幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

第5回;NHK『こころの時代』 ヴィクトール・フランクル第五回 人知を超える究極の意味「何か」に支えられて

2024-08-21 15:21:15 | 生き方 考え方 笑顔 ロゴセラピー
第五回 人知を超える究極の意味「何か」に支えられて

人間に元々備わっている「意味への意志」
「究極の意味」を知りたい。
すべての人間にそれがあるとヴィクトールフランクルは信じている。
強制収容所は私への卒業試験だったかもしれない。
自己超越、自己距離化、フランクルはロゴセラピーを実践した。
しかし、自分だけの力で助かったと思っていない。
危機のとき、何度も不思議なことが起きた。
超意味、究極の意味、人に起こることにはすべて超意味がある。
しかし、人はそれを知ることはできない。信じるしかない。

今回は「究極の意味」について話をしたい。
研究家の人の中でも意見が分かれている。
なぜならフランクルもそのことについて詳しくは述べていない。
そのために自分が考えていくしかない。
超越したもの、それへの眼差しがないと精神次元に移れない。
瞬間瞬間最善だと思う選択を人は行う。
その背景に究極の意味を考える必要がある。

強制収容所に行く前から解放されるまで、自分がどうして生き残ったか分からない。何か意味があったのではないか。
自分の人生を振り返ると、不思議なことがあるので、自分の意志だけでなく、何かに導かれているのではないかと。

最初の奇跡は、収容所に送られる前に起きた。
アメリカへのビザを申請した。
しかし、ビザが降りたのは自分だけ。両親には降りなかった。
フランクルは病院勤務だったので、両親も守られていた。
自分だけ亡命すると両親はすぐに強制収容所に送られる。
彼はどうするか迷った。祈るしかなかった。
ウィーンのキリスト教の大聖堂がある。
ユダヤ人なのでユダヤ人のバッチを付けているのでそこには入れないが、隠して入って祈った。
家に帰ると石がある。父がこれは壊されたシナゴーグの石の破片だと。
モーズの十戒の一つにしか使われていない言葉だった。
それが汝の父母を敬えだった。
偶然だったけど、そこに意味を感じた。
彼はロゴセラピーの入門書を書きはじめた。
その石の言葉が与えられる前は迷っていた。
彼はその記(しるし)で迷いが消えた。

1949年てレージェンシュッタトに家族四人、2年後ビルケナウへ。
そこで不思議な出来事。男女に分けられ、さらに二つに分けられた。
行先は知らされていなかった。
頑強な人は強制労働へ、ダメな人はガス室へ。
その判断をしたのがメンデル博士が判断した。
メンデル博士は左へと指示した。左はガス室行きだった。
右に知った人がいたので、メンデル博士の背後を回ってふらふらと右へ行った。
誰かが見ていたら左へ行かされていた。メンゲル博士は何度考えても左を指さしていた。

フランクルはなぜ自分が生き残ったのか? 
不思議な出来事があったから。
自分が能力があったからではなく、大きなミッションがあったから生きられたと考えた。

ロゴセラピーの原稿を隠し持っていたのを奪われた。
もう一つはアルプス山岳会の会員バッチも取られた。
この2つはとてもショックだった。
彼にとって山は特別だった。
厳しい岩壁を登っていた。80歳までやっていた。

奪われた時はショックを受けた。だけど、それはもしかしたら、これまで理論でやってきたのを実践で試せ!と思うようになった。
そのきっかけになったのが与えられた囚人服(きっとガス室で殺された)にポケットに紙きれがあり、そこに祈祷書から祈りの言葉があった。
あなたは心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい。
この偶然をどう解釈すれば良いか。自分がこれから考えを示せと解釈するしかなかった。
フランクルはずーっとの紙切れを大切にしていた。
解放されたとき、どういうわけかその紙切れが亡くなっていた。
彼は超越的なつながりを常に意識していた。
どこからか聞こえてくるものがあったのではないか。

人間がどう生きるか、まさに生きること、それが全うできるか。
人生を諦めるということは、ロゴセラピーを諦めることになる。
常に状況によって、フランクルは迷いなくと見えるが、フランクルはその都度その都度揺れている、迷っている。
でも徹底的に考えているから、何かあったときに自分が見つけられる。
他のセラピーは原因を探る作業に明け暮れ谷底へ歩いていく。
ロゴセラピーはそのとき頂上を目指す。
目の前に手をかける岩があるので手をかける。
なぜそこにたまたま岩があるのかはわからない。

次にカウフェリング 収容所に移された。
他の収容所へ移動、過酷な労働から解放されると期待していた。
しかし別の人が行くことになり、トラックに乗った人は全員ガス室へ、フランクルは助かった。
フランクルは発疹チフスのかかった。
連合軍が迫ってきたので、ナチスは囚人を死の行軍に行かせた。
しかしフランクは発疹チフス感染してたのでその行軍から逃れた。

人が自分の力だけでなく、何かに支えれていると感じる。
自分が偶然いろいろなことで命が助かる。
究極の意味は宗教で言えば神様になる。
フランクルはロゴセラピーに宗教は入れなかった。
彼は敬虔なユダヤ教信者だったが。

セラピストが自分の信仰をクライエントに押し付けることはしない。
フランクルは相手の宗教にも柔軟に対応した。
寛容性が他の人より広かった。
開放後、知り合った女性はカソリック教徒。
ユダヤ教は他の宗派の人の結婚しないが、フランクルには寛容性が大きかった。
フランクルはどんな人でも普遍的な次元の何かを持っていると考えた。
なので、宗教の違いは関係なかった。

「テフィリン」聖句箱を常に身につけていた。
ユダヤ教が自分を導くすべてだとは考えていた。
再婚したエリ―はカソリック教徒。全ての宗教は平等。
フランクルは宗教は言語だと考えていた。悪用することもかつようすることもできる。

人間の存在はなにか。
すべての人をささえているものを究極の意味と考えていた。
どんな時に言える。
心の底から出てきた願望です。究極の意味が存在するに違いないと。

心と身体の次元だけでは超えることができない。
精神次元が必要。
普遍性、どんな人間にも共有できる。宗教が違っても。
究極の意味、宗教や哲学的でもある。
理論的な考えでは把握できない。説明できない。理解できないものがある。
そういうものがあるからそこに眼差しを向ける。
シニカル態度ではなく、謙虚に。
人間は自分と距離を空けて自分を見ることが大切。
距離とは究極の意味で、そこから見ることができるか。
悩んだり悲しんだりしてるときは、その感情に飲み込まれている。
そこから離れて究極の意味の視点から考える。
それができると、まわりが見えてくる。
他にも道がある。悲観することがある。
小野さんの故郷浦江は海しか見えない。
でも山から見ると別の港も見えてくる。

宗教も人がよりよく生きるための指針を与えるとすると、ロゴセラピーはより普遍的な言葉で一緒に考えましょうと。
人間は互いに理解できるはず。
人間性によってしかわけることはできない。
この地上には二種類の人間がいる。
品格のあるしっかりした人間とそうでない人間。
この二種類の人間がどこにもいる。
どこにも両方がいる。

フランクルは人を分けるなら、品格のあるまともな人がどうか。
宗教や国などで分けるものではない。一つの人類主義、フランクルの造語。
同じ精神次元を持っている。
ユダヤ人を迫害したドイツ人だと避けるのではなく、その人が品格があるかどうか。
戦後、ナチス党員と一緒に山に登ったこともあるが、その人はひどく後悔していた。なんでそんな党に入ったのか。
同じユダヤ人仲間ははフランクルのその態度を非難した。
フランクルは一人ひとりを見た。
ヨーロッパ議会で起きているのはフランクルでいう”一人類主義”とまったく違うことをやっている。
太古の昔には国境がなかった。
今はそれぞれが自分たちの利益だけを考えている。

フランクルが今いれば、どんなときにも悲観するこはない。
人に対する思い、社会に対する思い。
良きものが社会を支えている。
この世界に意味があると考えられないでしょうか。
究極の意味の存在を信じようと決断すると結果が生まれる。
信じることがそれを真実にするのです。
可能性を実現するのです。



感想
 究極の意味
今起きていることに意味があるかないか。
それはわかりません。
しかし、何か意味があるはずだと信じて一歩一歩前を向いて歩いて行くと意味が生まれてくるのだと、フランクルは私たちに言いたのだと思います。

究極の意味を考えながら生きることが、「意味への意志」なのでしょう。
そしてそれを持ちながら生きることが、自分の人生を意味あるものに高めていくのだと思います。
意味を判断時の視点に加えると、意味ある選択肢が増えるように思います。

意味への意志は時により、自己超越の場合もあるのでしょう。
自分はしんどいけど、いまこれを行うことにはしんどいけどそれをやる意味があると信じて行う。
自己距離は、自分から距離を持ち自分が今どうしようとしているか、それが意味のあることなのか、感情に支配されての行動なのか、それを冷静に見て判断するためには、自己距離化は必要なのでしょう。

ロゴセラピーの学びは、まさに自分の人生のより良くしていくツールというか、考え方のようです。
そのため、ロゴセラピーとセラピーよりもロゴエデュケーション(ロゴ教育)の方が適切だと言われています。

上越市長 新工場誘致巡る「高卒レベル」発言で会社側に謝罪 ”高学歴が不正や人として問題を/斎藤兵庫県知事は東大卒”

2024-08-21 10:22:00 | 社会
 上越市の市議会で化学メーカーの新工場の誘致に関する見解を問われたの対し、「従業員の多くは工場勤務で高校卒業レベルであり、企業誘致で頭のいい人だけが来るわけではない」などと発言した中川幹太市長が21日、メーカーの工場を訪れて謝罪しました。

 市などによりますと今月18日の市議会で議員から市内に工場がある化学メーカーの新工場の誘致に関する見解を問われたのに対し、中川幹太市長は「従業員の多くは工場勤務で高校卒業レベルであり、企業誘致で頭のいい人だけが来るわけではない」などと発言しましたが、その後、撤回して謝罪しました。
 上越市は21日、中川市長が市内にある化学メーカーの工場を訪れ、今回の発言について工場長に謝罪したと、発表しました。
 工場の訪問が終わったあとに報道陣の取材に応じた中川市長は訪問について「従業員の心を傷つけたことをおわびしてきた」とし、メーカー側からは「謝罪については受け止めた」と言われたことを明らかにしました。
 そして、「私の発言によって会社の信頼を失っている状態なので、努力して信頼回復に努めたい」と述べました。
また、自身の進退について問われると「自分自身に対する処分を考えていかなくてはいけないと感じていて、内容については後日明らかにしたい。任期まで職責を全うしていきたい」と述べました。
 一方、上越市議会は21日、市長に対して、今回の発言で関係者を傷つけた責任は重く、市政に対する市民の信頼感の喪失を招くなどとして抗議の申し入れを行いました。


  • 2022年4月19日、中川は若手経営者グループ主催の意見交換会に出席し、商店街の現状について指摘する中で「直江津に商店街はない」などと発言。同月27日の定例会見の中で「真意が伝わらず、誤解を与えた部分についてお詫び申し上げる」として発言を謝罪した。会見では記者から、真意や誰に対しての謝罪なのかを問う質問が相次いだ。中川は「近々商店街の皆さんに直接会って説明する」と繰り返し、記者会見の場での釈明はなかった[9]。
  • 2023年7月5日、上越市内で行われた新潟経済同友会との懇談会において、市内の私立高校2校の名前を挙げた上で「県内では県立、公立よりもレベルが下にある」と発言した。席上で一旦は発言を訂正したが、記者対応で「偏差値が低い」などとも説明した。翌日に中川は当該2校へ訪問した上で謝罪した[10]。
  • 2024年6月18日、市議会本会議で企業誘致の促進についての質問に答える中で、市内に工場を構える企業について「研究開発をしている方々は270名程度でそれ以外は工場での勤務で、基本的には高校を卒業したレベルの皆さん。頭のいい方だけが来るわけではない」と発言。その後は議会審議を中断し発言を撤回し謝罪した。議会ではこの発言を問題視する議員から問責決議案が提出されたが、賛成少数で否決された[11]。翌19日の本会議で発言を撤回陳謝するも、答弁で社名を間違えていることを議員に指摘されて言い直した[12]。同月21日には市内にある企業の事業所を訪れ、「従業員の心を傷つけて申し訳ない」と謝罪した[13]。7月8日には自身の給与の5カ月分(7~11月)を全額削減する方針を示した[14]。同月19日に議会で辞職勧告決議案が賛成25、反対6の賛成多数で可決された。中川が提出した給料全額削減のための条例改正案については、市議から「何かある度にお詫びの繰り返しで、市長の発する言葉の重さが分かっていない」、「お金で解決するのではなく、一度退いて出直すべき」などの意見が相次ぎ、賛成なしで否決された[15][16]。
感想
 問題発言の多い方のようです。それは考え方がおかしいからでしょう。
パワハラが問われている斎藤兵庫県知事は東大卒です。
 学歴が高くても、かつ偏差値の高い大学卒業しても問題を起こしています。
森友学園の佐川氏も東大です。
 学歴は人の良さなどには関係なく、ある一面だけです。
勉強ばっかりして、人として学ぶことをして来られてなかった人もおられます。
 ちなみに中川上越市長は広島大卒、兵庫県立北摂三田高等学校卒業 です。

 ヴィクトール・フランクル(『夜と霧』著者)
世の中には二人の人間がいる。
品格のよい人とそうでない人。
国、学歴、性別、宗教などで分けるものでない。
そしてどのグループにその二種類の人物がいる。

この考え方でいうと斎藤兵庫県知事、中川上越市長は、”そうでない人”に入るのでしょう。

 上越市議会はまともなようです。
兵庫県議会は維新や自民党が辞職勧告決議には二の足を踏んでいるようです。
兵庫県民、しっかりしてよ!
兵庫県出身者としては、とても情けない。
 斎藤兵庫県知事、中川上越市長を選んだ県民、市民が騙されたのか、民意が低いのか・・・。
 分かった時点で行動を起こすことではないでしょうか。

「限りある時間の使い方」オリバー・バークマン著 ”視点を変えてみると世界が違って見える”

2024-08-20 13:26:44 | 本の紹介
・「我々はみんなもうすぐ死ぬ」と言った現代の哲学者トマス・ネーゲルは正しい。
そうだとすると、時間をうまく使うことが人の最重要課題になるはずだ。人生とは時間の使い方そのものだといってもいい。

・ハイデガーは過去の哲学者のなかで誰よりも、有限の生にという問題にこだわっていた。
 ただし、ハイデガーには困った点が2つある。
 ①1933年から10年以上にわたってナチスの党員として活動していたこと
 ②彼の文章がほとんど解読不可能だということだ。

・人は1日のうちに何百もの小さな選択をする。そのたびに、できるかもしれなかった無数の可能性を永遠に切り捨てている「decide(決める)」の語源となったラテン語のdecidereは、何かを「切り離す」という意味だ。選択肢を捨てるニュアンスだが、同時に「殺人」や「自殺」のような言葉とも近い関係にある。
 限りある人生を生きるということは――それがどんなに最高の人生であっても――絶え間なく可能性に別れを告げる過程なのだ。

・タスクを上手に減らす3つの原則
 ①まず自分の取り分をとっておく
 まず自分の取り分を確保しないとどんどん他のことに時間を使ってしまい、本当に大事なことができなくなる。
 ②「進行中」の仕事を制限する
 同時に進行する仕事の数を、削れるところまで削るのだ。
 マネジメント専門家のジム・ベンソンとトニアン・デマリア・バリーは、「進行中」の仕事を3つまでに制限することを勧める。
 ③優先度「中」を捨てる
 優先順位が中くらいのタスクは、邪魔になるだけだ。

・完全主義者は身動きできない

・(高野山での)修行生活を終えたあと、ヤングは自分の意識が変化していることに気づいた。
 今ここに集中する技術を身につけたおかげで、日常のさまざまな場面で感じる苦痛が明らかに減っていた。以前なら考えるだけで憂鬱になっていた雑用にも、前向きに取り決める。
 問題は活動そのものでなく、自分の子事の中の抵抗にあったのだ。
 抵抗をやめて、目の前の感覚に注意を向けると、不快感は静かに消えていった。

・なぜ僕たちは、自分が本当にやりたいと思っていることに集中できないのだろう。なぜやりたいことをやらずに、やりたくもない気晴らしに逃げ込んでしまうのだろう?・・・
 この不可解な現象の答えは、何を隠そう、僕たちの有限性にある。
 僕たちが気晴らしに屈するのは、自分の有限性に直面するのを避けるためだ。つまり、時間が限られているという現実や、限られた時間をコントロールできないという不安を、できるだけ見ないようにしているのだ。

・僕たちにできる最善のことは、不快感をそのまま受け入れることだ。
 重要なことをやり遂げるためには、思い通りにならない現実に向き合うしかない。その事実を受け入れ、覚悟を決めるのだ。
 解決策がない、という事実こそが、ある意味で解決策だといえるかもしれない。
 スティーブ・ヤングが高野山での修行で見いだしたのは、現実から逃げるのをやめれば苦痛がやわらぐという事実だった。現実逃避をやめて、凍てつく水をしっかりとその身に受け止めたとき、それまでの苦痛は消え去った。嫌だという気持ちよりも、今ここで起こっていることに注意を向けることができたからだ。

・自分は万能でない。ただの無力な人間で、それはどうしようもない。
 その事実を受け入れたとき、苦しみはふいに軽くなり、地に足のついた解放感が得られるだろう。「現実は思い通りにならない」ということを本当に理解したとき、現実のさまざまな制約は、いつのまにか苦にならなくなっているはずだ。

・「ホフスタッターの法則」認知科学者のダグラス・ホフスタッターが提唱した法則
「どんな仕事であれ、つねに時間は予想以上にかかるものである。――たとてホフスタッターの法則を計算に入れてもだ」

・ハイデガー
「人の存在とは一瞬の時間の連続である」

・『決算のとき』シモーヌ・ド・ボヴォワール著
 昼食のあとに仕事部屋で居眠りをすると、子どものような驚きで目を覚ますことある。なぜ、私は私なのか? まるで幼い子供が自分のアイデンティティに初めて気づくように、私は自分がここにいるという事実に驚く。今この瞬間に、他の何ものでもなく私の人生を生きている。これはいったい、どういった偶然の巡り合わせだろうか・・・特定の卵子と特定の精子に侵入されたこと、それに先立つ両親の出会い、さらに両親の誕生と、そこに連なる先祖の誕生。それらが起こるか確率は何億にひとつもなかったはずだ。そして現在の科学では予測のつかないある偶然が、私を女として生まれさせた。それ以降のあらゆる行動は、幾千もの異なる可能性につながっていた。病気になって空間をやめていたかもしれない。サルトルに出会わなかったかもしれない。何が起こってもおかしくはなかったのだ。

・現代の精神的指導者ジッドゥ・クリシェナムルティが言っているのは、悲しみや哀れみや怒りを感じてはいけないということではない。この先悪いことが起こらないように努力することが無意味だと言っているのでもない。
「何が起ころうと気にしない」生き方とは、未来が自分の思い通りになることを求めず、したがって物事が期待通りに進むかどうかに一喜一憂しない生き方だ。それは未来を良くしようという努力を否定するものではないし、苦しみや不正をあきらめて受け入れろという意味デモもない。そうではなく、未来をコントロールしたいという執着を手放そうということだ。そうすれば不安が解放され、本当に存在する唯一の瞬間を生きられる。つまり、今を生きることが可能になる。

・人生の「本当の意味」が未来にあると信じることで、今この時を生きることから逃げているわけだ。
 経済学者のジョン・メイナード・ケインズは、これらすべての根底にある真実を見抜いていた。
 ケインズによると、人が未来の目的のために邁進するのは、究極的には「死にたくない」という願望のためだ。
「目的志向の人間は、つねに自身の行動の利害を未来へ先送りすることによって、その行動の不死性という怪しげな幻想にしがみついている。彼は猫を愛するのではなく、その猫が産む子猫を愛する。いや実際には、その子猫よりも子猫の子猫を愛する、というふうに延々と先送りする。彼にとって、ジャムとは明日のジャムであり、けっして今日のジャムではない。ジャムをつねに未来へとおしやることで、かれはジャムをつくるという行動に不死性を与えようとするのである」

・今を生きることは、今ここから逃れられないという事実を、ただ静かに受け入れることなのかもしれない。

・アリストテレスは、真の余暇(それは彼にとって内省と哲学的思考を意味していた)こそが、あらゆる美徳のなかで最高のものだと論じている。なぜなら余暇は、それ自体以外に目的を持たないからだ。戦争で勇敢に戦うことも美徳だが、それは勝利という目的のための手段にすぎない。ラテン語で仕事を意味する「negotium」は、直訳すると「余暇がない」という意味になる。つまり、余暇を楽しむのが人間本来の姿であり、仕事はその例外ということだ。

・余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法なのではないだろうか。
 何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。

・社会心理学者は、そういう状態を「怠惰嫌悪」と呼ぶ。何もしないことが嫌で仕方ないという意味だ。

・「現実を思い通りに動かしたい」という傲慢な態度こそが、苦しみを引き起こす。
『道徳経』
真の賢者とは、風に吹かれても折れずにしなる木や、障害物を避けて流れる水のようなものだ。

・ハーバード大学で美術史を教えるジェニファー・ロバーツは最初の講義で、いつも同じ課題を出す。「美術館に行って絵画か彫刻をひとつ選び、3時間じっと見る」という課題
だ。これは学生を恐怖に陥れる。なぜなら、そのあいだメールやSNSは一切禁止、スタバにコーヒーを買いに行くことされ許されないからだ(さすがにトイレ休憩だけはし低減限認めてくれるけれど)。
 ロバーツ自身も同じ課題に取り組んでみた。アメリカの画家ジョン・シンダルトン・コプリーの『少年とリス』を3時間じっと鑑賞した。
「9分間経って初めて、少年の耳の形がリスのおなかの模様と正確に一致することに気づきました。コプリーはリスト少年とのあいだに、何らかのつながりを見ていたんですね、・・・そして45分経ったとき、ふいに見えてきたのが、背景のカーテンの皺です。一見ランダムな皺が、じつは少年の耳と目の形を完全にさい。

・心理療法家のM・スコット・ベッグは、著書『愛すること、生きること』のなかで、現実のペースに身を委ねることの素晴らしさを語っている。

・「すごいですね」とベッグは言った。「そんなものを修理するなんて、僕には絶対無理ですよ」
 すると、隣人はこう答えた。「そりゃ、あんたが時間をかけてないからでしょう」

・ベッグの話のポイントは、「わからないという不快感に耐えれば、解決策が見えてくる」ということだ。

・忍耐を身につける3つのルール
 ①「問題がある」状態を楽しむ
 ②小さな行動を着実に繰り返す
 ③オリジナルは模倣から生まれる

・時間は自分のものになりすぎないくらいが、じつはちょうどいいかもしれないのだ。

・自分が無価値であることに気づいたとき、ほっと安心するのも当たり前だ。
 今までずっと、達成不可能な基準を自分に課してきたのだから。・・・
 どんな仕事であれ、それが誰かの状況を少しでも良くするのであれば、人生を費やす価値はある。あるいはコロナ禍で隣人への配慮をほんの少し取り戻すことができたとしたら、たとえ社会を根本的に変革できなかったとしても、充分に価値のある学びだったといえるはずだ。

・人生を生きはじめるための5つの質問
 ①生活や仕事のなかで、ちょっとした不快に耐えるのがいやで、楽な方に逃げている部分はないか?
 心理療法家ジェイムズ・ホリスは、人生の重要な決断をするとき、「この選択は自分を地策するか、それとも大きくするか?」と問うことを勧める
 ②達成不可能なほど高い基準で自分の生産性やパーフォーマンスを判断していないか?
  無茶な喜寿運など、ぜんぶ地面に投げ捨ててしまおう。
 ③ありのままの自分ではなく、「あるべき自分」に縛られているのはどんな部分だろうか?
 「こうあるべき」というプレッシャーから自由になれば、今ここにいる自分と向き合うことができる。
 ④まだ自信がないからと、尻込みしている分野は何か?
 ボクは思うのだけれども、大人になるということは、「誰もがすべて手探りでやっている」という事実を徐々に理解するプロセスではないだおうか。
 ⑤もしも行動の結果を気にしなくて良かったら、どんなふうに日々を過ごしたいか?
 僕たちはみんな、中世の石工のようなものだ。完成を見ることができないとわかっている大聖堂のために、いくつかの意思をそっと追加する。
 たとえ完成形が見られなくても、大聖堂を建てる価値があることには変わりはない。

・1933年12月15日、カール・グスタフ・ユングは文通相手のV婦人に宛てて、「正しい生き方とは何か」という問いに答える返事を書いた。その答えとは、本書の最後を飾るにふさわしいものだと思う。
「どう生きるべきかという質問には、答えがありません」とユングは伐り出した。「人はただ、自分にできるように生きるだけです。唯一の正しい生き方などありません。お望みならカトリック教会に入るといいでしょう、彼らは正解を教えるのが好きですから」
 ユングにいわせれば、個人の人生とは「みずから切り拓いていく道であり、誰も通ったことのない道」である。
「前もって知ることはできません。あなたが一歩踏みだしたとき、そこに未知ができるのです。・・・ただ静かに、目の前のやるべきことをやりなさい。やるべきことがわからないなら、きっと余計なことを考えすぎるほどにお金がありあまっているせいでしょう。しかし次にすべきこと、もっとも必要なことを確信を持って実行するば、それはいつでも意味のあることであり、運命に意図された行動なのです」

・大事なのは、あなただけの一歩を踏みだすことだ。

・「希望などいらない。やることをやるだけだ。鮭が生きられるようにする。プレーリードッグが生きられるようにする。ハイイロマグロが生きられるようにする。状況が自然に良くなるという望みなど捨ててしまえ。これ以上悪化しないという望みを捨てるんだ。そうすれば我々は自由になれる。解決のために動きだすことが可能になる」
希望を捨てたとき、あなたは自分の力で歩みだすことができる。
自分の限界を認めるとは、すなわち希望を捨てることだ。正しいやり方を身につければ、あるいはもっと頑張れば、どんな無謀なこともない遂げられるという希望。そうした数々の希望の根底にある、いつか本当の人生が始まるんだという希望。今はまだリハーサルで、そのうち自信満々で人生本番を生きられるにちがいないという、途方もない希望。
そんなものは、今すぐ捨てたほうがいいい。

・付録 有限性を受け入れるための10のツール
 ①「開放」と「固定」のリストをつくる
 ②先延ばし状態に耐える
 ③失敗すべきことを決める
 ④できなかったことではなく、できたことを意識する
 ⑤配慮の対象を絞り込む
 ⑥退屈で、機能の少ないデバイスを使う
 ⑦ありふれたもに新しさを見出す
 ⑧人間関係に好奇心を取り入れる
 ⑨親切の反射神経を身につける
 ⑩何もしない練習をする

感想
  仏教的な視点が入った時間に対する考え方のように思いました。
何かに縛られて時間を使っていることが多いように思います。

 「希望を捨てる」は誤解のある言葉ですが、ここでの希望は「これができなければ」との希望のようです。それができないと何もできないと思い込んでいることが問題なのでしょう。そのために今目の前の出来ることを何もしないでいる。
自分の思い込みが自分を苦しめたり、行動を束縛しているのでしょう。
臨済宗でそれを「人惑(にんわく)」と。
あたかも自分の考えのようですが、それは親や先生や周りから刷り込まれた結果なのです。
社会学者のワッソはそれを「社会的催眠」と呼んでいます。
その催眠から抜け出すことなのです。
この本は、時間に関する「人惑」からの脱出のヒントを与えているように思いました。

 時間は有限です。
この時間を大切にすることなのでしょう。
お釈迦様も過去も未来もない。あるのは今だけだと。
ところがどうしても過去を悔やみ、未来を心配し、今の時間をそのことに使っています。肝心な今に使う時間を減らしていることになるのですが、それに気がつかない、あるいは気がついてもどうしても過去と未来に心が拘束されているのでしょう。

 イエス・キリストが「明日のことを思い煩うな。今日一日のことで十分。明日のことは明日思い煩えばよい」と。
マホメットは「全てアラーの思し召しに」と神様に任せています。

 今、ここで、自分にできることをする。
その時、少しでも意味がある、価値があることを判断して行うことなのでしょう。

臨時情報「出してほしい」82% 1週間の期間「妥当だ」69% ”リスクが正しくないと、「狼少年」になってマイナスの効果が”

2024-08-20 09:36:09 | 社会

 共同通信社が17~19日に実施した全国緊急電話世論調査によると、南海トラフ巨大地震の発生可能性が通常より高まったことを知らせる南海トラフ地震臨時情報について「可能性が少しでも高まったなら、出してほしい」と回答した人が82.1%に上った。「可能性が低いなら、出さないでほしい」の16.1%、「分からない・無回答」の1.8%を大幅に上回り、発表を肯定的に受け止める人が多いことを示した。 
 巨大地震への注意を呼びかける1週間という期間についても69.4%が「妥当だ」と答えた。  今月8日、日向灘を震源とする最大震度6弱の地震を受け、気象庁は初めて南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)を発表。巨大地震の発生可能性が平時より数倍高い状態とされ、政府は備えの再確認を呼びかけた。その後、異常は観測されず、注意の呼びかけは15日に終了した。  今回の調査で、呼びかけ期間の長さについて受け止めを尋ねると「妥当だ」が最も多く、「短すぎる」が17.7%、「長すぎる」が9.4%、「分からない・無回答」が3.5%だった。

感想
 リスクが高くなるなら発出する意味はありますが、そのデータが過去の尺度を変えてリスクをより高くしている情報は、不適切です。
過去の尺度と同じだとどうかとの検証をしてそれでもリスクが高いなら発出する価値はありますが。

 「狼少年」になってしまうと、発出する情報を信用しなくなり、肝心なときに伝わりません。

 今回のリスクはどう考えても高いとは思えませんでした。
発出したことによる、経済損失をきちんと検証していただきたいです。


当社の紅麹コレステヘルプ等の摂取により健康被害にあわれたお客様への補償について "犠牲者が納得されるかどうか”

2024-08-19 12:33:12 | 小林製薬紅麹

当社の紅麹コレステヘルプ等の摂取により健康被害にあわれたお客様への補償について 2024年8月8日
 この度は、当社の紅麹コレステヘルプ等に関して、お客様をはじめ当社を取り巻くすべてのご関係の皆さまに多大なるご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。
 当社はこれまで、厚生労働省および国立医薬品食品衛生研究所主導で行われている原因究明に全面的に協力するとともに、暫定的な対応として、当社の紅麹コレステヘルプ等の摂取と症状との間に相応の関連性があると疑われるお客様に対して、医療費等の実費のお支払いを進めてまいりました。
 これまでの原因究明の状況を踏まえて、今般、当社は、当社の紅麹コレステヘルプ等の摂取によって健康被害にあわれたお客様に対する補償を開始いたします。つきましては、補償についての基本的な考え方、補償方針、受付開始時期、支払時期およびご連絡先について、以下の通りご案内いたします。
1.基本的な考え方
当社は、当社の紅麹コレステヘルプ等の摂取によって健康被害にあわれたお客様に対し、誠実かつ適切な補償を行ってまいります。
2.補償方針
(1)対象製品
2024年3月27日付で大阪市保健所より回収命令を受けた当社製品のうち、プベルル酸を含有することが確認されたまたは可能性のある製造番号(以下の製造番号)の各製品。
なお、対象製品に追加が生じた場合には速やかに公開いたします。
紅麹コレステヘルプ<ドラッグストアなどの店舗や EC サイトでの販売分(60粒 20日分)>製造番号※1<当社の通信販売を通じての販売分(45粒 15日分、90粒 30日分)>製造番号※2ナイシヘルプ+コレステロール製造番号ナットウキナーゼ さらさら粒 GOLD製造番号
J3017X3037X3027X3017H3057H3047H3037
H3027H3017F3037F3027E3037E3027D3079
X304H306G301E301
23508
J301
※1※2 各製造番号については、2023年7月以降に出荷されたものとなります。
(2)対象のお客様
ご提出いただく医師の診断書の内容等を総合的に勘案して、対象製品の摂取と腎関連疾患およびその他の症状の間に相応の因果関係が認められるお客様を対象といたします。
ただし、対象製品の摂取によりお亡くなりになられたお客様につきましては、別途ご対応させていただきます。
(3)補償内容
①医療費・交通費
 お客様の症状(※)の治療に要した医療費(初診料・検査費用・診断書作成費用を含みます。)および交通費の実費を当社所定の手続きに従ってお支払いいたします。
※対象製品の摂取との間に相応の因果関係がある症状をいいます。以下同じです。
②慰謝料
 お客様の症状によって受けられた精神的苦痛に対する補償として、過去の裁判例等を参考に法律専門家の意見も踏まえて設定した基準をもとに、お客様の症状等を総合的に考慮の上、当社所定の手続きに従って個別に金額を算定しお支払いいたします。
③休業補償
 お客様の症状によって休業しなければならなかったことにより生じた収入の減少に対する補償として、当社所定の手続きに従って個別に金額を算定しお支払いいたします。
④後遺障害による逸失利益
 お客様の症状による後遺障害によって将来得られたはずの収入が減少した場合、後遺障害による逸失利益の補償として、過去の裁判例等を参考に法律専門家の意見も踏まえて設定した基準をもとに、お客様の症状等を総合的に考慮の上、当社所定の手続きに従って個別に金額を算定しお支払いいたします。
3.受付開始時期
 2024年8月19日からの受付開始を予定しております。
 なお、2024年4月25日付で当社ウェブサイトに掲載の「医療費等のお支払いについて」にてご案内しております、暫定的な対応としての初診料・検査費用等および医療費等の実費に関するお支払いにつきましては、2024年8月16日をもって受付を終了し、2024年8月19日からは「紅麹関連製品 お客様対応センター」での受付に対応を集約させていただきます。
 また、暫定的な対応としての医療費等の実費に関するお支払いのお手続きにおいて、今般の補償に必要な書類(医師の診断書など)をすでに当社にご提出いただいているお客様につきましては、補償の対象となるか否かについて当社から個別にご連絡をさせていただきますので、重複してお手続きをいただく必要はございません。
4.支払時期
(1) 医療費・交通費
   随時お支払いいたします。
(2) 慰謝料・休業補償・後遺障害による逸失利益
   補償内容にご同意いただき次第、速やかにお支払いいたします。
5.ご連絡先
補償の申請をご希望される場合は、2024年8月19日以降、以下の「紅麹関連製品 お客様対応センター」にご連絡ください。
・紅麹関連製品お客様対応センター 0120-663-272
※受付時間:土日祝を含む 9-21時
 なお、当社における個人情報の取扱いにつきましては、小林製薬株式会社の製品回収等についてのプライバシーポリシー(https://www.kobayashi.co.jp/dataprotect/jp_support/)をご確認ください。
*お支払いに関するご注意
医療費、交通費、慰謝料等のお支払いは、すべてお客様の銀行口座への振込とさせていただいております。
すでに当社とやり取りをさせていただいているお客様を除き、当社がお客様に対して個別に補償についてのご連絡を差し上げることはいたしませんので、万が一、このご案内に関連して不審な電話や訪問を受けた時はその場での指示に従わずに、すぐに上記ご連絡先までご一報いただくようお願い申し上げます。


感想
 医師の診断書があっても、小林製薬の判断で因果関係ないとなると支払いはされないのでしょう。

 それにしても、どのお客様にどのロットを販売したかとの記録は取ってないのでしょうか?
 またプベルル酸を含有とは何ppmまで検出し、どこまでは含んでいるとの判断をされているのかも全く見えてきません。
 健康被害はある基準を超えたら出るものではありません。
人によって感受性が違います。
そのあたりを、本来であれば厚労省が明確にすべきだと思うのですが、棚に上げているように思います。

小林製薬は腹をくくって、
①該当ロット摂取&健康被害発症⇒補償する
②過去の裁判事例よりもプラスして保証する
を行わないと
 集団訴訟が起きるように思います。
それにしても、製品回収だけの指示で、行政処分がないことが不思議です。
厚労省は、サプリに医薬品成分が含まれていたのを知っておきながら認めたことが大手マスコミに取り上げられて問題になることを避けたいのではないかと思ってしまいます。