抗措置 知事の停止指示、審査請求」 “話し合い拒否に民主主義はどこへ?”

2015-03-26 01:46:15 | 社会
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11668157.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11668157より
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画で、沖縄防衛局は24日、翁長雄志(おながたけし)知事が前日に出した移設作業の停止指示を取り消すよう求め、農林水産相に審査請求した。行政不服審査法に基づく手続きで、裁決が出るまで指示の効力を止める執行停止も申し立てた。

 「あらゆる手段を尽くす」と述べて移設阻止を掲げる知事側に、国側が対抗する姿勢が鮮明になった。

 翁長氏は23日、辺野古沖での移設関連作業を1週間以内に停止するよう指示。従わなければ、埋め立てに必要な岩礁破砕許可を取り消す意向だ。岩礁破砕許可について定める県漁業調整規則は水産資源保護法に基づくため、防衛局は同法を所管する農水省に審査請求した。

 同省は請求を受理。24日に同省職員が県庁を訪ね、今後の手続きについて説明した。執行停止の申し立てに対する意見を今月27日まで、審査請求について30日以内に意見の提出を求めたという。同省は今後まず、翁長氏の指示について、裁決が出るまで効力を止める執行停止をするかどうか判断する。並行して県に審査請求に対する弁明書の提出を求めて審理し、知事の指示が無効かどうか裁決を出す。

 裁決までの期間は行政不服審査法に定めがない。裁決に不服がある場合は、行政訴訟に進むなどして対立が長引く可能性もある。

 総務省によると、省庁が2011年度に処理した審査請求約1万6千件のうち、9割以上が1年以内に処理されたが、1年以上かかった例も7%あった。

 辺野古沖では24日もボーリング調査とみられる作業が続いた。翁長氏は県庁で報道陣に「大変遺憾。指示を真摯(しんし)に捉え、適切に対応してもらいたい」と作業停止を改めて求めた。

 一方、菅義偉官房長官は24日の会見で、翁長氏の指示を「違法性が重大かつ明白で、無効だ」と批判。「普天間飛行場の危険性除去と閉鎖を実現するため工事は粛々と実行に移す」と述べた。

感想;
安部首相と翁知事のお二人の交渉は裁判にまでなりそうです。日本には民主主義国家だと思っていましたが、この件に関しては存在していないのではないかと思ってしまいました。お二人のやりとりを国民も見ています。それぞれの思惑や経緯もあるのでどちらがとは難しいですが、先ずは話し合いをすることが、民主主義の基本ではないでしょうか?安部首相は翁知事に会うことも拒否されています。翁知事が政府を訪れても、安部首相、菅官房長官は挨拶を受けることさえされませんでした。これは翁知事に対してだけでなく、沖縄県民を無視した態度と言われても仕方がないように思います。会わない、話し合いもしない。これが日本の首相ならびに官邸の意志だとすると残念な限りです。そういう人を選んだ国民にも責任があるのですが。

話し合い拒否は、紛争は武力で解決する(この件は法廷で解決)との安部首相のお考えがあるように思えてなりません。自衛隊を「我が軍」と発言されたことからも、安部首相のお考えが随所に出て来ています。武力での解決は犠牲者を多く出すだけで何の解決にもならないことは歴史が証明しているのですが。歴史から学ぶことが不足しているのでしょうか。4月に訪米ですが、そのような安部首相にオバマ大統領はどのような態度を取られるのか興味があるところです。普天間基地の問題、辺野古への移設問題、沖縄、政府、米国の3者がよく話し合えば、必ず何かの道筋が見えてくると信じているのですが・・・。

沖縄は元々は琉球王国で日本とは別の独立した国家でした。それを島津藩が支配しました。そしてそのまま日本になりました。第二次世界大戦では唯一米軍との地上戦があり、多くの民間人が犠牲になりました。戦後、米軍基地が多く置かれ、日本の防衛の負担を沖縄に多くかけて来ました。沖縄の問題は日本の問題でもあります。沖縄県民の総意を尊重して何かできないか、それを探るのが政治だと思うのですが、いかがでしょうか?

長谷川きよし 清水の舞台奉納コンサート 「心震える時」 ”いのちの電話の活動紹介!”

2015-03-25 03:02:46 | 生き方/考え方
「長谷川きよし 清水の舞台奉納コンサート 心震える時」
長谷川きよしWebサイトより

京都清水寺の清水の舞台で奉納コンサート決定!
NHKラジオ「深夜便のうた」に決まった『心震える時』に込められたメッセージを清水寺の観音様に奉納するコンサートの実現です。

この曲は、「埼玉いのちの電話」主催のコンサートに出演したことがきっかけで生まれた曲です。「いのちの電話」というのは、イギリスから始まったと言われる市民のボランティアによ る運動です。24時間電話を解放して、生きていくことに行き詰まって自殺を考えている人たちの心の叫びを受け止めて話を聞き、なんとか思い止まってもらおうという活動です。 それが日本にも定着して、今は全国各地に広がっています。

日本だけではなく世界全体が、政治・経済・教育・国際関係全ての分野で、絶望的な将来像しか描けない、未来に希望が持てない酷い状況になっています。普通に暮らしている 高齢者から若い人まで、その重圧に押しつぶされ行き詰まって、こころに闇を抱えている人はたくさんいると思います。そういう人たちに是非届けたいメッセージの込められた曲 になりました。

新緑の季節の清水の舞台での奉納コンサートという夢のような一夜を皆さんと共に過ごしたいと思います。

長谷川きよし

”心震える時”CD

心震える時

「長谷川きよし デビュー45周年記念コンサート~心震える時」
とのタイトルで、各地でコンサートやライブ活動をなさっているようです。

埼玉いのちの電話を支援するボランティア活動として、チャリティコンサートや講演会を行っています。
アーティストの方に、いのちの電話の活動を知っていただき、いろいろな機会でご紹介いただけると、多くの方に知っていただく機会にもなります。

こういう連携もあるのだと実感しました。



上野の早咲きの桜 きれいでした! 自分の花を咲かせたい

2015-03-24 02:46:17 | 笑顔





上野の桜です。他のソメイヨシノはこれからですが。
23日に東京は開花宣言がでました。
上野駅の乗り換え時にちょっと足を延ばして寄り道してきました。
「きれいだな」と、一日の疲れも忘れました。
”心身一如”心と身体は一つとの意味ですが、見て「きれいだな」と思うと身体は幸せに思うホルモンを分泌しているのでしょう。

昨晩、戦争孤児の方で、上野の公園や地下街で寝泊まりしていた方が、上野に行くとその時のことを思い出すので、夫から上野の桜に誘われても一度も行かなかった(行けなかった)そうです。夫に戦争孤児だったことが言えなかったそうです。
そのことも思い出しながら、桜を見ました。こんなきれいな桜を見ることもできないほど、辛い想い出だったのでしょう。

桜の木は見ている人の気持ちに関係なく、精一杯咲いていました。
精一杯自分のできることをすることで良いのでしょうね。そして笑顔で出来たら。
自分が出来ることで、幸せに思う方がいらっしゃれば幸せなことですね。

戦争孤児 NHK「マッサン」総括 武力ではなく話し合いで解決ができないのだろうか?

2015-03-23 04:11:11 | 社会
戦争孤児の番組を深夜に行っていました。
戦争末期に児童の疎開をした結果、両親が東京大空襲で亡くなったりして孤児になった児童が約13,000人に達したそうです。
両親を亡くして、「なぜ自分だけ生き残ったのだ。なぜ一緒に死なせてくれなかったのか」と思った方が何人も話されていました。

政府は1945年9月20日に戦災孤児等保護対策要綱を発表しましたが、戦災孤児らの保護として、
1.個人家庭への保護委託
2.養子縁組の斡旋
3.集団保護の対策
で行いました。

しかし、親戚をたらいまわしされたり、虐められたりして、飛び出した児童も多かったそうです。
その多くの児童が上野に集まったそうです。浮浪児となりました。
地下道で集まって寝ていました。浮浪児だった方が出て昔のことを話されていました。

残飯をあさっていましたが、野良犬に残飯のあさり方を教わったと語っていました。
残飯を取って食べると残飯の下の部分が腐っている場合が多いそうです。野良犬は上の部分だけを食べていたそうです。

浮浪児を政府は捉えて強制施設に集めていましたが、そこから何度も児童は飛び出したそうです。

戦争孤児の人たちが、政府の戦争孤児への対策に問題があったと裁判で訴え、最高裁までいきましたが政府の責任は無しとなりました。
理由は、戦争により戦争孤児だけでなく多くの国民が戦争の被害を受けているとの理由でした。

第二次世界大戦で、日本の兵士は約200万人、民間人約80万人亡くなったと言われています。
世界全体では8000万人亡くなったと言われています。

戦争孤児がいたことは知っていましたが、戦争孤児たちがどのような気持ちでいたかまで思いを巡らすことはしていませんでした。
多くの戦争孤児たちも亡くなっています。

武力での解決は結局、犠牲者を多くするだけです。
どんな理由があっても戦争は悲劇を有無だけのように思います。
朝の番組で、武力を持つと人はその武力を使いたくなる。なぜそうなるかを取り上げていました。

義理の父は戦地に行き、その後シベリアで抑留されました。
戦争は軍人さんだけがするものだと思っていたら、軍人さん以外も戦争に駆り出されるとは思っていなかったそうです。
気が付いた時には、もう戦争反対の声は出せなかったそうです。

NHK「マッサン」の総括も見ていました。
戦争に積極的でない人を非国民として、外人をスパイと見ていました。
憲兵のように戦争に積極的に関与して戦争反対の人々を捕えて行き、もう声が出せなかったのでした。
「蟹工船」の著者 小林多喜二も拷問で亡くなっています。
武力での解決ではなく、話し合いでの解決は難しくてもそれしか道はないと思うのですが・・・。




 

”ベルガモットな午後に” 石川啄木の終焉の地の近くで  ”仕事には息抜きも必要”

2015-03-22 04:31:27 | 笑顔
料理教室で、糖醋丸子(肉団子の甘酢あん)、炒め五目混ぜご飯を作りました。写真はこちら
肉団子は鳥の胸肉を使い、そこにタケノコ、粉寒天、カタクリをいれるのが美味しさを引き立てています。
美味しかったです。美味しいものを食べる一つの方法は自分で作って、自分で味付けすることでしょうか。

料理教室の後、すぐ近くにある小石川図書館でセミナーの資料作成をしました。でもなかなかやる気が起きて来ません。
本を読むかなとも思いが出た時に、図書館の案内があり、図書館のすぐ近くの日本社会事業大学(文京キャンパス)にて”ベルガモットな午後に”の案内がありました。
日本福祉事業大学と小石川図書館の共同主催で今回が8回目でした。
ベルガモットの香りを焚きながら、8人ほどの方が、”語り”と”落語”をされました。
語りはお一人8~15分ほどでしたが、暗記されているのに驚きました。

1)エッセイ 「あんじょう」田辺聖子
2)落語 「時そば」
3)エッセイ 「兄 石川啄木の思い出」
4)語り 「小さなおおきいおくりもの」/宇治拾遺ものがたり
5)語り 「海からの土産物8いえつど)」/今昔ものがたり
6)地域伝承 「とげぬき地蔵」
7)語り 「ウンベネール」/エスキモー民話
8)語り 「二十年後」/オー・ヘンリー

こういう活動をなさっている方がいらっしゃるのだと知りました。
暗記するだけでも大変な作業ですし、それを物語風に話すのも技術が必要です。

資料作りが2時間ほど中断しましたが、その後は思いのほか資料作りに専念できました。
土日は図書館の閉館が19時でした。その案内があり、3時間半ずっとやっていたことに気が付きました。

小石川図書館のすぐ近くに、石川啄木終焉の地があります。これまではプレートだけでしたが、その隣に高齢者施設ができ、その中に石川啄木の関係するものが置かれるそうです。
3月22日から見られるそうです。
仕事だけ行っていてもなかなか集中することができません。ちょっと息抜きにちょっと仕事に関係ないことに触れることも大切なのだと実感した日でした。